昨日の有馬行きはなかなかしんどく、
いつも以上に芦有道路のくねくねが堪える。
病院に着いて、こういう状況のときの血圧を測ってみる。
1階ロビーに誰かからの寄付の血圧計が置かれているので
時々測ってみる。
上の血圧が90を切っている。
そりゃ〜しんどいわ。
いつもは100前後。それでも低く、
先週、実家で会った叔母に
「そんなに低かったらしんどくない?」
「常にしんどいからなぁ。」
「気合で動いてるって感じ?」
「う〜〜〜ん。そうなんやろうなぁ。」と私。
とりあえず、発熱中の父の元に行く前に
マスクを着けて
3階までの階段を上がる。
ナースステーションに顔を出すと婦長さんが出てきて
大体の様子を聞かされる。
っで今回もまた、いつもの部屋から監視室に移されたらしく
そこに入る。
7月終わり(正確にはあ27日)の発熱から
3週間の間、上がったり下がったり、
途中、安定しかけたが今回の発熱。
その間、点滴で栄養補給。
数日、点滴がはずれおかゆさんに戻ったが
またも絶食で点滴。
ひと目で体力が落ちているのがわかる状態で
顔色もすぐれず、目のふちにくまができている。
私が来たことを主治医に知らせたのか
すぐにナースステーションに呼び戻される。
レントゲン写真を見せられ説明を受けるが
熱源が確定されず、
一つきにかかる箇所の再検査ももう少し体調が戻ってからという話。
何いうても年齢が年齢なので
体力の衰弱が心配とのこと。
それは私が見ても感じることやしなぁ。
ココに入院するときに
最初に確認されたこと。
たとえば、口から栄養が摂れなくなったとき、
点滴だけではもたない。
そうなったときのそれ以上の処置。
管を通して直接栄養を入れるとか・・・
どうされますか?という確認。
それをして、しばらくして改善してチューブが外せることはあるのか?と聞く。
お年もお年なので難しいでしょう。
それってどういう状況ですか?
いわゆる植物人間という状況です。
隣にいてた兄は無言。
兄はどう考えているかわかりませんが私はそれは要りません。
ではお兄さんは?
煮え切らない兄。
ん・・・ボクも同じで・・・・って。
と、私の判断に委ねられたことが頭をよぎる。
そのとき心臓が止まったときっていう話もあったが
それは即刻、
父は心臓は丈夫なので他の臓器がイカレても心臓だけは動いているかもしれん。
それも要りません。
と私。
それも頭をよぎって、弱ったなぁ〜と思う私。
そんな気持ちで数時間、父と過ごし、
山を降りてくる。
いつもならその足で実家に寄るが昨夕は近所のおばちゃんのお通夜があったので
まっすぐに帰る。
ココに越してきたとき
2歳やった娘と0歳やった長男。
ココにいてはるおばちゃん達にはそのあと生まれた次男も含めて
気にかけてもらい可愛がってもらっている。
その一人のおばちゃんやったので
お世話になった思いで旦那と参列する。
お通夜の終わりにお寺さんがマイクを持ち、心にしみる話をして下さった。
私の判断はそれはそれで間違っていないと思え、
ありがたい気持ちになる。
朝から
暑さのせいか、
甲子園の決勝戦で満員の阪神電車に疲れたか
しんどくて長い一日やったけど、
まぁ、なるようになるわな。
てかなるようにしかならへんわな。
なんやかんやいうても
土壇場に強いという強運の私ゆえ、
まぁ、ええやん[ちょき]
ただ、状況は的確に判断して
ここぞというときには
最後に母を呼んでやろうと
それは一人心に誓う。
これだけ覚悟して、
3日ほどしてケロっと元気になる可能性は大なのやけど
なんしなぁ、
全てが私に委ねられているから、
あれこれ段取りを先取りしてしまう。
こんなんやから、みな、私に任せよるのか[はてな]とも思うが、
そしてなぜだか
私の本籍地が旦那の実家である現状が納得できず、
本籍地、移したろか[はてな]て考える。
てか本籍地っていったい何やねん[はてな]て。
私が持ち家に興味がないのと同じ意味合いで
本籍地もお墓もどうなん[はてな]
気持ちがあればそんなもんどうでもいいやんと
ラジカルな私がニョキニョキと・・・
まぁ、子ども達には
「母さんが死んでもお葬式はいらんから。
あんたらが手を合わせてチ〜ンしてくれたらいい。
死んだ人間にお金を使う必要はない。」という遺言は先日残したんやけど。
他の人はどうかわからんわなぁ。
長男は
「生きてるのときにお葬式する?せ〜へん?って聞くのも失礼な話よなぁ。」って
遠慮がちに云うから
「だから、母さんは自ら云うてるやん。」
「母さん、まだ死なんやん。」
「人間、明日のことはわからん。とりあえず云うておく。
悪いけど、たまたま長男に生まれただけのアンタに悪いけど、
長男やし頼むわ。」と。
とまぁ、あれこれ考える2010年の夏。猛暑の夏や。
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