Archive

2014
4月
20
新生活は物入り(;゚Д゚)
“長男のセンター試験の結果が大学入試センターから返ってきた。 自己採点より3点アップ。 国公立大学受験のセンターの重みを2年連続で感じた今年、4年越しの思いを叶えてた長男は1人暮らしをスタート。 とりあえず、念願の阪大生になりました。 私大なら入学式前に前期の授業料を振り込むという段取りであろうが、 国立だからか阪大だからか、5月中旬以降に1年目の前期授業が引落される。 年明けからこっち、私大の受験料、国公立の受験料、私大の入学登録料、 国立の入学料とあれよあれよと消えていくお金。 前期授業料が5月というのはほんまありがたい。 そして、引き続き、次男坊が高校3年生となり、 大学受験生を持つ身3年目を迎えた。 こちらは二転三転しながら、やっと、自分の進む道を決めた。 私大の芸術系。 国立の学費を見たあとの私大、それも芸術系の学費には目が点になる。”
1月
2013
7月
31
ショッキングな出来事。
“今朝、叔母からメールが届いた。 その娘が離婚したと。 なので、従妹夫婦(だった)が経営しているお店に行ってもらっても嫌な思いをするかも・・・だから、律儀に知らせてくれた。 なんとなく、春前ぐらいにお店に出るバイトを募集していたのを見て、嫌な予感がしたんよなぁ。 理由は、また会った時に詳しく話すという。 あぁ、なんとなく想像するがたぶん、合っているやろうなぁ。 かすがいになる子どもがいないのも、離婚を早めたのかもしれないし、その原因となる出来事を作ってしまったのかも・・・とも。 まっ、彼女はまだ30を超えたか超えていないかやし、子どももいない。 そして飛び切りの別嬪さんやから、新しい相手を見つけたらいい。いや、すでにいるのかもしれない。 あぁ、もうあのお店には足を運べないなぁ。 結構、好きやったのに・・・”
6月
12
ちょっとずつ、進行している?
“あぁ、義母。 先週の木曜日、いつものとおり義父母のホーム。下で看護師さんにつかまって義父のことで3,40分話し込む。 義父のもっかの懸案事項が排便。便秘がちということ。少し前までは牛乳を飲んでそれをしのいでいたと本人は思っている。 ホーム入居してはや1年6か月。栄養士さんが考えてくれた三度の食事と15時のおやつ。それだけで十分なのに、便秘のための牛乳やアイスや甘いおやつによって、どんどんと成長していった二人。 義母に至っては昔はSサイズという体型がいまでは3Lと化す。 当然血糖値にコレステロール値も上昇。あえなく食事制限が下される。牛乳もNGとなる。行きたい外に自由に行けず、飲みたい牛乳も飲めず、自由のなさにストレスがたまる義父。そんな状況からの不穏の話を聞く。 そして、二人のところに上がったときには、まだか?まだか?と熊のように動き回っている義父。とりあえず、ご要望にお応えして散歩に行く。すでにまんまる子ちゃんと化した義母は散歩に行くと汗だく。帰ってきたら着替えさせる。っで箪笥をあけた。あっ!あ~~~~ そこに汚れたパンツ。 これが噂に聞く、汚れたパンツをあちこちしまうってやつ? 本人には気づかれないように、汗だくの着替えと一緒にワーカーのところに持ってきて、その趣旨を伝える。洗濯をお願いする。最近、とみに認知症具合が進んできたように感じる義父母。アルツハイマーの人は下のほうは最後のほうまでしっかりしているときくがそうでもないのかなぁ。 前回は散歩の途中に話に夢中で失禁をしてしまった義母。結構、ズボンがぬれていた。本人は気づいているのかいないのか?汗と思い込んでいるのか?このあたりの神経がちょっとやばくなってきている義母。まだまだ若いのになぁ。”
4月
19
洗濯機がまたも故障(>_< )
“3月の最初、長男の高校卒業式前日に排水機能の故障で動かなくなった洗濯機。 入学と同時に購入したから3年になる直前。 君も一緒に卒業ですか?   電気屋さんの5年保証というのに入っているので、そうやすやすと卒業させるわけにはいかない。 修理依頼の電話をしたら、翌日になると。 エ〜〜〜卒業式ですやん!!と思うが、日を延ばすわけにはいかない。 なんせ、毎日、最低2回は働いてもらわないと困る。存在意義は大きい。   卒業式終了後、他の親御さんは残って我が子の写真を撮る中、早々に引き上げる。 帰って洗濯機周りを片付ける。いつ来てもOKという状況で待つこと4時間。 結局、夕方遅くに修理のおっちゃんはやってきた。   我が家に到着後、まずは『奥さん、トイレ貸してもらっていいですか?」と。 そしてしばらくして、「すみません、トイレいいですか?」 おっちゃん、トイレをしに来たんっすか?と言いそうになる。   そのときは排水機能のところの『棒』が折れているとかでその交換。 よくあることらしく持ち合わせの部品によって即日終了。   そして、それから1ヶ月半の昨日。 あと4分の脱水で終了というところで『E72』表示。 洗濯機天板に記載のエラー一覧の欄外に「Eと数字の表示は故障です!!」とな。 前回に比べると修理依頼が少ないのか、お昼すぎに前回と同じトイレのおっちゃんが参上しはる。 状況説明をすると 「あぁ、それは固着やなぁ。」と中の洗濯槽を回す。 「これは早急にメーカーから修理に来てもらったほうがいい。とりあえず応急処置をしたのであと何回かは洗濯はできます。が、いつ止まるかわからんって状況です。メーカーにはこちらから連絡しときます。」と帰りはる。   「今日はトイレはいいんすか?」って聞きそうになる。 とりあえず、やり残しの洗濯をして、2回目の洗濯も終える。 明けて、本日、いつも通り洗濯機を回してみる。 回る。 いつも通り2回の洗濯を終える。   そして、修理完了。 結果は別段異常なし。 給水・排水ホース及び洗濯機の中のゴミを除去したと。 様子見て不具合が出れば連絡くださいと帰りはる。   運命とは残酷ものという思い。 先週、高校の同級生の奥さんが他界された。 朝は元気やったのに、帰宅したときには倒れてはった。くも膜下出血。 手術をしたが、そのあと3日間意識不明で、そして旅立ってしまわれた。 高3の男の子と中3の女の子を残して。なんともいえない。”
11
またですかぁ?使い込み(ーー;)
“結局、受かった私大と公立大を蹴るという大博打に出た長男。予備校に進学というやっさもっさの中、とんでもないニュースが舞い込む。 我が自治会。昨年度の会計報告が不備。毎年、200万ほどは繰り越ししていたが、それが18万やと。使途不明金が多すぎて今年度の会長がハンコを押さず云々という話。 同じ会長、会計が4年やってはる。2年目で次年度役員欄に会計の名前がない。噂では会計宅に空き巣が入って自治会費を取られたとか。近所の警察から会計の指名を伏せろと。よって名前がないと・・・   だから言いましたやん!!それでなくても、お金の使い方がどうなんすか?っていうところを名前を伏せるってあんた、おかしいやん。正々堂々と会計の仕事に邁進するならば名前を公表しはったらどないですのん?それになんですの?この会計報告と予算案と突っ込みの電話を自治会長に入れたという強者の私。クレーマー的なことをする以上は責任もとりますと、なんなら私が会計しましょか?と豪語する。いや、結構ですと断られた(`´‡)   そんなんなんで、今回の問題もやっぱりな・・・というところやし、明らかにこうなるのは想像できたのを見て見ぬ振りなのかなんなのか、ほっておいた自治会会員にも責任があると思う私、もう何も言いません。ていうか、関わりたくございません。 しかし、レベル、低すぎやし・・・( ̄  ̄メ)”
3月
10
今どきの男子高校生(*'▽')
“昨夜、長男がお風呂に入っていると高1で同じクラスやった子から電話。   「何やったん?」 「情報収集。」 「情報収集って?」 「あちこち電話して合否結果を聞いてるねん。あいつ。」 「おばはん、みたいなことするねんなぁ。ほんで、本人は決まったん?」 「京大やから明日やん、発表。」 「自信あるんやなぁ。」 「でも、センターは京大受けるほどもなかったから、ブッコミよってん。」 「私大は決まっているん?」 「早稲田、落ちて、後期は阪大。文系やけどな。あいつはああいうヤツやねん。」 「ふ~ん。」   大人やと、受かっているかどうか、聞きづらいとかって考えるのに、そういうのがないのは男子やから?   そういえば、午前中もうちの子に電話をかけてきて結局ずるずるその子の合否発表まで付き合ったというのも、 「ほんまに落ちたん?」と聞かれ 「嘘やと思うなら、ネットで見てみ。番号いうから。」 が始まり。 「ほんまや!泣いた?」と言われ 「泣きはせんけど、なんともいえん虚脱感。お前ももうじきや。」   っで、お互い慰め合うことになる。私大は同じところを受かっている連帯感?   別の私立高校の子は京大を受けて、結果を待たず浪人決定。 「学校で先生が採点して結果を配布してくれるねんて。」 「さすが私立やな。」 「昨日聞いたんやけど、あそこの高校は早稲田や慶応でもあかんらしい。国立、それも東大・京大に行かなあかんねんて。国立に入れた数で先生の給料が変わるねんて。」 「うっそ!!」   「っで、あんたの担任からは結果報告(先生にメールで知らせる)についてのレスはあった?」 「うん、後期いい知らせを待っています、やて。」 「それだけ?」 「それだけやで。」   まっ、いいか・・・ とりあえず、後期終わったら二人で携帯機種変\(^o^)/”
2月
22
え~と星人、現れる(´▽`)
“今日は朝から眼科。両目、眼底検査。 やっとこさ、目が復活でコンタクト装着!(^^)! 目が見えにくいちゅうときに電話。 まぁ、耳と口は健在(*'▽') 長男の塾のチューターから。 チューターの彼、神大医学生。 勉強はよう出来はるんやけれど、電話が苦手? 「え~と、○○くんは?」 「図書館に行ってます。」 「え~と、もうすぐ国立の入試で受験番号を聞こうかと思って。」 「あっはい、言いますよ。」 で番号を言う。 復唱するが間違っている。 ちゃう!!って言いそうになるがぐっと堪える。 「え~と、あのぅ・・」 「はい。」 「え~と、伝えてほしいんです。え~と、自分の力を出してがんばるように。」 「わかりました。ありがとうございます。」と切ったが、 え~とが多すぎ(*´з`) 先日、この塾から封書が届く。 大学生になったらチューターになりませんか?というチラシが入っていた。 時給1,000円。 「どう?あんた、チューターやったら?」 「おれ、ようせん。」 「せやな、あんたの電話も、たいがいやもんな( 一一)」”
15
私立はゲット!(^^)!
“今どきの合格発表はネットでする。娘の短大受験のときは、受験番号がだ~と書かれているいる中から探したんやけれど、今日の長男の私大は受験番号と高校番号と生年月日を入れたら、合否結果と当日の試験の点数および合格最低点が出た。おかげで10日後の国立大の目安が分かって助かった。 この勢いに乗って国立大をゲットしてもらいたいものやわぁ~(*'▽') お昼前には合格通知書とそれに付随して登録料と授業料の振込み用紙が届いた。登録料というのは授業料を収めることで入学金となるシステムで、現段階では入学するかどうかわからないけれど登録だけしておくというものみたいやなぁ。これは私大に寄付するつもりで来週早々には振り込む。国立が受かればこれは戻ってこないお金。安心料ということでまぁいいか・・・”
11
昨今の大学入試事情もなぁ・・・
“長男の幼稚園時代から仲良くしている友だちから連絡。3月10日に幼稚園プチ同総会をするとか。っで長男もというが・・・ 国公立前期の合否発表がその前日の9日。受かっていればの話ですなぁ~。 とりあえず、勉強の邪魔はさせへんからと長男のメールアドレスを教えてというので本人確認の上の伝達。 ガラケーの長男に「ガラケーでもLINEできるで~」って友だちの子からメール。 とりあえず、あんたは勉強しろとLINEの設定だけしたる。 ていうか、長男、その友だちの子しか認識していない。 「LINEが流れてきても見るだけにしときや。相手せんでええから!」と私。 「みんな、もう決まっているん?」 「進学の子は指定校推薦ですでに決まっている。みんな暇やねん。」 「俺の状況は知っているんやろか?」 「おかんは知っているけれど、その子は理解できんと思うなぁ。あんな、行けるかどうかも前日にならなわからん!っていうとき」 国公立を前期入試を2週間後に控えて、LINE の相手なんぞしている暇はないちゅうねん まぁ、うちの娘も公募制推薦っていうやつで11月には決まっていたけれど。公募制推薦はちゃんと学科試験を受けた。 別の子も指定校推薦で行先が決まっている。面接だけでOKという指定校推薦。 その枠に入るためには日々それなりに頑張ったということではあるからべつにええねんけれど。 すでに進学先が決まっているのにその私立高校はセンター試験を受けさせる。 本人、センターの結果なんて気にする必要がないから英語のリスニングの途中で苦手やしって出てきたらしい。 真剣に受けている子は気が散るねん。せめて、最後までじっとしとけよ!と思った私。 昨今の大学入試の問題点と言われているAO入試と指定校推薦。 ガチで勝負する私立一般入試や国公立の子の邪魔だけはしてくれるな!と思う私。 そんなん言いながら、次男のときは指定校にありつけたらと思っているのも正直やけど、なんせ公立の高校やから指定校推薦の枠がなかなかない。 かなりの好成績やないと無理なので、公募制推薦か一般入試でやっぱり勉強はさせやなあかんということやね。 わが長男の大変さを見ていると指定校推薦やらAOで簡単に大学生になれるっていうシステムはいらんやん!って思うねんけどなぁ。 私立高校も私大も商売がじょうずなところはすごいわ!とも思う私。”
01
同総会オンパレード♪
“昨年11月に開催された高校の学年の同窓会。 Facebookと同窓会サイトを利用して、同窓会前から交流をつくっていたので当日はすんなり馴染めた。 そして引き続き、FBも同窓会サイトも継続しているので、今度はクラス単位の同窓会があちらこちら催される予定。 人によっては1年、2年、3年と盛り上がりにかけてクラス会の予定がない人もいているが、私は各学年とも春から秋にかけて開催される予定。 私個人的には1年と3年が印象深いが修学旅行があった2年のクラスが一番盛り上がっている。   加えて、中学の学年同窓会も秋に予定されている。 私が卒業した中学では私たちは記念すべき1期生。 とりあえず、同じ高校に進学したFB仲間とはすでにFB内でグループをつくってもらい参加。 ブログもあるらしい。   私みたいにネットが生活の一部になっていると、ネットでどんどん繋がっていけるからいいんやけれど、私たちの世代、特に女性はなかなかそういうわけにいかない人も多いみたい。 それに、非公開の同窓会サイトは敷居が低く、FBはなかなか敷居が高いのか好みがあるのか、高校の同期生もその利用の仕方が分かれていて面白い。 職業柄、FBを敬遠している人もいてるみたいやし、反対に同窓会サイトには一切顔を出さないと宣言している人も・・・・ 私は基本FBで思い出したように同窓会サイトっていう感じ。親密度を増すのは明らかにFBなんやけどなぁ・・・・   そして、今年御年50になっちゃう、昔の中学生、高校生、特に女子は皆さん、若い! 昔、私が子どもの時に自分の母と比べても、友だちのお母さんと比べても、はるかに若い!”
