昨日の娘の高校までの道中、
今朝の通勤電車ん中と
源氏物語に読みふけっている。
光源氏も40代半ばとなり
物語もクライマックス。
紫上の体調もすぐれないままってところ。
私が愛読している田辺聖子氏の源氏物語を思い出しながら
ん・・・この場面は覚えていない。知らない。と
反芻する。
年老いた光源氏。
人生も下降ぎみになりつつの光源氏を私はすっかり意識外なのに気づき、
人生の刹那さを知る。
これはまた、田辺聖子氏の源氏物語を読み直さなければなぁ。
なんせ訳をする人によってその人の解釈が加わるから、
私の抱いていた人物像と微妙にずれを感じたりする。
これもまた面白いもので。
なんだろう。
答えが一つでないことが世の中にはあふれているということ知る。
PCに向かっていると
コンマがあるとかないとか、半角スペースがあるとかないとか
そんなささいなことでも拒否される。
それは間違いだと受け付けてくれない。
そんな白黒はっきりしたものに向かっていると
世の中のことすべてがそうやって
白黒はっきりケリを付けれると勘違いしてしまう。
世の中の大半は
白黒明確にできないあやふやさがある。
そんなことを感じながら読む。
余談。
小説の中で私の好きな登場人物ってのが
嵐が丘のヒースクリフと
ライ麦畑でつかまえてのコールフィールド少年
がいてる。
二人に共通していることは
ピュアさゆえの危うさを持ち合わせているところ。
現実社会では到底、うまく生き抜いていけるそんな器量がない、
要領の悪さ。
光源氏のようにうまく渡っていけない二人にすっかり魅了された。
私の読書量はそんなにたいしたこともなく
気に入ったものを何度も何度も繰り返し読む。
なので読書の幅が狭い。
そこの登場する人物に魅了され、
会いたくなるとまたその本に手を伸ばすから同じ本ばっかり。
あかんなぁ。
もっといろいろ手を出さななぁ。
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