先日のホームでのこと。
デイサービスかホームでもらった歌集。歌集といっても手作りの冊子。中身は昭和の歌。それを見ながら義母と二人で歌う。
“365歩のマーチ”を気分良く歌っていたが、「3歩進んで2歩さがる」に食らいついた義母。
「せっかく進んだのになんで戻るんじゃ、のう、みっちゃん!」と。
同意見の私も「ほんま、もったいない!」「そうじゃなぁ、この歌詞はおかしい!のう、みっちゃん」と2人で文句を垂れつつ合唱。”高校三年生”では、主人公は自分たち(義父母)という設定で嬉しそうに歌う義母。義父のことが大好きでよかったなぁ~とほほえましく見ているが、これ、2人っきりになって、義母のおボケぶりに切れ叱る義父のことは『しらない人』となり、「助けて~~~」とワーカーさんのところに逃げる義母なのだ。
この日は昭和の歌合唱のあと、3人で散歩に出かける。栄養ドリンク(本当に栄養があるのかどうか・・・?)がやたら好きな義父のため、栄養ドリンク探しツアーに出る。自販機探しの旅。それがこの界隈には義父が好きなそれがなく、違う種類のもの。たいてい、そういうのって茶色の瓶。「これがそうじゃろか?」って聞くから「うん、たぶんそれやと思うで」っていうが、それがやたら大きい。5,6台めの自販機であきらめた義父はその大きい栄養ドリンクを3本買う。私も持たされるが、私・・・炭酸あかんねん・・・っで頑張って半分ぐらいは飲んだが義母も「下がしびれるぅ~~~」て騒ぐから、2人で残りを溝に流す。義父は見ているようで見ていない、気がつくようで気がつかいないってタイプなので、私たちの行動には見えていない。
目的を果たした私たちはホームへ向かって帰る。途中、神社に寄る。いつもお賽銭10円を義父から渡される。手を合わせるわけやけど、そのあとに義父は毎回、「わしはお金も持ちなれるよう頼んだんじゃ・・・」といわはる。私は内心(もう、ええやん!)って突っ込む。
認知症の2人を連れての散歩もだいぶん慣れてきた。車びゅんびゅんの道を横断するときは、二人の手をつないで、「死ぬときはいっしょやで!」と言う。死ぬ気で付きあわな・・・・これから暑さがひどくなるまでは散歩に連れ出す日々やろうなぁ。なんせ、部屋に3人で居てると私がそばにても夫婦喧嘩勃発しかけることが増えてきた。私への遠慮がなくなってきたのと2人のボケぶりが増したのもある。特に義父は覚えていることとそうでないことの差が激しい。これは脳血管によるものやないやろか?義母のように全体的なものではない。だから、はっきりいうてややこしい。自分はまともやと思っているから義母のボケぶりを叱咤しはる。そして、知らない人がいてる助けて~~と逃げられる。悪循環や・・・(>_<)
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