貧乏人のボンボン。

とは、うちの兄ちゃんとわが旦那とついでに有馬のお父ちゃんのこと。

人を頼ることしか考えてないのんかぁ!という3人。
まぁ、お父ちゃんは今の現状は致し方ないので良しとする。
先週、急な福山行きで
娘と長男が私の代わりに有馬まで見舞ってくれたが
それは単にお見舞いなわけで、
孫相手に脳梗塞のおじぃなりに気を使っていたらしく、
やっぱり私やないとあかんみたいで、
昨日は先週、来なんだとご機嫌斜め。
まぁ、娘大好きなお父ちゃんにて、帰り際にご機嫌も戻る。

昨日は、マンションから母のいるハイツに行ったら、
母は携帯電話で話中。
相手はぼんくら兄貴。
マンションの裏に来ているらしい。
このハイツがわからんっていうから私が迎えに行く。

二つ上の兄やけど、
子どもののときから私のほうがしっかりしている。
何回もいうけど、私のほうがはるかに勉強ができた。
自分でいうけど、私のほうがはしこい。

貧乏人のはしこい女子は
頼られるばっかりという真理に気づく。

長男で可愛い可愛いと育てられたから
貧乏人のボンボンになりさがりよった兄を
引き連れて再び母が待つハイツへ。

ドアを開ける私の後ろで
「ここ、家賃、どんだけするねん?」とぶしつけなことを言う。
「あんたにいうたら払ってくれるんか?私が払ってるねん。うっさい!」と
中に入りもっていう。

新調した洗濯機や冷蔵庫を見て
「マンションにもあるやんけ」とぬかしよる。
じゃっかしい、
これも私が買ったんやと心ん中でシャウトしながらスルーする。

何をいう。
事が落ちついてからのそぉ〜〜と姿現して文句言える立場か!
と思うが
ここが私のあかんたれなとこ。

いうても兄ちゃんや、
情もあるから面と向かってきついことも言わずに黙っている。
こんなんで、
最終、お父ちゃんもお母ちゃんもおらんようになったとき
自分の取り分を正当に請求しよったら拒否できるやろか?と
一抹の不安が頭をかすめる。
あかんあかん、そのために家計簿つけてるねん。
こんだけつこたんじゃ!と取り分が欲しかったら
まずはこれだけ私に返せと言わなあかんと
いや、言うで!と我が身に叱咤する。

貧乏人のはしこい女子は
情に弱いっていう真理もここで気づく。

ぼんくら兄貴は、さんざん部屋の中を見回して居眠りをこきよる。
家で寝られへんのんか!と豚嫁(兄嫁)の姿が頭をよぎる。

“千と千尋の神隠し”を初めて見たとき、
千尋の両親がどこぞのカウンターで
豚だかいのししだかに変身して
千尋のほうを振り返った、あの場面を見たとき、
うわっ兄ちゃんの嫁にそっくり!とおののいたことを
いまでも鮮明に覚えている。

そのときはあかん、あかん、
小姑の私がそんなことを口にしたら
これは心奥底にしまっとこと決めたが、
そんな善人なこというてられへん。
てなことで娘にいうたら
似てる・・・って。
せやろぉ〜〜母さん、ええとこついてるやろてな話は余談。

その居眠りをこいてる兄貴、
寝てるか起きてるか知らんけど
お母ちゃんに
「せっかくの優雅な一人暮らし、こいつに邪魔されんようにしいや」と釘をさす。
案にほいほい現金を渡すなよと言う意味やけど
わかってんのかお母ちゃんてな話や。

久しぶりに兄ちゃんに会えてうれしいお母ちゃんは
「せや、あんたに頼むわ。」と
マンションにある壁掛け時計を取ってきてここにつけてという。
私は内心思うわけや。
そんなしょうもない用事をして
世話したったと言うなよ、言わすなよ!と
兄とお母ちゃんを見る。

そしてもう1人の貧乏人のボンボン。

私こそ、
関わりたくないねんと兄嫁みたいにいうて介護拒否しても筋が通るという
事案のあれこれがあったのに
それはとりあえず、こっちにおいといてと
福山のことも親身になっているからか、
「今度、いっぺん有馬に行くわ」と旦那。

