いきなり徘徊とは・・・

義父が不在になると不安になっておかしなことになる義母。
早急に受診・介護申請を進め、段取りをつけたいのに断ってしまった義父。
まだ当分二人でやっていけるというたらしい。

先週2泊の検査入院の予定が入っていた義父。
不在の間、またも義母からの電話攻撃があると覚悟をして
初日。
予想通りの電話攻撃。

二日目朝7時の電話からうんともすんともならない我が家の電話。
おかしい、おかしいと思いつつ、
旦那が仕事の合間に電話するっていうてたのでほっておく。
旦那が電話をしても
毎回、初めての電話やから、
かわらずこっちにもかかってくると思っていたがかかってこないので
途中、何回か旦那に電話してみる。

お昼過ぎからかけているけどどっかにいっているのか出ないという。

それを繰り返し、とうとう、夜の8時。
こんな時間になってもいないっておかしい。
近所の人の連絡先もわからないので見に行ってもらうこともできず、
義父の入院先に電話してみる?というが
そんな大げさな・・・・と躊躇する旦那。

とりあえず、20時半まで待ってみようと、
私はアルツハイマー介護の先輩に助言をもらう。

義父の入院先の電話番号を調べ、
旦那に電話するように言う。

すると、義父は外出届けをだして家に帰ったとのこと。
午前中にお見舞いにきた義母の帰りを気にして
家に電話をしたが出ないというので
家に様子を見に外出届けをだしたということらしい。

病院から家まで車で30分ほど。
仕事先から帰宅途中の旦那が20時半ごろに実家に電話。
義父が出たので義母のことをきく。
いないというのですぐに警察に行って捜索願をだすように言う。

どうなったから必ずこっちにも連絡しろというたらしい旦那だが
警察に行ったのかどうか連絡がない。
状況がつかめないので
私が21時半ごろにたぶんここに行ってるだろうという警察署に電話。

したら、少し前に近所の人と義父が捜索願を出しにきたらしく、
義父はとりあえず病院に戻ったと聞かされる。
(それならそれで連絡してこい!と腹立つ私)

お世話になったご近所さんの連絡先をきくが教えてもらえないので
こちらの連絡先を行って連絡してもらうようお願いする。

そんなこんなで、イライラしながら
とりあえず、朝一の新幹線で広島へ行くために時刻を調べたりする。

22時半前に警察から義母が見つかったと連絡。
義母を引き取ってほしそうな警察。
親戚とかはいませんか?と聞かれるが、いない。
義父は病院やし、
すんませんけど、そちらで一晩お願いできませんか?というが
それはちょっと・・・・と拒まれる。
預かってまたふらふら出て行かれても・・・と拒みよる。

何をいうねん。税金はろとんねん!と内心シャウトしながら
ここは控えめに
すみません、認知症かどうかの受診もまだの状況で
なかなか義父が承諾しないのもあって
今回が初めての徘徊なんですわぁ・・・と食い下がる。

ん〜〜それじゃ、明日、早くに迎えに来てもらえますか?と
はい、それは、そのつもりで今もネットで新幹線の時刻を調べてたんで。

じゃ、わかりました。ご飯は出せませんので。

かまいません。ご迷惑おかけしますが・・・と
携帯番号を言って電話を切る。

その翌日、朝一の新幹線にのるべく
ここを5時34分初の始発に乗る。私、4時起き。

7時半すぎに福山に着き、先に義父の病院に行く。
偶然にもロビーで義父と会う。
こっちは、警察泊なんてきっと寂しい思いをしているに違いないと不憫に思っているのに
義父はまったく動じていない様子。

とりあえず、私たちが警察に迎えに行くから
退院したら(10時頃に退院予定の検査入院)
家に帰るようにと言ってタクシーに飛び乗る。

警察に到着。出て来た義母。
どしたん?って。
迎えにたきたんですよというと。
ありゃ〜ほうけ〜〜。私も長いし入院してたんじゃと
病院に入院してたつもり。
青い制服をきた警官は白い制服の看護婦さんらしい。

へれ〜〜そうけ。うれしいなあ・・・とご機嫌の義母。

警察に預かってもらっていた義母の所持品。
これがまぁ、家中の大金を持ってきたんですかというぐらい
9万やら10万をチラシに包んで、いくつかもっている。
家の鍵やら保険証やら・・・(でも、家の鍵は閉めずに出ている)
それら全部を確認し受領印をつく私。

っで一式、義母の鞄にぶち込んで、
「すんません、お世話になりついでにタクシー呼んでいただけたらありがたいんですが・・・」

若い警官に頼む。

タクシーがくる間、
私の鞄はどれじゃった?という義母。
これですよというと
へれ〜それ、私のによ〜似とるがちがうよなってみてたんじゃと。

警察署を出るときも
あちらこちらの警官にご機嫌よく
えらいお世話になりましたとにこやかにご挨拶の義母。

若い警官の話では、
昨日は車で40分ほどの距離を歩いて義母の実家のあった山ん中で
そのご近所の人が交番につれてきてくれたとか。
名前も旧姓を名乗ったという。

そんなことはすっかり頭から離れて、
長いこと病院(警察署)に入院してたのを大阪にいてる息子夫婦が迎えに来て
ご機嫌の様子。

家に向かう車の中も
家に帰ってからも
ず〜〜〜としゃべりっぱなしの義母。
私の頭ん中は映画”マスク”の「絶好調〜〜〜」が鳴り響く。

速攻、地域包括に連絡して都合を付けてきてもらう。
今回の一件を話したら暫定でケアマネをつけるよう対応しますとのこと。
当然、そうしてもらわな安心して大阪に帰れません。

12日予定の面談が早まったということで
今週中に訪問調査に来てもらえるよう市に交渉してくれるとのこと。
私が話を進めたので義父もしゃ〜なし感を漂わせながら承諾。

地域包括の人は
義父のこともちょっと認知症気味かも・・・とこそっと言わはる。
そうとも見えるが
それはそれで困るので
なんとか今の調子で二人で仲良く過ごしてもらわなと。
これで一気に来られたら
私はあっちの施設、こっちの施設の
施設のはしごをしやなあかんようになる。

そんなことを思いながらふと義母を見ると
ん〜〜コーデュロイの黒いズボンをはいている。
暑いっていうてひざ下までまくってるし。
縫製の仕事をしてた人やから、冬の生地、夏の生地の区別はばっちりのはず。
ほかにも細かいところでえっうそ!って思う箇所あり。
こそっと地域包括の人に言う。

義父が書いた介護申請の意見書は
全く問題がない内容。
地域包括の人がつっこんできく。
ガスとかつけっぱなしなんてことなかったですかねぇ?
ないですなぁ。火をつけたらそこから離れたらいけんというとるんで!と胸をはる義父。

お湯をわかしててお湯がなくなったりとかなかったですかねぇと地域包括の人。
ん〜それは、何回かあった。
あかんやろ!それ、それをいうとるんじゃ!と福山弁で叫ぶ旦那。
そんなこんなで地域包括の人はうまいこと聞き出して
義父の意見書は意味がないものとなっていく。

てか、そんな細かいことより
いきなり徘徊のほうがどんと意味が大きく、
それだけで暫定でケアマネさんをつけると判断しはった。

本人は自分より7つ年上の義父のことを
年じゃけぇ、ちょっとぼけとるんよ・・と言う。
そんな人を相手に私も大変なんじゃということらしい。

何はともあれ、とりえあず一件落着となった徘徊事件なのである。

これからが大変かも・・・・

コメント

タイトルとURLをコピーしました