1月
28
センター後・・・
“思いに思いをはせて第一志望を目指して頑張ってきた3年間。 それがセンターのたった2日間でもろくも崩れ去るのか・・・という状況。 ただ、今年のセンターは難しかったということで全体の平均点もぐっと下がる。 それがよかったのかなんなのか、かなり厳しい状況とはいえ、まだ可能性はあるというので、「いてまえ~!」で初心貫徹。 正直、言ってセンターがこんなに過酷なものというのは、やってみないとわからなかったなぁ。   2つ落とせば、かなりの確率で受かるであろうという公立大学と悩むが、可能性が多少なりともある。 ならばあとで絶対後悔するやろう。 やらない後悔のほうが尾をひくであろう。と、第一志望を貫く。 その公立大学は後期に回す。てか後期は例年18倍とか・・・ とりあえず、私大は一つ受ける。が、ここは関西ではトップの私大。 どれもこれもNGなら浪人しかない。   私はかまへんのんよ~。その覚悟で思いっきりいったら?なんて言うと 浪人覚悟の意味がわからん・・・と、長男。 浪人したくないから頑張るっていうならわかるけれど、浪人覚悟なら今、ここで浪人するって決めるとおっしゃる。 なんでもいいから頑張ってくれや~。   昨年、11月に開催された私の高校の同窓会。 それをきっかけに旧友を深める中、たぶん、当時の学年トップであろう、京大卒の友だちが受験必勝のアドバイスをくれる。 長男の近々の模試の結果を見せたら、それを分析して具体的なアドバイスや本番まで勉強スケジュール等々。 正直、かなりハード。 ハードゆえ、それをこなせば逆転もできそうで長男は俄然やる気になる。   彼が京大を受けたときにはセンター試験ではなく共通一次。 本質的な部分はさして変わってはいないだろうし、経験したものでないとわからん受験生の気持ちなんかもサポート。 友だちって有難いものです。 しかし、センター試験というのは、マジでえげつないです。”
02
お正月早々に届いた封書。
“さっき年賀状を出しに行った帰りポストをみたら封書が入っていた。私宛。裏をみるとあら~数か月前にも入っていた数年前に自治会長をしていたおっちゃん。なんじゃろか?と中身をみる。次年度の自治会長に立候補するらしく、その推薦人になってほしいという趣旨の内容。大変申し訳ないが、ちょっとでもかかわるとずるずると自治会のほうへ引きずり込まれる予感がするので、ご近所の友だちにちょっと電話してみる。その彼女のところにもそんな打診があったそうな。で彼女も只今それどころやないのでスルーしているということなので私もスルーすることにする。   ん~自治会のためにいろいろしてくれはるのはええねんけれど、あれこれ役を増やしてそのおかげで役員選出に苦労するという事態になっているので、賛同できないところもあるんよなぁ。今のこの高齢者が溢れる状況と自治会のことに協力しない若手層を考えるともう少し高齢者が住みやすく、無駄な役ははぶくという方向で動いてほしいのだ。”
2012
12月
31
雪が舞う大晦日。
“塾に向かって出て行った受験生。 愛用の図書館は年末年始はお休み。 冬期講習のあとは塾の自習室で21時まで勉強して帰ってくるらしい。 「昨日、塾に行ったら『センターまであと20日』って書いてあったわ。」 「カウントダウンしよるん?気がせくやんなあ。」 「そういうものやろ!」 「そういうものなん?」 「あ〜推薦でどっか決めとけばよかった…」と本音をもらす。 ここからがメンタル面で自分との闘い。 小学生のときから中途半端に勉強が出来るから、それを維持しやなあかん。中途半端に出来のええ子に親は過大な期待をしてしまう。 そこそこの出来のヤツには親もソコソコで手を打つから、電気ギターに狂っても目を細めているε-(´∀`; ) 勉強の邪魔になってはと、トイレとかお風呂とかそれらの掃除だけでいいっかぁ〜という点は、受験生様々と思う不届きものの私。 2012年暮れ行く大晦日。 あぁ、生きるってしんどいことなんだよ、我が長男! そして、お〜い、そこのギターキッズ・次男坊、冬休みの宿題ちゃんとしろよ( ̄◇ ̄;) この兄弟のおかげで私は、勉強の出来る子を持つ教育ママゴンと勉強しよらへん子を持つおかんを演じている。なかなかの役者ヾ(@⌒ー⌒@)ノ”
17
段ボール二箱・・・
“夏と冬の区別がつかなくなってしまったのか、義母。真夏にはタートルネックのニットを着用し、最近は半そでTシャツ姿。エアコンのコンセント(天井近くの壁にある)からプラグを抜くということもやってのける。暖房なしで一晩薄い恰好で過ごした義母は低体温症をおこしてしまう。そんなことで南向きの暖かい部屋にいてる義父(義母のは向いの北向き)と部屋を入れ替え、箪笥の中の夏物衣料をダンボールに詰め(二人がデイに行っている間に)対処する。   そして、義母のために2万円分の下着を買い揃えたが、この1年で8キロも肥えた義母はMサイズからLサイズ、下半身に至ってはLLサイズにて、ほとんどがきつい状況。ゆえにまた新たに下着を買い揃えるということになる。生まれた初めて手にするLサイズやLLサイズ。デカい!夏場しょっちゅう聞いていたタートルのニットもどこにやったのか、箪笥整理をしたときには見つからず、冬場着用する洋服もそろえてくださいと言われる。   今までは義父がいてたのでワーカーさんも手のかけようが微妙やったんよな。一応、義父の、義母の面倒をみるという意思を尊重して。でも、実際には義父に義母の面倒をみるなんてことは到底無理。なので、義母に関しては洋服の管理もワーカーさんがやってくれることになった。歯磨き粉を化粧品と間違えて顔に塗るっていう点も、本来なら歯磨き粉も預かってもらって歯磨き時には手をかけてもらうのがベストなんやけれど、それも義父の気持ちを考慮している状況。   段ボールに詰めらえた夏物衣料についても、義父は不服なんよな。「デイに行っている間に勝手にやられた!」と。おまけに今、義父のところにある箪笥を義母の部屋に移動させたいこともいう。義母のところには冷蔵庫も炬燵もなくだだっ広くなっている。箪笥を置くとまた箪笥の中を空っぽにしてあちこちに衣類を仕舞い込むのでそれは出来ないんよなぁ。てなことで、段ボールに詰められた衣類2箱は只今、我が家にある。置く場所があらへん・・・(^^;)”
11月
19
喪中ハガキ・・・
“昨日、有馬の帰り、実家のマンションに寄った。郵便物を確認する。ポトンとみつけた、喪中ハガキ。お父ちゃんの友だちの訃報。ご子息からの喪中ハガキ。数年前から実家の分の年賀状を作成している。毎年、数が減るのよなぁ。喪中ハガキは家族から、亡くなったのは宛名にしている本人なわけです。83歳の父の知人。常にいつも親しく会っているわけでもなく、時によってその相手も認知症や脳梗塞で施設や病院に居て、うちのように家族が代わりに年賀状を出しているっていう状況なのかもしれない。この時期に届く、喪中ハガキを持ってお父ちゃんのところに行く。 「●●さん、亡くなりはったんやて。喪中ハガキが来てた」 「そっか・・ほんだら、もう年賀状は出さんでいいわ。」ってなる。 今年はいいわ・・・じゃなくて、永遠に出さなくてもいいってことです。 これって、自分自身も人生の終いに近づいているってことを嫌でも目の前に突き付けられるような気がするのやけれど、この年齢になるとそんなことは重々承知できる心持ちになるのやろか?この時期に届く、喪中ハガキはやるせない。”
11
子どもかよ~~^^;
“金曜日、有馬に行く。 金曜日は特浴の日で昼食は部屋で食べる。部屋に行くとTVをつけて寝ている。この日は主治医から先日の担当者会議のときには結果がでてなかった検査結果を聞く約束をしていた。病室に入ってしばらくすると呼ばれる。本人寝ているし先にナースステーションに行く。 ちいさい胆石があるらしい。他にもいろいろ。ただ、心電図を取るのに脳梗塞の後遺症で折れ曲がった胸のところで固まっている左手が邪魔になってうまくとれなかったが、気になるところはあるが本人が何かを訴えるというわけでもないのでこのまま様子見るということになる。今の体力では手術するとかは無理であろうし、本人が痛がってどうしょうもないとならない限りは様子を見るしかない。   そんなこんなで部屋に戻ると 「来たんか・・・この前、怒ってもう来えへんっていうから来てくれへんと思ってた」と涙ぐむじじぃ。 そう、先週、娘と二人で行ったとき(正確には娘の彼氏も一緒。彼氏は駐車場で時間をつぶしていた。)いきなり、怒っていた。お正月前になると帰りたい気持ちを持て余して怒鳴る相手が私になる。私しか来ないから当然そうなんやけど。しまいに腹立った私は「わかった!もう今度から来えへんから、兄ちゃんに来てもらい!」って言う。でも、ご飯を食べ終わるころには別に普通に戻ったし、帰りしも次は9日な!ってご機嫌よう別れたのに、私が怒ったところだけが心に残ったのか、来てもらわれへんと困るから、 「えらい怒ったから来えへんと思って・・・・・・」 「しょうもないこというからや!」 となる。 帰ったら娘が 「今日もじいちゃん、怒ってたん?」って聞く。 「ううん、今日はこの前怒ったからもう来えへんかと思ったって泣いてた。」 「子どもやなぁ・・・」と娘。   そんなんで一昨日の金曜日は、穏やかに過ごして山を下りる。 まぁな、帰りたいと気持ちはわかるけれど、どないもこないもできまへん。  ”
10月
29
近所のおっちゃんからの手紙。
“近所のおっちゃんからの手紙が届く。 切手のはっていない封書が届く。 我が家の郵便ポストに自ら投函という封書です。   何年か前に自治会長をしていた60代のおっちゃん。 そのとき、私は町内会の隣組の班長で、長男が通う中学のPTA役員で、次男坊か通う小学校のPTAの問題を追及と、超多忙なおばはん。 そんな私に、 「何ごとも諦めへん姿、僕も見習ってがんばるわぁ」とか言う。 「何も手伝わへんで!」と釘をさす私。   おっちゃん、今、地域の役はしてへんはず。このたび、地域の暮らしを良くする会とかなんとか発足したとか。ご意見及びご協力の依頼の文書が入っている。   ん~~私、ただ今、地域社会や町内会よりもっとコアな両親4人の対応と息子二人を立派な男にするという、使命に向き合っている所存でございます♪(´ε` ) まずは自分の足元を固めることに真摯に取り組んでいるところで、町内会のことまでも、手も足も首も腰も回りまへん\(//∇//)\”
28
親子で将来について話し合え!と思った件。
“昨日の有馬。よくしゃべるおばちゃんヘルパーさんが言う。 「ねえちゃん(いつも私のことをねえちゃんっていう)、この前、兄ちゃんが来てたよ。」 「うん、私がたまには様子をみにいけって連絡してん。」 「そやったんや、せっかく兄ちゃん来てくれてんのに、大変やったんよ。」 「え〜なんで?」 「ねえちゃんを呼べっておとうさん、大騒ぎして。」 「あ〜、兄ちゃんもなんや私に電話するってきかへんかったっていうてたわ。電話いらんしぃ!」 「ねえちゃんやないとあかんねんなぁ、おとうさんは・・・」   ん〜〜〜、嬉しくない( ̄▽ ̄;) あれだけ、言うたのになぁ〜。常識的にも物理的にもあんたの面倒をみるのは兄ちゃんやで!って散々、お父ちゃんに言うたのになぁ。家に帰りたいっていうなら、兄ちゃんに頼め!と。そこいらの話はしていないらしい。どないやねん( ̄  ̄メ)   まぁ、別に私もあの兄ちゃんとこの白豚嫁がお父ちゃんの面倒をみれるわけがないのは承知している。白豚嫁もみる気はないっていうか関わりたくないって恐ろしいことをのたもうたぐらいやし。 しやけど、本来なら、長男の嫁(今どき、こんなことをいうのも時代遅れかもしれんけれど・・・)なんやし、自分は4人姉妹の末っ子ですでに父親は他界、母親だけ、上二人の姉は離婚しているから相方の親の面倒をみるという項目はない。となると、自由な身であるあんたがもっと動きなはれというところ。私は一人っ子の嫁。義父母はすでに大阪のホームに来ていてお世話している。 長男の嫁としての常識、それぞれの状況を把握しての物理状況から見ても、お〜〜い、そこの白豚嫁、動け!というものですわね(`´メ)  ”
20
新たな問題勃発か?