やつはお正月に私ら一家を車で有馬まで運ぶぐらいが関の山やった今まで、
やつなりに気を使って有馬に行くわっていうてるらしい。

とってつけたみたいに言うなちゅうねんと思い
別にええねんけど、ややこしいと思うだけ。
旦那が有馬に行ったところで
お父ちゃんの入れ歯を洗ってくれるわけやなし
ただそこにいてるだけやん。

1人で電車とバスに乗って行く方が気楽でええねん。
もしくは娘と二人で行って帰りにカフェランチするとかって
楽しみもあるしな。

脳梗塞の後遺症で何をしゃべってんのんかわからんお父ちゃんと
あれこれお父ちゃんに気を使って、
話題を提供するなんて気のきいたことはよ〜せん、
一人っ子で可愛い可愛いで育てられた旦那との間で
私は通訳したり気使ったりで
はっきりいうてよけい疲れるちゅう話やっていうのは胸にしまっておく。
せっかくの好意やと思うことにする。

そんな貧乏人のボンボンは久しぶりに仕事が休み。
ええよな、休みがあってと思いつつ、
洗濯やなんやと動き回っている私が
全く目に入らない(この辺りは一人っ子)旦那は
愛用のエレキギターに手をのばす。

なんやて!先に掃除や。掃除機をかけてからやと思う私は
「先に掃除して」とさら〜という。
一向に腰をあげへん。
くっそぉ〜〜と思っていたら
うちのよ〜出来た長男が掃除機を出し始めた。

こいつの思考は私と同じで
まずやるべきことをやらな勉強にかかられへんってもん。
三人の真ん中っていうのでよ〜気つくし、よ〜動く。
私の思考回路を受け継いでいる。

しか〜し、私は思う。
あんたがそうやってするからな、
お父さん(わが旦那)がますます動かんようになる。
と長男に切れそうになるのを
それはお門違いとぐっとこらえる。

ほれみてみ、
用もないのに外に姿消しよる。

子どもらが小さいときに
遊びに来て、
さぁ、夕方やお片づけの時間やでというて
片付けをさせはじめると
決まって
「おばちゃん、トイレ」っていうてトイレに逃げるやつが
ぜったいおった。
あれを思い出す瞬間や。

そういう知恵が働くガキはほんま好かんかった。

そんなこんなを終え、
ちょっと一服と冷凍庫からミニアイスを出したら
「わしも」って旦那。

一つ取って渡す。
っで食べる。

私は昨日買った、田辺聖子氏のずぼら (光文社文庫)を読みつつアイスを食べ、
汗だくの体を鎮める。
至福のとき・・・

っで空になったミニアイスの入れ物をテーブルの上において
続きを読む。

したら、その横に並べて自分が食べたミニアイスの入れ物を置いて
洗面所に手を洗いに行く貧乏人のボンボン。

「何これ?どういうこと?」って叫ぶ私。
「一緒にほっといてくれ!」と抜かすボンボン。
「ゴミぐらい自分でほりぃや!」と言う。
ここらがまたあかんたれの部分の私は
しゃ〜なし、旦那のもゴミ箱にほる。

こんなこと子どもらがしたら自分のゴミは自分でほれとそのまま置いておく。
そんなことをわが子らはせぇへんようにちゃんと躾けてある。
子どもらは自分のゴミは自分でほる。

っぱなし野郎はボンボンのみ。
ゆえにやりっぱなし、置きっぱなし、服ぬぎっぱなしは
すべて旦那やとなる我が家。
なんせ、お弁当箱も子どもらは自分で洗う。
自分で洗わな作ったれへんどが私の方針。
唯一例外は旦那。私が洗ってやる。
特別扱いやで。差別やで。
人類みな平等に反している。
まぁ、とりあえず目をつぶっているが
これ私が寝込んだ日にゃ〜子どもらにその負担がくる。
子どもをアテにしよる。

そんなことしてたら
あんたもそのうちぼけるで!とはそのうち、こんこんと言うつもり。

しかし、
あ〜〜〜なんで私は貧乏人のボンボンの相手ばっかりせんならんと思うのである。
そして、
そう思うたびに
心に固く誓う。
わが息子二人は貧乏人やけどボンボンには育てあげへん。
自分で考える大人にするとな。

長男にいたって
2年目の担任に
こもまま社会にでてもやっていける素地があると
自立心をほめていただいた。

そらそうやろ、掃除機かけよると・・・・
いや、そういう低レベルな話とちがうか。

貧乏人のボンボンなんてくそくらえとここで愚痴って
とりあえず、心すっきり(^^)v

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