“昨日の有馬。半年に1回の担当者会議。主治医、リハビリの3先生、婦長さん、ヘルパーさん、栄養士さん、ソーシャルワーカーさんからのお話のあと私がしゃべるという流れ。   9月19日のリハビリ中、作業療法のとき、意識レベルが低下した一件は一過性のもので別段気にすることもないであろうという所見。それ以外に胆嚢せんきん症やら硬膜下血腫か水腫の疑い、そして心臓付近の水腫などは今まで通り経過観察。ただ、脳梗塞の後遺症による左腕の硬直で正確な心電図が取れなかったがそのレベルの低下も伺えるとか。体重の減少、全体的な体力の低下、脳血管障害のよる認知症の進行などなど。   お父ちゃんお気に入りの言語のリハビリの先生のお話。最近、帰りたいという言葉や戦時中の話で涙したり、長々お世話になりましたと挨拶したりという感情面の不安定さがちょっと気になるという所見。先週もこの先生が昼食時に顔を見せてくれ、舌の動きを観察、具合によっては食事形態の検討も考えておられるようやったけれど、本人が刻み食のままがいいというのもあって現状維持というお話も。言語療法というのもあるのか、この先生には気持ちのうちをしゃべっている様子にちょっと胸にくる。   それを見た婦長さんが「おつらいと思います。」なんて優しい言葉をくれるから涙があふれそうになる。つらいのかどうかわらかんけれど、感情が高ぶると涙があふれてくるという性質は、ちょっと大人げないと恥ずかしくなる。   そして、最後にソーシャルワーカーさんから爆弾発言。病院はただいま建て替え中、来年12月の完成を目指して山を切り開いて更地にして、今やっと建物の外側が出来つつあるという状況。病院が新しくなるとシステムが変わるらしく、料金体系も変わって値段があがるらしい。まぁそれはなんとかしよう。問題は次。その新しい病院は介護ベッドは50床。なので今、いてはる高齢者は全員、移れないという。その検討を今からする。この年末には結果が出るという話。どういう基準でその50名を選ぶのかは分からないけれど、それに漏れるとどこか施設を探さなければならない。その辺りはソーシャルワーカーさんが相談には乗ってくれるであろうが、新しいことに柔軟に対応できない性質の父ゆえ、それを機に帰りたい、帰る!連れて帰れ!が頻発するであろうし、移動させて新しい環境に慣れるだけの体力があるのか?   とりあえず、年末の病院側の審判が出てから本気で考えたらいいかとは思うが・・・・ なんだか、昨日が疲れた・・・”
18
大学受験も後半戦突入(^-^)
“16日の保護者会。今までに何回も聞かされていた私大受験料35,000円の話。何回も受けるお子さんは20万、30万はあっという間ですと先生が言う。夜、長男に「ところで私大は何コ受けるん?」と聞いてみる。 「1コやで。」 「どこにするんか決まったん?」 「同志社やめて立命館にするかも。この前の模試、立命館はAやったし、ここは確実なところのほうがええやろ?」 「ふ〜ん、立命館の工学部って草津やで。草津まで行くん?てかな、同志社の場所も知らんやん。どっちも行ってへんやん!」 「夏休みに行っとけばよかったわ。」 とりあえず、お金の段取りがあるから入学金と授業料をネットで調べる。 聞いてはいたけれど、今さらながら、理系と文系の授業料の違いにたじろぐ。かなりちゃうしぃ・・・( ̄▽ ̄;A こんなんで院まで行ってもろたら困るし。是が非でも国立に行ってもらわな、次に続く次男坊は私大確定やねんし・・・ この日、持ち帰った定期試験の結果。前回より席次をあげている。我が子ながらこいつすごい!と思った瞬間。 「俺のクラス、数C、99点がいてるねん。」 「へぇすごいなぁ。そんなん居てたらクラスで1番は無理やわなぁ。」 でも、長男、95点。これを見た、娘は「あんた、頭おかしいんちゃう!?」とのたまう。ある意味、頭おかしいわな。 この点数にモチベーションが一気に上がった長男はこのあと、鼻歌まじりで勉強していた。どこから見ても受験生の苦悩を感じさせる欠片はなく、えらい楽しそうに勉強してはりますねぇと言いそうになるぐらい。 思わず、 「もうさぁ、私立は考えんと国公立の3本立てでええのとちゃうん?」 「ん〜〜でも、中期いうたら府大やろ。府大は勉強したいものがないねん。受かっても・・」 あっ・・・ちゃんと勉強しに行くねんや。なら行きたいとこ1本で行ってまえ!   こんな兄貴をそばに見ながら、エレキギターと一体化している次男坊。教科書の代わりに楽譜を愛読中。この前の家庭科の試験、欠点。それも、私がただいま奮闘中のところ全滅。正解がショートステイや小規模多機能ホームとかデイサービスとか・・・あかんやん・・・ まぁな、姉弟3人がそれぞれ思い思いの道を歩くということでよしとしとこうと思わなやっていかれへん。 長男の高校にいくたびにこういうハイレベルな学校の実態を知れることに素直に感謝する。PTAのお仲間にはご主人は神大の教授でご長男は京大生って方もいらっしゃる。世間にはこういうご家族もいらっしゃること、またそういう方々と同じフィールドに身を置けるのはひとえに長男のおかげ。 学歴社会というのは確かにあるしなぁ。世間というのは器で判断する。それは仕方がないと認識をして自分はどういうスタンスで生きるかやな。”
ナーバスな問題の今後の対処に思案。
“今日、義父母のところに行く前、先日の成年後見人申立で同席してもらった社会福祉士さんに経過報告をしにいく。義母の実子お二人ともそれぞれの役所に事情を説明したらすんなり現住所(戸籍の附票)を送ってもらえた。それを添付の上申書とこちらの心情を綴った陳述書を送付済みの状況報告をする。   こちらの状況を把握してもらっているので「僕からいっぺん、家裁に電話してどういう対応になるか聞いてみます」と言っていただく。あちらも突然に家裁から封書が届くとビックリするやろうしなぁ。事務的な内容で後見人の同意を求めるのか、多少なりともこちらの状況を説明してくれるのか、その辺りを聞いてもらえたら助かる。   義母としゃべっていると、ときどき、9つと7つの子を置いて出て来たんやなぁ〜と頭をよぎる。想像するだけではらわたが引き裂かれる思いがする。なんとも言えん。そしてそれから40年たって、母親と離ればなれになった子どもがそれをどう受け止めるのか・・・ん〜私にはわからん。こちらの現状は40年間そんなことも知らされず一緒に生活してきた義父がそれを知ったときの衝撃は半端やないやろうし、義父が生存している間は知らせられない事実。せっかく、今、こちらに移ってきて問題勃発しながらも穏やかな日々を暮らしているねんもん。そんな事を知ったら、義父の義母への愛情も変化するかもしれんし、それによって二人の認知症がぐっと進むかもしれん。でも、子どもの立場はどうなんやろう?って思うとなぁ・・・はぁ・・・”
04
相続権は恐ろしい( ̄▽ ̄;)
“昨日の家裁。申立書類のテンプレートには記載する欄がなかったので書かなかったこと。義母の実子の件。「ご主人以外にお子様はいらっいませんよね?」と聞かれた。ん〜知らなければ、いませんと言えたがその存在を知っているのにいませんとは言えない。「実は今回、この件で戸籍をとると前回の婚姻で二人、子どもを生んでたことが判明して・・・私たちも知らなかったことやし、義父もしらなくて・・・・」と。 「現在の義父母の状態を考えるとこの件はそっとしておいたほうがいいというのがケアマネさんや看護師さんの意見でもあるし、私たち家族もそう思っています。今まで知らなかったことをここに来て知らされると義父のショックは想像を絶するものやし、義父母の夫婦仲もおかしくなっては困るんです。」と。 「とてもナーバスな問題なんです!」と食い下がって訴えた。   が、裁判所というところは無情なところで、そういった心情は一切考慮されず、相続権のある人の同意書が必要とおっしゃる。私たちは実子の存在をついこの間知ったばっかりで今まで一切の関わりもない。が、とりあえず、実子の現住所を調べて提示するという宿題を出される。面談した参与員のおっちゃんは「これはちょっと司法書士さんに頼んだほうがいいかも?個人ではなかなか厳しいかも。どうしても分からん場合は裁判官に直接陳述書を提出して免除してもらうのも方法かもしれんけれど・・・」   いずれは調べないと行けないことやったのでとりあえず分かる範囲の実子の戸籍のある役所(2件)に電話をしてみる。事情を説明する。どちらもそういう事情なら戸籍をたどれば住所を調べることができるので、手数料と申請書を郵送するよう指示される。これで住所がわかれば、なんのことはない。興信所を使うこともなく、個人でもここまで出来るってことやん。成年後見人申立をするというのを義母の弟である叔父さんに言ったときも「司法書士に頼んだりしなあかんし簡単でないやろ?」と言われた。昨日も参与人のおっちゃんには「この資料を作るの、なかなか難しいかったやろ?」と言われたが、難しいというより手間がかかるだけで、一般的国語力があればだれでもできるものやで。   しかしながら、申立資料作成は私、昨日の家裁での面談での回答もほとんど私が対応したけれど私は相続権もないただの人。こんだけ働いても相続権がなけりゃなにも頂けないとは不条理やわ( ̄▽ ̄;A”
9月
26
体育祭&文化祭
“明日は長男の体育祭。3つほど出るらしい。一日おいて土日が文化祭。 最初の予定では土曜日はいつも通りに有馬に行って日曜日に文化祭に行くつもりやったが、昨日持ち帰ったプログラムを見ると、長男のクラスの劇は土曜日。劇たって音響なので見に行っても姿が見えるわけでもない。でも、日曜日に行ったところ、特に見るべきものはなく役員の会議(土日、出れるほうでOK)だけっというのもなんだかなぁ~。 ということで、土曜日に文化祭、日曜日に有馬の父のところに行こう。 前回、くそじじぃに「もう来ぇへんで!」って言ったものの、とりあえず「次は29日な!」っで帰ってきたのを、連絡せず(連絡のとりようがない)29日から30日に日にち変更したら、やっぱり来なんだ・・・と思うやろか?と可愛そうになるが、こんな薬もたまにはええかもしれない。  ”
23
くそじじぃ!っと腹立った有馬。
“3か月ほど前から下の入れ歯が合わず、口の中で転がしていたお父ちゃん。のどに詰まらせるほど小さいものでもないけれど、危険やし、本人に病院に往診に来てくれる歯医者さんに治してもらうか聞いてみる。 嫌!やと言う。 1年ほど前も入れ歯が合わなくなりその歯医者さんに治してもらったが、歯医者さんというのは椅子がウィ~~~ンとベッドになるというシステムでないと治療はできないといいはり、自分の車椅子で大きい往診鞄だけじゃ頼りないと断固と拒否る。 歯医者さんに暴言をはくし、歯医者さんもこの人は診たくない!とおっしゃる。 なので、私が行って歯医者さんに頭を下げ、お父ちゃんをおだてて診てもらった。   それがあるからどうしてもって状況でないなら、私ももうええや~~って思ってしまう。   昨日、有馬に行くとその下の入れ歯が割れてしまったらしく、木曜日に往診に来はった歯医者さんに診てもらったが、やっぱり拒否って家の近所の歯医者に行くときかなかったらしい。歯医者さんも父のことは覚えているので診たくないのか「このままでいいんじゃないですか」ということやったらしい。   で看護婦さんに、「どうされます?」って聞かれる。 「父がいう近所の歯医者さんも高齢で店を閉めてもうないんですわ。他の歯医者に連れていっても同じやし、ここに往診に来はる歯医者さんとはお互い犬猿の仲みたいやし、食事自体、歯がなくても食べれるものやし、実際、噛むこともせず飲み込んでいるだけやし、下の入れ歯はなしでいいですわ!」と即断したる。 「とりあえず、お父さんを説得してください。」と言われる。   説得にかかるが、くそジジィは聞き分けがない。こういうときにボケてたらごまかしごまかしですませられるのにと思ってしまう。 腹立つから 「あんなぁ、私もあっちの年寄こっちの年寄、4人も一人で面倒みてんねん。ごじゃごじゃ、言うねんやったらもうここには来えへんからな!」 家に帰りたいやら、義父母と同じホームに行きたいやらぬかしよる。 「あんなぁ、お義父さんとお義母さんが入ってはるところは、最初に2000万いるねん。どこにそんなお金があるん?ぽんぽん兄ちゃんとこにお金あげるからこんなことになるねん。兄ちゃんらに面倒みてもらい!」 あいつはいっこうもけえへんとかぬかしよる。 「けえへんように育てたんは誰?私の子とちゃう!!あんたの子や!!!兄ちゃんに連絡してもらうから今後は兄ちゃんに見てもらい、私はもう知らん!!」ってぶち切れたった。   そしたらシュンとしてごはん食べていた。 とりあえず、部屋に連れて帰っていつものとおり爪を切って、車椅子からベッドに移してやる。帰り際に「今度はいつ、来てくれるん?」ってぬかしよる。 「29日」と答える私。   こうなると、のほほんと何もせぇへん兄貴夫婦にめちゃくちゃ腹立つ! あいつらはほんま何を考えているのか・・・・”
21
19
今度は水虫ですか?
“おとつい、義父母のケアマネさんから電話。義母の足に水虫ができていると。早めに処置したいので・・・ということで、ホームではいている上履きの洗い替えってありましたっけ?と問われる。 「すみませ~ん、買っていません。今度、買って行きます!あっ、お宝倉庫に散歩がてら義父を連れていって義母のスリッパを買ってもらってください!」 と言うておく。   入居時にはこけたりしてはいけないのでスリッパはNG と言われたが、少し前に散歩がてらのお買いものに近所にあるリサイクルショック”お宝倉庫”で178円のスリッパを購入して気に行ってはいてはる。 義母も足は普通なので同じようなスリッパでもOKということだったので、訪問ヘルパーさんが連れて行ってくれる外出にお宝倉庫での買い物をお願いした。   義母は季節感はまったくないので冬ももこもこ靴下を愛用。夏用の靴下も買って持っていっているがこういう小物はすぐにどこかに姿を隠す。困ったもんやわ。洋服のサンプルづくりを仕事にしていた義母は私が買って行った服も自分が作った!になるが、靴下だけは「みっちゃんからもらったんじゃ!」と覚えている。靴下は自分で作ったことがないから?「靴下をはくときはみっちゃんを思い出すんじゃ」と可愛らしいことをおっしゃる。   だんだんと綺麗、汚いの区別がええ加減になってきているので水虫もできるのか?  ”
17
ほんま何様なん?NHKは・・・
“さっき、私の携帯がなる。NHKから。母の名前で確認されたから、娘です。連絡先は私の携帯番号を書いていますという。母のところの受信料の件でという。 内容を尋ねると、同居ですか?と聞かれるからいえ別のところに住んでいると答えると、同居している家族でないと言えないという。 「いや、電話をかけてきたのはお宅でしょ?」 「お母様の携帯だと思って・・・」 「母に関しては全部私が責任をもってやっているんですわ。だから、受信料も私のカード払いになっているでしょ?」 「契約に関してのことなのでご本人でないと個人情報の問題で・・・」 「いや、おたく、さっき、私の名前、聞きましたやん!私の個人情報はいいんですか?」 「いえ、ですから、こちらの決まりでご本人か同居している家族でないとお話ができないんですわ」 「いや、だからね、電話をかけてきたのはNHKさんでしょ?なにをもったいぶるですか?役所じゃあるまいし、受信料の件っておっしゃいましたよね、支払っているのは私ですわ。母に聞いても話にはなりませんけど。それにこの前のさんざんこの私とNHKさん話されていましたよ。おかしいじゃないですか?」 「そうおっしゃられても言えないものは言えないんです。」 「いや、だからかけてきたのはお宅でしょ?気持ち悪いやないですか?わけのわからん電話をかけてこられて。それに母にはNHKからダレがきても出るな!というてます。母とは話できないんですよ。わけのわからんこと言われて、母がまた鬱になったら責任とってくれるんですか?」 「そういわれても言えないものはいえないんです。」 「だからね、受信料を払っているのは私ですよ。あのね、高齢者の独り暮らしで契約云々の話もままならない状況やと子どもがそこに関わるでしょ?そんなお宅ようさんあると思いますよ。このご時世、なにをかたいこというてるんですか?そんな大層な話なんですか?」   と、ぶち切れる私。 上の者をだせ!と上の者がでてきたけれど、こいつも同じことを繰り返すだけ。   「NHKはいったいなに様なんですか!!!!!」と切れた切れた。 わけのわからん年寄に話してしょうもないこと言いくるめて悪さするつもりなんか!?そう思われて仕方ないオレ様NHK!  ”
12
隠し切れない事実(+_+)
“成年後見人の申立をするのに、義母の兄弟関係を明白に知りたいと戸籍謄本を請求。成年後見人申立には戸籍の提示、提出はないのでこちらで把握できれば必要なかったんやけれど、別件で気になることがあったので出生からの戸籍を取ってみた。   義父母がこちらに来て、数か月したある日の午後、いつもの通り散歩しているときにぽろっと出た話。実は義母は義父と結婚する前に既婚歴があった。そのときは同居していた姑がひどい人で、子どももいないんじゃけぇ、別れて帰ってきたらいいと義母の母親が言ったと。「みっちゃん、おかあさんってありがたいものなんじゃ」という話やった。はっきりと子どもはいないと言ったが、そこは認知症にて微妙。念のために調べておく必要があるというのが目的。   したら・・・こともあろうにうちの旦那とおない年の女の子と二つ下の男の子を生んではることが判明する。戸籍というのは人生の軌跡を突きつけるものなんや。ちょっと怖くなる・・・・本来なら義母が亡くなって遺産相続云々となったときに判明する事実を今、知らされた。わが旦那もびっくりの事実。現在は脳以外は元気な義母。認知症が進んできても今のところ子どもの存在は匂わさない。このまま封印したままで終えるのか・・・子どもの立場としてはいうても血のつながった母親、会いたいのでは・・・と。   とりあえず、このことを義父は知っているのか?がポイントで、義父母の仲人さんに電話して聞いてみた。再婚やということ、前夫の暴力で離婚したことは知ってはったが子どもの存在は知らず、私たちと同様驚く。仲人さんが知らないってことは義父も知らない。仮に義母が結婚したあとに義父にそのことを告白したなら、義父は仲人さんになんらかのコンタクトがあるはず。なんせ、義父にとっては親並みに信頼している仲人さんなので。義父が知らない子どもに義母を会わせるのは至難の業。義父が生存している間は会ってもらうことは不可能かも。   仲人さんの助言で、まずはその子ども達が今どういう暮らしぶりをしているか、どういう人となりか調べてからコンタクトを取ったほうがいいとのこと。確かになぁ~なので成年後見人の申立のケリがついたら、この件にかかる。ん~~次から次へと問題勃発やわ^^;”
10
FBのお友だち承認であらら~~~^^;
“面識のない方●●●●さんから友だち申請が届く。とりあえず、プロフィールを見るが怪しい雰囲気もないし、ネットであれこれしているので基本お友だち申請は面識なくても承認するというスタンスの私は、まっいいか・・・で承認。   したら、半日後ぐらいに高校同窓生の一人からメッセージ。●●●●さんってダレ?と。ん~~それは私がすでに●●●●さんとお友達になっているからか。私から派生していっているのかと不安になり、●●●●さんのウォールを開いていみると、すでに数名、私のお友だちがお友だちになってはる。誰が見ても私から派生しているって図式ですわね。 っでプロフィールのアイコンに書かれた文字に見覚えがある。   あ~~以前、仕事で関わりがあった!ということにそこで気づく。なので、ダレ?って尋ねてきた友だちにそのことをメッセージで伝える。そしたらそのあとも高校同窓生3名から●●●●さんてダレ?って届く。私が思うところのわかる範囲の事情の説明する。私から派生したのかどうかは不明やけれども、とりあえず、間口を広げるという意味での営業目的の友だち申請やろうから害はないと思うとは付け加える。すでに拒否した人、承認しようか迷っていた人、承認した人・・・ そのうち、同窓生グループの管理者である人のところには同窓生から質問殺到やったらしい。   ん~~、FBの友だち申請&承認は自分なりのスタンスを持っておかないと・・・・ FBに限らず・・・   ネット上では写真も公開しているがFB上では写真は出さないと決めている。先日、高校のプチ同窓会に参加したときの写真が同窓生のウォールからタグ付されて送られてきた。他の同窓生のウォールにそれが公開されるのは承認したけれど自分のウォールへの掲載はNG。本来なら非公開の同窓生グループの中で公開されるべきものをそこのやり方がいまいち分かりづらかったので個人のウォールに投稿したらしい。私はタグ付はOKでも自分のウォールは非公開にしたからいいんやけど、そうでない人は自分のタイムラインに写真が掲載されている。   写真については、ネットよりFBのほうが個人が特定される分、怖い気がするので私は支障がないものしか出さない。 実際、私の友だち承認からの派生の仕方をみたら繋がりの繋がりで広がっていくのが、おもろい反面ちょっと怖い気もしたしなぁ。個々の友だち承認に関しては自己責任ということやとは思うけれど、メールで質問があった人には申し訳ないとは一言付け加えた。 ほとんど公開でpostする私はなんでもOKのようやけど、自分の中でのルールは厳守です^^;”
02
新たな懸案事案。
“先週、水曜日に義母をMRIに連れて行ったが、それから数日、義父は義母に病院に行ったことを尋ねては、病院なんて行っていないという義母の返答で旦那に電話してくるというのを繰り返していた。そして最終、朝の3時半に電話をかけてくるという荒業に出たのでホームに電話してみた。   義母は自分が頭のMRIを撮ったことでなんかしら心にもやもやを抱えた様子やったし、だからよけい義父に病院のことを触れられるのが嫌みたいで、義母の嫌なことをすると義母はおかしくなるのに、それをしてしまう義父という悪循環。病院のことに関してはホームの看護師さんがうまく話をしてくれて終了。   その対応のお願いの電話のときに聞いたこと。その前日に散歩に連れて行こうとしたとき、義母は少し便の失禁があったとのこと。お腹の調子がよくなかったようで気づかなかった様子なんやけど、腰のところから出てきていたようなのでその状態が気付かないという点はやっぱり認知症。失禁した瞬間はお腹の調子がよくない状況やったので有りうることとはいえ、そのあとの自分の状況に気づかないところが進行しているのかなと。   また、以前から密かに危惧をしていたことがあったがん~~~やっぱり!という感じ。同じブースに居てはる人で少々気取ったおばさんが居てはる。義父母が一番に仲良くなった人なんやけど、気もきつそうやし気位も高そうなおばさま(当然、このかたも認知症)。いつかこの人ともめるのやないかと危惧していたんやけど、やっぱり!先週、私が病院に連れて行く日もソファに座ってはるその方の前を通りながら「みっちゃん、あの人、気取っとるんじゃ!」と大きい声で言わはった。うわっと思ったんやけど。   病院に行った行かへんの義父からの朝の3時半の電話のとき、「(義母が)人の悪口を大きい声で言うんじゃ」という義父の嘆きもあった。そのこともケアマネさんに伝えるとケアマネさんもそれはご存知のことで何度かその方と義母はもめたらしい。まっどちらも気は強いので言い合いはするやろなとは思っていたが・・・ その方の私の最初の印象どおり。気位が高そうで気も強そうなので何か変なことを見ると辛辣なことを言わはるやろなと思っていたが、義父も旦那も二人が最初にお友だちになった方やしええ人やと単純に喜んでいた。そんな単純にことは運ばんでっと思っていたのは私だけか・・・義父がその方を気にいっているっていうのも義母にはおもしろくないやろうし・・・そのおばさんもいうたら認知症やから、思ったことを口に出しはる。義母も自分のことは棚に上げて奇行をする人のことはぼろくそに言うので、お互いさまというか、みんな大人の対応ができなくなっている点がややこしいわな。この集団生活。 義母一人ならそれなりにワーカーさんが対応してうやむやで済ませられることも義父がいちいち気に病むのでここの対応も大変やわ^^;”
8月
31
久しぶりに見たリハビリで。
“今週は昨日の木曜日に有馬に行ってきた。私が着く時分は運動療法の時間。運動療法の場所にいくと手のマッサージをしてもらっていた。スタッフの女性がお父ちゃんの様子がよく見える近くに椅子を運んでくださったのでそこに座って見ることにする。 ひと通りのマッサージが済んでからその大きい部屋の中を歩くというのがお父ちゃんのプログラム。今までに何回か見ているので。立ち上がろうとする前に先生が私に「だいぶん硬直がすすんで歩くと左足が痛いみたいです。」といい、「ほな、歩いてみよか・・・」と父を促す。 脳梗塞を発症してからリハビリのおかげで左側の腕を軽く支えると自分の足で歩けるまでは回復したのだけれど、毎日毎日その訓練をしないとやっぱり現状維持は難しく、また体力の衰えもあり、昨日のお父ちゃんは両脇を抱えられやっと前に足を出すことができるという感じ。左足も痛いのか顔もしかめっ面。それでも部屋を1周して車椅子に座らせてもらう。 ここだけの話、しかめっ面で歩いている姿はちょっと胸にきた。なんだかなぁ~~~。こういうときに何もかも一人でしている身はそれも自分1人で抱えやなあかんということなんよな・・・・ 心にちょっと傷を負った私に、くそ親父は「わしの年金でちゃんとここの支払はできてんのんか?」って文句垂れる。「できてるがな、誰かになんかいわれれたん?」「お前も頼りないから気になるんや!!」って。なんでやねん!誰が頼りないっちゅうねん!!”
29
初耳・・・
“義母の成年後見人申請をするために、義母は生まれ育った福山の役所に出生から現在までの戸籍の履歴を請求した。手数料3000円分の為替を同封して送ったんだけど、夕方、電話がかかってくる。 結局、3000円じゃたりなくて450円不足。その分の為替を送るよう言われる。そしてそのついでに衝撃の事実になるのか・・・初耳のことを聞かされる。 「おかあさま、大阪市に籍が移っていたこともあるので、そちらにも請求をしたほうがいいかと思います。」と 「えっ?大阪ですか?」 「はい」 「それは何区でしょうか?」 港区なら義父が生まれ育ったところなのでありかなと・・・   「南区です」 「えっ南区ですか!!」 「はい」 「あのそれはいつごろでしょうか?」 「すみません、お電話では戸籍の内容はお伝えできないんです。戸籍謄本に書かれていますので。」 「あっそうですか。それでは、明日為替を送ります。よろしくお願いします。」 と切った。   え~~~~ずっと福山にいてたんやないの?大阪のそれも南区って・・・ 戸籍って怖い(>_<)”
28
NHKというのは何様?
“母のところにしつこく届くNHKからの請求書。今のハイツに転居後、入退院を繰り返していた時の分。その後、私のクレジット払いの手続き済み。 その請求書を送り付けないよう電話した。 最初のお姉ちゃんは「お母様は車にカーナビはお持ちではないですか?パソコンはお持ちじゃないですか?携帯ではテレビはみませんか?」と。 81歳の母親や、老々介護で鬱になりかけて病院通いしているっていうているのに。なめてんのんか? 話が進まんで、その姉ちゃん、担当者から電話させるという。 今度は母のところの地区のNHKのおっさんから電話。病院の領収書を提示しろという。 そんな法律があるんですか? いや、そういうキマリなのです。 そのキマリを私は知っているんですか?そういう提示を今までみたことがありませんけれど。それはえらいNHKに都合のいいキマリですよね。すみませんけど、うちはいまだブラウン管TVでアナログですわ。それに受験生がいてるときはTVはつけないという我が家のキマリがあるのですけれど、そしたらそのTVをつけていない期間の受信料は返していただけるんですか? それはそういう書類を出してもらったら・・・ (どういう書類やねん。我が家は受験生がいてる間はTVつけていませんってどんな書類があるねん。馬鹿たれ!!) あのね、世間ではNHKの受信料支払ってへん人ようさんいてはるでしょ。うちはずっと支払っているんですわ。TVつけていなくても支払っているんですわ。今回も少ない年金生活している母のところの分を私が支払うようクレジットの手続きしているんですわ。それでいいんやないんですか!正直に電話してそれでなおかつこれですか!!正直者が馬鹿をみるってやつですか!正直に電話しやんと、請求書は無視しとけばよかったってことですよね? いや、それは私の口からはいえませんけれど・・・ (とおっさんいいながら、それしか方法はないというニュアンス。) ほんだら、そうさてもらいますわ!!!! と電話を切る。 くそ腹立つNHK。時代は変わっているねん。何様やとおもっとんじゃ!”
27
今頃になって・・・
“先週、有馬からの帰りの母のところで。 父が兄ちゃん一家が来たとかの妄想の件。そこから派生しての兄ちゃんとのメールやり取りを、一応、母に伝えた。 「兄ちゃんところからやと往復500円で行けるねんで。病院バスはただやねんし。私はその4倍や。それでも兄ちゃんは嫁はんが電車代出してくれへんっていうててん。それがお盆に家族そろって行くわけがあらへんやん!!」って罵倒する私。 「へぇ、お金くれへんって言うてたんか?」 「そやで。子どもにゲームを買うお金はあっても有馬に行く往復500円はないねんて!!」ってさらに加速する私。 したらぼそっと 「やっぱり嫁次第なんやなぁ・・・今頃いうても遅いけれど・・・」と母がいう。 今頃か?今まで私がさんざん、ぼろくそにいうても、「4人姉妹の末っ子でお嬢様やから・・・」って白豚の味方していた母。 同じ尼崎内にいてても今年のお正月にお年玉をもらいに来たきり顔をみせない嫁のことがやっとわかったのか?   さんざんうちの親からお金を巻き上げておきながら、お父ちゃんの年金を私が管理しお母ちゃんもお金がないとわかった途端、寄り付かへんってどういう神経をしているのか? 何かあったときにお葬式にやってくるのやろうか?来んでええねんけれど・・・いや、来ていらんねんけど。葬式代を出してくれるなら来てくれていいって言うたろかしらん・・・(^^)v  ”
20
お盆休みも無事に終了!
“昨年もハードな夏でしたが今年もハードな夏です。昨年みたいにこの先どうする?っていうのがないだけ楽かな。事後処理やし^^; 実家の母の右足ひざの痛みは歩きすぎ(といってもしれてる)によるヒビが判明。MRIはすぐにわかるのに、レントゲンは治りかけてきたらぐらいで影が見えるらしい。なので、今後は筋肉が衰えんように体操をしつつボチボチ歩きつつの日にち薬。せっかく治まりかけているのでそのヒビが悪化しないよう、靴の中にいれる中敷きを購入する。13,000円やし。医者の意見書があればあとで1割負担の残りが戻ってくるらしいのでその手続きもする。 が、13,000円支払ったのは私で戻ってくるのは母の口座。このヒザの痛みからの病院付添いでのタクシー代や病院代薬代もすべて私が払ったしな!くそ兄貴はわかっているのか!土曜日に、有馬に行ったらお父ちゃんは兄ちゃん一家が来たが黙って何もしゃべらずすぐに帰ったという。願望からの妄想に違いない。交通費かけて一家でくるわけがない。なのでその夜に兄貴に「お盆に一家で有馬に行ったんか?」ってメールしたがナシのつぶて。行ってへんってことやん!!   そして、義父母はますます認知症街道まっしぐら!義母は行くたびに毛のタートルのニットを着ている。見るだけで暑いやん。散歩に行くからこれに着替えよか~~って言って半袖に着替えさせる。義父も義母ほどではないが季節感がなくなってきている様子。そんな中、半年ぶりに広島の家を見に行ってきた。旦那と二人で新幹線からのレンタカー。60坪の敷地で乗用車なら横に詰めて4台、余裕を持ったら3台は止められる、灯篭やら松の木やらの庭が草ぼうぼうで見事。家の中も埃だらけ。そのままの状況で出てきたから炬燵の上も食べかけのお菓子やら・・・このまま置いていても朽ちていくだけ・・・って感じ。   この日はこの土地と家の購入を考えているご近所さんのお知り合いとの面談もあった。とてもよさげな50代前半のご夫婦。建築屋さんというご主人は水回りに手をいれてと考えている様子。当然、他の部屋の内装はいらわな無理やろうけれど。家自体は30年経過しているし価値はゼロ。土地だけの売買の交渉となる。うちの実家のマンションよりも安い固定資産税ということや、国土省のネットで調べたこのあたりの土地の値段からしても妥当な線での交渉。中のものの処分もお任せする方向でお願いする。とりあえず、もう1回、旦那と行ってこれは!というものを持って帰る予定。この前は写真の整理だけで日が暮れてタイムアウト。なんせ電気も水道も止めているので。   義母の箪笥、鍵がかかっている引出も栓抜きでばりばりとこじ開けてみた。中には指輪やネックレスのケース。開けてみるとどれも空っぽ。中身はいずこ?という状況やけど、それを探し出すには数日かかるであろうという状況になっているほど、ものが氾濫。これが認知症のなせる業?という感じ。次回、それらが運よく見つかれば、それはいずれ義母が旅立つときに一緒に持って行ってもらおうと思っている。そういうものを今度探しに行く。   カメラ好きやった義父の引出から一番高そうな一眼レフのカメラは私が頂戴した。アクセサリー類よりこっちに興味を示す私に旦那はそれ持って帰ってどうするん?っていうが、遊ぶねん!旦那は実母の写真を見つけ、それは大事そうに封筒に入れて持ってかえってきた。半年間、放置していたお仏壇の中には旦那の実母のお位牌が2つ。なんで2つなのかわからんけれど。塗のほうが裏に9,700円って値札がはってあるし。お寺さんに来てもらって供養をしていた風もないので今後どうするかの課題とともに、とりあえずはお位牌とお線香たてを持って帰る。お仏壇の引出の中もわやくちゃやったし、台所の水屋の引出もわやくちゃ。冷蔵庫の中も半年間放置の牛乳。2階の和室の押し入れには何かお返しでもらったタオルなんかが入った箱がようさんある。これらはまだまだ使えるがもって帰るにも嵩が高い。なので、家を買ってくださるご夫婦にお任せすることにする。   義父母が北海道から沖縄、香港やタイに行った旅行のアルバムも20冊以上ある。行った先々での拝観チケットや航空券やらもきれいにはってあり、それぞれに思い出のメッセージが書かれている。それらを持って帰るわけにもいかず、中からいくつか写真を取り出し一つのアルバムにして義父母のところに持っていく予定。衣類や食器や家電は一気に処分をしても胸が痛まないが、こういう思い出の写真や旅行の思い出の置物(気の置物がマントルピースの中にぎっしりある)は、正直忍びない。が、それを私たちが引き取ったところでいつかどこかで処分となるであろう。そう思うと、どこかで思いきらないといけない。と同時に、こういうあとあと処分に困るものは自分の生活でもどうするか考えやなあかんなぁ~と自戒する。   そして売買契約をするにあたって必要な実印。これが義母には作れない。なので早急に成年後見人制度を申請して滞りなく契約できるようにするのが目下のところの作業。そんな作業もあるので家財道具の処分等についてはお任せしたい。それにかかった費用は売り値から差し引くということで話をつけている。相手の奥様はリサイクルショップに持っていけばいくらはお金になるのでは?と提案してくださったが、そのために新幹線代を使って行き来して元がとれるか?っていうたらそれはきっと足がでる。なので、リサイクルショップに持っていこうかどうしようかはお任せでこちらタッチしない。とにかく、このまま置いておいてもご近所さんにも迷惑がかかるだろう。いずれここに住む気があるならまだしもなく、いずれ売却するつもりなら早いほうがいい。   そんなこんなで充実したお盆休みを過ごした^^;”
10
炬燵テーブルもですか?!
“おとついの夜、旦那の携帯にまたも義父の愚痴電話。義母のスイッチが入ったための妄想ともの隠しを訴える。義母が箪笥を開けて「何か取られたものはない?」と義父に尋ねたらしい。   取られたものというか、いろいろ行方不明になるのは義母がどこかに隠しているんやけどな・・・   その義父の訴えに旦那は「病気とはいえ悪質よな。自分が隠しておきながら親父にそんなん聞くか?」という。「病気やねん。しゃ~ないやん。それに悪質はないわ。もっとえげつないこと言われたりするで。とってもないのに財布を取ったやろ?とかうちの嫁は私の財布を取るとかご飯も食べさせへんとか近所に言いふらす人もいてるらしいからな。おかーさんのはまだ可愛い。」と私。   そんな義父の様子が気になる旦那はその翌日、昨日の夕方、仕事帰りに寄ってきた。夕方なのでやっぱり義母のスイッチが入っていて、炬燵テーブルが無くなっていた。天板は立てかけてあったらしく、あんな大きいものは箪笥には入らんとトイレを見るとトイレに隠してあったらしい。 当然、義母は「誰がやったか知らん」と言う。そうこうしながら義父がコンビニに牛乳を買いに行きたいといい、連れていくことになったらしいが、毎度のことながら靴がない。で見つかったら部屋で履き替える義母に「下で履き替えるんじゃ!」って怒鳴る義父。これも毎度のこと。 それに切れた義母は公共のお風呂場に隠れて鍵を閉めて閉じこもったらしい。手に負えなくなった旦那はワーカーを呼びに行きその場を任せ、義父と二人でコンビニへ。帰ってきたら義母は元に戻っていたらしい。   この日曜日の訪問を挟んで2回様子をみにいった旦那は2回とも義母のスイッチが入った状況でその妄想ぶりをまざまざと経験した。その状況においてもなすすべもなく・・・・といった旦那やねんけど・・・・”
06
昨日の義父母。
“昨日の日曜日。 お昼に仕事を終えて帰ってきた旦那。夕方から義父母のところに行く?夕方やったら散歩もそない暑くないやろうし・・・ていう。 うん・・・乗り気があるのかないのかの返事。   16時半ごろに車に乗って向かう。義父母の部屋、正確には義母の部屋をノックすると義母だけ。 「おとーさんは?」と聞くと、 「老人会じゃろ。」と義母。 ふ~~~ん、私はそのまま義母と話し込む。 旦那が隣の義父の部屋をのぞきに行く。命より大事な思い出のアルバム(そこには義父と旦那の写真。義母は申し訳なさそうに団体でのスナップにちょこっと。そりゃ、義母はおもろないわ!)を見ていたらしい。穴あくで!っていうほど見入ってはる義父。   二人がこちらの部屋に来た。早々に寝っころがる旦那。義父曰くにうちの旦那が仕事帰りに寄るといつも寝っころがっている。だから義母に息子がきてもおもろないんじゃ!っていわれる。   お~~い、今日は散歩に来たんやで!って旦那に向かって心の中で叫びつつ、 「おとーさん、散歩に行こうか?」って義父を誘う。 「そうじゃなぁ~神社まで散歩に行ったら気持ちいいじゃろうなぁ~」といいつつ寝っころがっている息子を見る。 「そう、ほんだら行こう!行こう!」って誘う私。 「行きたいなぁ~」と言って、息子(旦那)に向かって「しんどいじゃろ?」って。   なんでやねん!!介護に来とんねん、私らは。動け!と思う私は 「大丈夫やで、おとーさん、行こう!なっおかーさんも行くやんな!!」って強引に進める。 旦那は「しんどないで・・・」っていいながら、まだ寝っころがっている。   さっさと起きて引っ張っていけ~~って思いつつ、 「ほな、行こう!行こう!おとーさんの靴はここやわ。おかーさんの靴はどこかなあ?」って探しだしたところにやっと起き上がる旦那。   息子ラブの義父は息子と歩けるだけでハイテンション。その二人の後ろをちんたら歩く義母と私。 義母は「みっちゃんみて!おとーさんの嬉しそうな背中。」 「ほんまやなあ~」 「私はみっちゃんと步いて嬉しいっ」と可愛らしいことを言う義母。 「おかーさん、私もやで!」って二人で盛り上がる。   普通なら息子ラブになるのは義母でこんな会話もないであろうが、旦那とは義理の仲ゆえ、私にべったりにならはる義母なのだ。 それはええねんけど、ほんま可愛い可愛いで育てられた一人息子の旦那は気を使われることが当たり前で気を使うという訓練がなされていない。言うたらわかるから私はいちいち言わなあかん。前も4人で酒盛りしたとき、コンビニで買ったビールの入った袋を義父に持たせている。義母に「一くんに持ってもらおうか?」っていうたら「一くんにはそんなことはさせたらいけんのんじゃ!」と言わはった。そうやって大きくされた旦那。 2回目のときは何も言わず、義父が持っている袋を奪い取って旦那に持たせた私。そしたら義母は「みっちゃん、そんなことしてええのか?」と。「ええねん。この中で一番の力持ちやから持ってもらう!」と言うた私。 持たせたら別になんで俺が持たなあかんねん!っていうて拒否したりはせぇへん。ほんまにただただ気つかんだけなんよな・・・(ーー゛)”
03
暑さ寒さの認識ができなかったりするらしい・・・
“義父母のこと。義母だけやなく義父も。そんな話を聞いて、二人の部屋に行くと、この暑い盛りに二人とも半袖Tシャツの上に冬の長袖シャツを着て、ボタンまで閉めている。 「え~~おとーさんもおかーさんも暑くないの?」って思わず言う。 明日のデイに行くのにお風呂の着替えを用意していたワーカーさんが苦笑いしながら「二人して寒いっていうて・・・」って。   といいつつ、義父のほうは長袖を脱ぎだす。 私が何枚か買ってきた義母のTシャツが見当たらず、箪笥の一番下(義母のものを入れている。)から義父の靴が出てくる。 ワーカーさんに「半袖があるのは前に見ているからわかっているので、探してみてもらえますか?」っていわはって忙しそうに看護師さんに呼ばれて出て行ったので、義母の部屋の段ボールを開ける。   あるやん!さっき、ワーカーさんがいうてたパジャマの下(これがまぁ、かわいいパジャマを買ってきたのよ、私。私でもちょっと着ぃひんかな?ってやつやけど。)も見つかる。そして別の段ボールには義母の靴が冬物衣料と混じってある。   そうこうすると義父が「みっちゃん、神社まで散歩に行きたいんじゃ。」と。「よっしゃ!行こう!」とさっき見つけていた義母の靴を段ボールから出す。 「みっちゃん、よぅ知っとるのぅ~~」と義母。手渡すとその靴、こたつテーブル(こたつ布団は外し済み)の上に置く。え~~~~そこでおやつ食べたりしますやん!   そんなこんなでてんやわんやで暑いお日様の中に飛び込む!”
01
7月
30
徐々に弱っていく?
“金曜日の有馬の父。ナースステーションに椅子を借りに行ったら「あれ、今日は金曜日やの?」と顔なじみの看護婦さんに言われる。そして「お父さん、熱出ているねん。ちょうどよかったわ。娘さんの顔見たら熱、下がるかもしれん。」と。ん~~いや、私の顔にはそんな特効薬的効能はございません。   っで病室に急ぐ。ベッドに寝ている父のほっぴは真っ赤か。えらい高熱かな?とおでこを触るが、え~~~これ平熱ちゃうん?てな具合。本人、胸の上で指くんでいるし・・・・え~~~死んだん?って思うやん、それ、紛らわしいねんと組んでる指はずして熱を測る。36.9度・・・熱ないやん。頭の下には氷枕。至れり尽くせりやなぁ。   しばらくしたら看護婦さんが来て「血液検査の結果が出たので先生からお話しがあります。」と。え~~~血液検査までしてもらっているん?   先生は今朝、37.2度あって血を摂ったと、肝機能が低下しているのかと思ったがそんな数値もないし、特に問題視する結果はない。ただ、以前からの皮膚の湿疹面でアレルギーの数値が高いと。明日、皮膚科の先生がくるから診てもらいましょうとおっしゃる。   ことのついでに 「ここ1カ月ほど前からやたらろ食べるスピードが遅くなっているんですが、あれはやっぱり年齢のせいで徐々に衰退していっているということでしょうかねぇ?」と尋ねる。 「そうですねぇ、病気(胆のう腺筋症とか・・・)もお持ちなのでその影響もあるやろうし、年齢とともに全体的に少しずつ体力が低下しているのは確かです。」 そっか・・・こうやって徐々に弱っていっていずれろうそくが消えるようにす~~と終わるのかなと、せめてそのときはそばにいときたいな・・・  ”
12
要介護3と要介護2。
“火曜日、ホームに行くと、介護認定の封筒が届いていた。その場であける。 義母、要介護1からいきなりの2段階アップ、要介護3。義父は要介護2を維持。いや、義父は半年前に要支援1から要介護2になったからこのときも驚きやったけれど。今回は義父は見合わせなのでそのままやとは思っていた。世間では介護認定も厳しいらしいが、ホームに暮らしていることもあり生活状況の詳細をケアマネさんが説明してくれはるからかすんなり(?)ステップアップする。でも、ふと思ったんだけど、ステップアップ(これをステップアップというのか、ステップダウンなのか?)すると、お世話してもらえることは増えるけれどその分、支払う介護料も増えるわけで、そのあたりはどこの儲けになるのか?なんてことが頭をかすめてしまった・・・   その義母がその朝4時半ごろ、いきなり生まれ故郷の町(なんかいう町名で忘れた)に帰ると言い出し荷物をまとめだしたらしい。旦那のところには7時ごろに電話。9時半になっても帰るというているという。。なにか問題が発生したときはすぐにワーカーさんに言うようにと義父に言っているが、義母のその様子をほかの人に知られたくないので義父は義母を部屋から出そうとせず、ワーカーさんにいいに行くこともせず。   ホームに入ったころに向かいの部屋のおばさんがあちこちの部屋を徘徊してはわけのわからんことを言うていて、それを義父は「勝手に部屋に入ってくるからみんなに嫌われとるんじゃ」なんていうていた。旦那には「そんなん言うたらあかんわ!そのうち自分の嫁はんも同じようになるのに・・・」 とはいうていたが、今まさにその状態になりつつ義母をほかの人に知られたないという気持ちの義父。わからんでもないけれど・・・・   なので、私がホームに電話して様子を見にいってもらうようお願いする。義父も要介護2がつく認知症なので、義母の対応ができるわけはない。ここがなかなか難儀なところ。ここが大阪であろうと広島であろうとはたまた北海道でもあろうと、どこでもいいやん。そんな細かいことはどうでもいいやん!って思うのに義父はここは大阪なんじゃ!ということを義母にわからせようとする。それで揉め事が起こる。旦那が「おかんにはそれは言うな!」っていうても「これははっきりさせやないけんのんじゃ!」と義父。ケアマネさんにもその話をしておく。そして「一番はっきりさせんでいいことやのに、おとーさんも認知症やからなかなかこっちの話が理解できんとはいえ、二人もひと悶着の原因はいつもおとーさんやもん・・・」という私に「ほんま、自分で蒔いているのにおかあさんの対応にしんどくなってはるもんねぇ。何回も同じことをいわなだめなのでこちらで対応させてもらいます。」とケアマネさん。   どういうシステムになっているのかよくわからんけれど、ケアマネさんはたいてい居てはる。なので何かあったときには電話すれば対応してもらえるから助かる(^^)v”
08
2部屋に分かれる。
“おおかた一ケ月ほど前、義母の妄想によって義父も夜中にうろつくという奇行というのがあり、義母は寝るときだけグループホーム対応のブースの一室を提供してもらっていた。義母は寝るときに別室で寝ていることすら記憶になく、毎夜、「もうすぐ、あっちの部屋にいくんじゃ」という義父の発言に反論したり。そのたびに旦那の携帯がなるという状況が続いていた。義父は義母が別室で寝るとさみしいのであろう、本心は別室に行かせたくないのであろう、話をややこしくしてくれていた。義母が別室で寝ることの理由をケアマネさんにちゃんと説明してもらっているのに、しばらくするとそれを忘れてしまうという繰り返し。   そこで今の部屋から全く違う別の部屋2つに引っ越しをして対応してみようかという話もあったが、結局、今のふた部屋続きの間を仕切って(最初はドアがついてた。)別室扱いにし、ベッドもそれぞれの部屋に置いてみた。今まで居間として使っていた部屋に義母のベッドを移動し、そこで義母が寝る。今まで寝室として使っていた部屋を義父が寝るという形になったん。義父はなんでベッドを移動したんじゃろ?とイマイチその理由を理解できていない様子。ケアマネさんも旦那もその理由を説明しているのに、なかなか新しいことが理解できない。   義母はベッドを移動させたことをどう感じているのか、そこに大きなベッドがあるのに、そのせいでかなり部屋が狭くなっているのに、そのことに関心がないのか、今のこの瞬間だけがすべてという感じ。なんら支障がないからこちらは助かっているんやけど。   義母はこの年代の女性にありがちな導眠剤や睡眠剤を服用しないと寝れないなんてことは全くなく、寝ると朝まで爆睡する。それもこちら側としては助かっている。義父は60代から睡眠薬を服用しないと寝れないというのに。 義母の病気が進行していけば個々に対応しなければならくなるであろうと思っていた。それが早くなっただけの今回の引っ越し。しばらく様子をみてまた何か不具合があれば対応してもらおう。ほんま、これが自宅介護なら物理的な問題でそうそう簡単にいかないでやろうなぁ。そういう点でも高齢者4人抱えていても、やっていけるのはラッキーなことやわ(^^♪”
01
昨日の有馬の父。
“昨日は娘と一緒に有馬。娘が自分の病室に来て、ご飯も食べずずっと父の病室に座っているというお父ちゃんの妄想。願望からの妄想?ここ2,3か月前からちょこちょこ言い出していたが、昨日もそれを言う。「昨日も来てたのに・・・」と。前々から20歳前後の看護婦さんやヘルパーさん、理学療養士の見習いさんを見ると娘かと思ったと言うていたからそれがエスカレートしているような感じ。   加えて、昨日は空襲で家が焼けた話で涙ぐみだす。2カ月ほど前からご飯の食べるスピードが遅くなっていたがそれを娘が指摘する。「ご飯を食べるスピードが落ちているなぁ」と。おかゆさんが大好きやから、もっとゆっくり食べな、のどを詰まらせるでっていうぐらいがっついていたが、ここ2ケ月ほど前からはそのがっつきぶりが影を薄め、ときどき、手を休めてみたりしていたのが気にはなていたが、娘に指摘され、やっぱりそうよなって思う。   年齢も年齢なので年相応のボケぶりが顕著になりつつある?大した刺激もないところにずっといてるからボケへんほうがおかしいとは思うので致し方ない話よなぁ。といってもアルツハイマーのようなボケ方ではないので、テレビのニュースネタは新しいのもちゃんと覚えている。娘にも「今日は仕事は休みか?」と聞いていた。   義父母、父母の中で一番心臓が丈夫な父が年齢は一番上やけど(いうても義母をのぞいて3つ4つの差)、一番長生きするかなとずっと思っていたがここにきて、義父母がやたら元気やし(もりもり食べる。義母に関しては脳以外なんら問題なし。この年齢にありがちな高血圧の薬や導眠剤の服用もない。)、母は脳のMRIでもなんら問題なしで細々と頑張れそう。父は蓋を開けたら結構問題ありかもという状況やし、ここにきて食の進みがおそくなってきているのを見ると、ん~~父が一番最初かな、年齢順?と頭をよぎる。なんだかなぁ・・・  ”
6月
29
放置のお家の今後・・・
“義父母がこちらのきて半年。ずっと放置状態の田舎の家が気になるところ。おおかた60坪の敷地に庭もある。松の木があったりちいさな池もあって灯篭もある、日本庭園風を装いつつの庭。きっと草ぼうぼうであろうと想像するが、どないもこないもなぁ。角家でその庭部分は道路側なので隣のお家に迷惑をかける状況ではないにしろ、荒れ果てた状態やろうなぁ・・と。このまま、おいておいても固定資産税と市民税という維持費がかかる。いずれそこに移住するとかなら手をいれてとも思うが、住む気はない。いずれは売却するつもりなら、維持費やご近所さんに迷惑がかからんうちに手放す方向で動いたほうが賢明だという結論に達した。   これが旦那名義なら話も早いが名義は土地も家も義母名義。認知症ということでそこに売却の意思確認もできない。成年後継人制度の申請をしないとと思いつつ、今にいたる。他ごとにばたばた時間がとられなかなかそこまでまわりません・・・   義母は今居てるところが自分の家だと認識しているので、家の売却の話なんて混乱するだけで不要。それに、先日も義母の国保の引落の通知が届いていた。本来なら事務所に届いた郵便物は義父母に渡す前に旦那か私が確認してからとなっている。行政関係の書類を直接渡されて紛失してもえらいことやし・・・そういう約束になっているんやけど、事務所の中にボンクラちゃんがいてるようで時々、義父に渡してはる。その国保の通知も義父が「みっちゃん、これが来とるんじゃ。」と見せてきた。「おかあさんの国保の引落の通知やねぇ。おかあさんの通帳から口座引落の手続きをしたから・・・」と私。「そうか、そしたら、これ持って帰ってくれるか?」と義父。「うん、じゃ預かって帰ります。」という会話の間、義母は一切口をはさまない。自分の何かっていうのはわかっているであろうがそれが何かわからないから黙ってはる。   自分では理解できない話になると何も言わなくなるのが徐々に増えてきている。半年前まではそういった手配を全部私がしていることに関して「みっちゃんも大変じゃのぉ~」っていうていたのに、まったく口を挟まないようになってきているんよなぁ。今月は繁盛亭に落語に観に行くなんてものあって、それはそれで別料金が発生しているが、それについては義父は「2,000円が二人分なんじゃ」と気にしはるから「うん、ここの分と一緒に請求がくるからおとーさんは気にしやんでいいよ。」というが、義母はそこにも口を挟まない。ちょっと前は「みっちゃんに任せていたらいいんじゃ」というていたのに。   もともとが役所関係やお金のことは義父が管理していたようなのでよけい手離れが早い?ここにきて体重が4キロも増えたからか、動作も鈍くなってきている。これは病気のせいもある?なにもかもがスローモーなんよなぁ。もともとがせっかちできっちしりしぃの義父は年々、それが増幅されているようで、義母の反応にいらつきっぱなし。それでも半年こっちにいて義母はすっかり慣れた様子、義父は微妙な線を残しつつも慣れつつある?とりあえず、二人の様子も落ち着きつつあるので、週2回のホーム通いを週1と週2ペースの交互ぐらいにして、事務処理の時間を作らないと先にすすまへん・・・    ”
21
家族葬でも・・・
“大変立ち入ったことを伺いますが・・・っと先日亡くなられた近所のおばちゃんの娘さんに聞いてみた。 「ごめんねぇ、今後の参考のために・・・」とお葬式等にかかった費用。そしたらそこまで聞かせてくれていいんですか?ってことまで教えていただく。それはちょっと置いといて、家族葬で必要ないものは遠慮してそれでも100万かかったとのこと。   先日のお通夜・お葬式と参列させてもらって、本当にお見送りしたいと思う方々だけでこじんまりしていて、私はすごく良かったと思っている。親族だっておばちゃんの兄弟はすでに他界しており、その子供の甥っ子姪っ子のみ。親密にしていた甥っ子姪っ子なら声をかけてもいいやろうけどそうでないなら声をかけることもない。なので親族はほんとうに娘さん一家4名だけ。おまけにお通夜とお葬式の二日間とも使われた会場ではほかのお通夜やお葬式もなく、おばちゃんとこだけ。だからよけいじっくりと向き合えた感じでほんまに良かった。   我が家においても旦那は1人っ子なので義父母のときは親族といえば我が家の5人だけかもしれない。こちらに連れてきてからホームにときどき顔を見せてくれる義父の妹にあたる叔母さんや義母の弟にあたる叔父さんには声をかけて、そこから先はそのお二人にそれぞれの兄弟の新密度で連絡有無は任せるというのが妥当かもしれない。   私の父母に関しても現時点では兄弟はいてるし、どちらの兄弟にも私は連絡をとれる距離にあるのでそこらは知らせななぁ~と今のところ、元気に過ごしている両親4人の今後をあれこれ思案する。いや、突然というのはてんやわんやでホンマに大変そうやったので、先日のお通夜・お葬式は。なのでどちらかというと娘さん立場でいろいろとご近所さんとの意見調整もさせていただいた。   生きて行くということはほんといろいろ大変やわ。  ”
18
市民税の納付書が届く。
“義父母の市民税納付書が届く。1月1日に住民票が存在していた市町村から届くということらしく福山市から届く。十分な年金を頂いているから市民税も一人前で10万を超えている。うちの父は医療費に100万以上使っているので市民税は数千円ですむ。所得税は非課税で年金から引かれた分、還付されるのに、市民税はそうはいかない。   市民税はその市町村に事業所や家屋敷を所有している人にもかかってくる。となると、来年は住民票のあるココと家屋敷がある福山との二重の市民税となるってことに今頃気づく。固定資産税は形があるものがそこに存在するから納得できて支払ったが、市民税はすでにそこの市民でもないのに家屋敷をそこで所有しているとかかるということで、なんか、固定資産税を支払っているのに・・・と少々不服。家屋敷は義母の名義なのでもしかしたら非課税の範囲かも・・・とは思うが。   それに、1月に二人をこちらに連れてきてから家の様子は全く分からず。庭は草ぼうぼうになっているであろうと思うと近所迷惑甚だしいよなぁ・・・と思案する。2ヶ月に1回でも様子を見に行ける状況ならしばらくはそのままにしておいてもいいが、いずれ売却するつもりのもの。そう思うと、固定資産税も市民税もあほらしくなってくる。ご近所のこともあるし。数年置いておくというのはよろしくないという結論を旦那と二人で出す。売却する方法で動くことになったが、まずは義母の成年後見人制度の申請。日々の生活に追われてなかなか手をつけられずにいたが、重い腰をあげて作業にかからないとあかんよなぁ。   私の仕事が増える一方なんですけれど・・・    ”
16
平和な義母と平和でない義父。
“義母の妄想でしんどくなる義父のために、そして妄想がましになるようにということでおおかた一ヶ月前から寝るときは別々にしてもらっている。義母の妄想にでてくる悪者がそばにいてる義父に移行してしまい、挙げ句の果てに義父を恐がり逃げるという状況が回避されている。義母は毎晩、別の部屋に連れて行ってもらい寝る。(その別部屋の使用料はサービスというとてもありがたい待遇をしてもらっている。)毎晩のことやけど、まったく覚えていない。自分の部屋のベッドで寝ているつもりの義母。   何のために別室で寝てもらうかを何度も説明してもらっているが、いっこうに理解できない義父。これが問題なのだ。毎晩、義父は「もうすぐ別のところに行くから用意しろ」とか、そのために「もうすぐワーカーさんが迎えにくる」とか、義母に言う。義母はその記憶はないから、「私はここで寝てるのに」「そんなところには行かない」とか揉めだす。すると義父は旦那の携帯に電話をかけてくる。「○○(義母の名前、義父も義母のことをかあさんとか呼ばない。だから息子も呼ばない。義母は血がつながりのない息子にに面と向かってお母さんとか母さんとか呼ばれたことがない。義母はお袋と呼んでほしいのに。)が行かんっていうとんじゃ。」と訴えかけてくる。   「だから、親父は何も言うなって。ワーカーさんがちゃんとしてくれるやろ?そんなん言うてても毎日笑って行くんやろ?」って。そうなんよなぁ。行かんっていいながらもなんやかんやうまいこというたら最後は笑って別室に行って健やかに寝るという義母。そやのに心配症で過保護の義父は毎晩同じことをいうてくる。   義母は笑って部屋を出たあとも「今、笑って行った。」と電話。それが、昨夜、その「今、行った。」って言うのを4回もかけてくる。結局、12時前までその電話に悩まされた旦那。   数日前に、この状況を打破するために完全に別室対応にしてみましょうか?とケアマネさんから話があった。今はドアで繋がっている二部屋をそのドアを取り外して、寝室と居間で使っている。それを完全に二部屋にするとなるとそれはそれで渋るやろうけど、寝る時は別々と明らかな状況にすれば納得しやすいということ。   昨夜は義父は「わしが一晩中寝ずに○○のことをみとく」というたらしいが、義母は妄想の世界に入ると義父をも怖がる。男の人がすべて悪者になる。なので義父では対応できない。それがどうも理解できていない義父。   義父自身は義母が別室で寝ることが本心寂しいのもある。物理的な対外的なことは義父がすべてこなしていて義母は義父に「おんぶに抱っこなんじゃ」って言うているが、義父も義母に依存しているのは確か。義母は今はとても平和に過ごせている。問題は義父。1年前、ひとりになると不安になって30分おきに電話をかけてきた義母と同じ状況になりつつある義父。 夫婦二人そろって認知症というのはなかなか厄介・・・(^-^;  ”
11
どんな形でもいいやん。
“近所のとても親しくしていたおばちゃんのお通夜とお葬式に参列してきた。ご遺族は家族葬をとおっしゃられていたが、昨日のお通夜にはご近所さんが15名ほど、今日のお葬式に7名ほどでお見送りをさせてもらった。土曜日に有馬から帰ってきてから、参列させてもらうかどうかの意見調整やら会場までの足の心配やら、あちらこちらと意見調整で気を使って、お葬式でおもくそ泣いて、めっちゃ疲れてお昼前に帰宅。少し寝た。   何か言わな気がすまんという人はどこにもいてるもんで、そんなことわざわざ口に出して言わんでもいいやんということをいう。「これやったら家族葬とちゃうやん」と。一人娘さんの一家4人だけではあまりにもさみしいやろうし、私はちゃんと参列したかったし、こちらから押しかけたような形になってしまったようなとこもある。結果的には私はとてもよかったと思っているのに。   なんどかお見舞いを行ったが、後半、とてもしんどそうで、私に腰さすってやら背中なでてやらうちのお父ちゃん並みのことを言うてきはった。「あんたのお父ちゃんもこんなんいうか?」っていいながら。「いうでぇ。」と背中をさする。「あんたのお父ちゃんはしんどいっていうか?」とかあんたのお父ちゃんは・・・と同じように病院生活を送っているうちのお父ちゃんの様子を聞いて安心したいのか。17年前にここに越してきたときには頼りになるおばちゃんやったのに、すっかり私は甘えられてしまう。そういう年齢になってしまったということか・・・”
10
ん~なんだかなぁ・・・・
“昨日、有馬から帰ってしばらくしたら近所のおばちゃんが来た。私が故意にしている別のご近所のおばちゃんが亡くなられという話があるかほんとう?って聞きにきはった。2カ月ほど前に入院されてからなんどかお見舞いに行っていたおばちゃん。17年前にここに越してきて一番最初に声をかけてくれたおばちゃん。うちのお父ちゃんより2つ下なので親世代の方やけど、電話がかかってくると1時間はうだうだしゃべったりしていたおばちゃん。一人娘さんが北摂のほうに住んではるので、何かあったときはまずはあんたやでと後半は私を頼ってきてくれていた。それは娘さんもご存知でこの火曜日にもうちに尋ねてきてくれておばちゃんの様子をうかがったばっかり。   なので、何かあればまずは私に連絡をくれるはずと近所のおばちゃんは私のところに尋ねにきはった。何も聞いていない。しばらくするとその娘さんが来てくれはった。そして、やはり、おばちゃん、亡くなられたと。   ん~~~なんだかなぁ。火曜日にちょっと具合が悪くなられたのを聞いていたので今日ぐらい様子を見にいくつもりやった。木か金に行けばよかったと悔やむ。密葬で家族装でというご本人とご家族のご意向。親しくしてたであろうご近所さんだけは少し声をかけさせてもらう。うちの子どもたちの年齢もきちんと把握していて、次はだれが受験やとかちゃんと気にかけていてくれた。うちの子どもたちのことも可愛がってくれていた。今夕のお通夜には娘といく。仕事が終わったら旦那もかけつけることになっている。そして、わが身が抱える高齢者4人も元気とはいえいつなんどきというのはありえると実感。   お見舞いにいくと「あんたのお父さんは元気か?」と。同じように入院している立場のお父ちゃんの存在に安心する様子を見せていた。そして、同年代の元気な近所の人がお見舞いにくるのがちょっとつらいような本音ももらしてはった。ということで、ちょっとぐっときている・・・”
08
同窓会があるらしい。
“5月末に、Facebookのメッセージで高校のときの同窓会グループのお誘いが来た。送ってくださった方は女子なんやけど、まったく記憶になく、旧姓をうかがっても記憶にない。同窓会グループに参加させてもらう。お~~~知った名前を見つける。というても女子は結婚して苗字が変わっているのでいまいちわからず、男子ばっかり。それに私が仲良かった女子はFacebookをしていないようす。   てなことで懐かしいの男子に友達申請をしてみた。なんせ、結婚してレアな苗字に変わっているのでメッセージで旧姓を明確にする。下の名前で覚えてもらえていることに恐縮する。私はといえば、手元に卒アルバムもないし記念のマグカップの記憶もなく、自分の古い記憶だけが頼りに旧友を深めている。アルバム、たぶん、ここの押入れの中やと思うが、ひっくり返して出す時間もなく・・・^^;   高校を卒業して30年ということで11月に同窓会もあるらしい。Facebookのおかげで同級生とネットで再会というのも時代の流れやねぇ。しかし、みんな結構ええ大学に行ってはったんやというのを発見。自由な校風が売りの学校やったし、次男坊と同じ標準服で制服規制も緩かった。なのでめちゃ楽しかったけれど、それなりにみな勉強してはってんや。   それに高校のときはおとなしいかった男子がやたらネットではおしゃべりになってはるし、外国暮らしをしている人もいてる。30年の月日はみなを立派な大人にしてはるわ。いっこうに成長してへん私はどうなんや?と思うが・・・まっええか(^^)v    ”
03
体重の増加・・・ええのか?
“金曜日、義父母のところで。看護師さんが体重計を持ってきた。まずは義父。「55キロ」他人さまの体重を聞いてもそれが適切なのかどうかいまいちピンと来ない私。 看護師さんが「次はおかあさんよぉ〜」と。 コタツに首まで突っ込みながら私に話を聞かせてくれていた義母。「私?ん・・・よっこらしょ・・・」と起き上がる。体重計に向かう義母の背中に義父がつぶやく。「よ〜食べとるけぇ、太っとるじゃろ。」と。 壁に手をついて体重計に乗る義母。「おかあさん、手、離せる?」と看護師さん。そして「53キロ」と。それが多いのかどうか、適切なのかどうか、私には不明。ただ、義母は私より背が多少小さい。ただ、その年代の体重はそんなもの?とも思うし。   そしたら看護師さんが「あれ!えらい体重増えているよ。つまみ食いしてる?」って聞く。「えっ前はどれぐらいやったんでしょうか?」と私が聞く。「ここに来たときは48キロやったんよ。」えっ5ヶ月で5キロ増えているんや。え〜〜〜いいん? 「すんません、ちなみに父は?」と聞いてみる。「おとうさんは1キロ増えてはるわ。」1キロは許容範囲よな。なんせ3食きっちり食べてはるし。こっちに来る数年はたぶん出来合いのものやお菓子ばっかりやったから、栄養面でもばっちりの食事をしてはる。ただ、それだけでいいと思うのにやたら間食が多い。お昼ご飯を終えたばかりやのにお菓子をよ〜さん食べはる。   義父は昼も夜の量が多いからご飯を少なめによそってもらっていると言うているが、義母はそんなのこともなくぺろっと全部食べるんじゃ・・・と義父は言う。義母、ご本人はまったくそんなことには感知なし。   体重計を下りながら、「このお腹がいけんのんじゃ!」という。私のお腹を触って「みっちゃんはすっきりしとるなぁ。私はこの中に入っているんじゃ。」っていう。「え〜〜おかあさん、その中に赤ちゃんがいてるん?」「そうじゃ」 もう〜〜どないやねん! そんな冗談炸裂の中、真面目な義父は素知らぬ顔。 しかし、このまま体重が増加していくのはよろしくない。今度、ケアマネさんに会ったら尋ねてみよう。   ちなみに有馬のお父ちゃんは42キロやし。足の筋肉もなく・・・ココロが痛くなる。”
5月
31
20
体育祭一発目終了!
“昨日は次男坊の高校の体育祭。2週間前から準備、1週間前から午前中授業、午後準備という気合いの入れ具合。夜は8時までは学校開放で準備や練習。それからまっすぐに帰っても9時半、たまにご飯を食べて帰るとかで夜の11時前後の帰宅。さぞかし、おもしろい体育祭であろうと期待して9時ごろ到着を目指して家を出る。体育祭開会は8時半。   お天気もよろしく、9時ごろに学校に着いたがすでに保護者席ブースは満席。その後ろのネットも1重の人。ちょっとした隙間に身を滑らせる。とりあえず、次男坊は午前中に3つ、午後から1つ。午後からは綱引きやったので、午前中で帰るでというていたがので午前中はここに張り付いて観る。   棒引きとクラス対抗リレーと応援アトラクション(ダンス)に出場の次男坊。クラスの男子8名ってこともありたぶん出番が多いかも。どれもこれもえらい必死にやっている。1年から3年まで縦割りで4つ団に分かれて競い合う。3年生が1、2年を引っ張っていく、生徒たちで作り上げていく体育祭でなかなか見応えがあった。   とくにメインの応援アトラクションがすごかった。アトラクションはどの団もダンスでそのあと応援パフォーマンス。これがすごい。団長は羽織袴やったりするわけで。男の子ならこっちに憧れるかも。高校の体育祭とは思われへんぐらいの観覧席の数。保護者はもちろん祖父母やら兄弟やら、そして卒業生もよ〜さんで、私の後ろは4重5重になっていた。来年はもうちょっと早めに出てこやな。   結局、1時間押しで午前の部は終了。私は学校をあとにする。次男坊は体育祭終了後、後片付けをして(生徒たちの観覧席は丸太でこしらえたスタンド仕様になっている。)団の有志でご飯と食べに行って11時前に帰宅。学年で一クラスの学科で3年間、クラスも担任も変わらないので、団には参加してクラス以外の人と交わるように云っていたがちゃんとやっているやん(^-^)   次は9月にある長男の体育祭。ここは体操服ではなく衣装を作って仮装体育祭てな感じの華やかなもの。今年はシンデレラらしい。大抵、3年生は女子のドレスを基準にキャラクターが決まるからお姫様王子様系になる。こっちはこっちで別の楽しみがある。子どもの体育祭もあと3回(長男1回、次男坊2回)となるとなんだか寂しい。”
14
めでたし!5月\(⌒▽⌒)/
“黄金週間の直後に控える私の誕生日、母の日と5月前半はめでたい!   そして、昨日の市民祭り。娘の彼氏がダンスを教えている生徒さんたちが市民会館での舞台発表に出演するというので行ってきた。当初は私、ひとりでいくはずの予定やったけれど、ええ加減娘の彼氏にも会うべきやでと旦那も連れ出す。というても、仕事を途中で抜けて彼らのダンスだけ観るという流れ。   どんなことをやってはるかをちゃんと知っておくべきやと、まずは第一段階を踏んでおこうと。彼が教えている生徒さん達のダンスのあと、ダンス教室を主宰している彼と彼の友だちのダンスを拝見する。   「右の帽子をかぶっている子やで」と旦那に云う。真剣に観てた様子。くそ真面目な旦那の義父やと、わけのわからんことしているヤツはあかんとでも云うかもしれんが、その点、旦那はそこには何も思わない様子。   今まで、娘の彼氏に会わずにいたのは、ただただ、何をしゃべったらいいのかわからん・・・っていうだけのことなので、彼についてどうのこうのもないわけで、ダンス終了後、会場の外で生で対面する。とりあえず、ご機嫌よろしく会話していたので第一段階クリア。   彼らのダンスの前に彼氏のご両親とも偶然に会い、初対面のご挨拶を済ませる。   ダンスのあとは、義父母のホームが同じ駅なので、そこに行き、母の日プレのお洋服を進呈する。別に母の日にこだわらずに買ったんやけど。これからの季節の洋服を持ってきていないので、これからはそれらを買いそろえていかないといけない。   そんなばたばたの中でも、自分のことはちゃんと押さえるという末っ子の私は、iPodTouchを購入したもんね\(⌒▽⌒)/それも64GBのん。娘はそんなにいらんでっていうていたが、次男坊が3月に自分のお小遣いで買ったのが64GB。やつには負けられへん!  ”
06
GWなんて嫌いだぁ〜〜(⌒-⌒)
“というとこ。 さして何の予定もなく・・・・いや、あったあった!3日の夜はCavernClubでビートルズナンバーを堪能させていただいた。ついでのその翌週に誕生日の私は、同じくその前後に誕生日を迎えはる他のお客さんと一緒に、ハッピーバースディを演奏してもらい、グラスシャンパンを人数分プレゼントしてもらう\(⌒▽⌒)/次男坊は未成年にてアルコール抜き。   5日はいつもの土曜日のつもりで有馬に行ったら、帰りのバスがないというハプニングに遭遇。しゃ〜なし、阪急バスで下山。けったくそ悪いからエビスタ西宮で買物をして景気づけをする(^-^;   有馬では、お父ちゃんを車椅子からベッドに移したあとの車椅子に私は乗ってみた。運転してみた。私は両手が使えるから右も左も自由に曲げれるが、左手と左足が不自由なお父ちゃんにはこれが至難の業と知る。それでも最初の頃は右手と右足だけで車椅子移動をしていた。さすが、小さいわりに骨太のおじいやと感心。   車椅子に座る私にお父ちゃんがまたもいう。「そこに座ってたんや。ちぃ〜ろ(娘の名前、はひふへほが母音になる。)昼も食べんと夜も食べんと黙ってそこに座ってて、あいつはいったい何しにきたんや!!しゃ〜ないからわしが看護婦さんにいうて車を呼んでもうて帰した。車で帰ってきたやろ?」「いつの話やねんなぁ?」「この前や!」と、願望からの妄想かなんか知らんけど、会いたいんか?ちぃ〜ろに・・・。また仕事が休みの土曜日に一緒に来るやん・・・   そんなこんなのGW。終わった〜〜〜\(⌒▽⌒)/”
04
お寺で酒盛り(>_<)
“昨日の朝、7時半ごろ、旦那の携帯に義父から泣きの電話。義父が部屋から出ているときに部屋の鍵をかけて(ふた部屋を中のドアで行き来しているのでドアは二つ、その二つとも)30分ほどやっさもっさして、結局ワーカーさんに合鍵で開けてもらう。中に入ると義母はトイレに閉じこもって、例の義兄を怖がっている。ということがあったと、情けない声の義父やったらしい。   午前中で仕事を終えて帰ってくる旦那と午後から様子を見に行く。二人が居てる部屋に入る前にワーカーさんのところによって2人の様子を聞きに行く。運よくケアマネさんが居てはったので今朝の義父の話をする。   すると、義母と同様に義父もおかしな行動をしていることを聞かされる。先日の夜の騒ぎ以来、またそういうことがあったら義母はワーカーさんが常時しているグループホームの方の空いている部屋で寝てもらう段取りになっていた。が、義母が拒むので、義父母たちのブースの公共スペースの居間のソファーでワーカーさんが一人待機するという方法を取ってもらっていたらしい。そこに2晩続けて出てきたのは義父。1時間置きにその居間に顔を出すという行動。おまけにワーカーさんがちょっと席を外した午前1時ごろ、下はパジャマで上は服、頭には帽子をかぶってエレベーター前をうろつく義父。その間、義母は1回も姿を見せなかったのでたぶん部屋で寝ているのであろうと。   1時間ごとに出てくる義父にワーカーさんが「どうかした?」と尋ねると「いや、別に」と部屋に戻る。義母なら理由を述べる(それが意味不明なことでも)のに義父は「いや、別にいいんじゃ・・・」といつもごまかすらしい。ん~~義父の認知症も進んでるよね・・・ということでとりあえず、旦那と二人で部屋に行く。   しばらく雑談をしてから、散歩に出ようと促す。それでいつものコースで義父が今日は息子が居てるというので「ちっちゃい缶ビールを買って二人(息子)で半分・・・」となんやらつぶやいている。っで、今日は特別なっでコンビニにビールを買いに行く。ちっちゃい缶ビール1個どころか350MLの3本買っているし。私はジュースをかごに入れる。それを持って近くのお寺の境内で酒盛り。結局、義父は義母の缶ビールも横取りし、1本半以上を飲んだ計算になる。   「4か月ぶりじゃぁ」と嬉しそうやからええねんけど・・・   とりあえず、昨夜は問題なく寝たんやろか?とそれが気になる。しかし、義母の異常行動だけやなく義父までも。夫婦で認知症っていうのはほんま難儀なこっちゃ。   広島に保留中の義母名義の家と土地の固定資産税は1年分支払ったが、義父名義のお墓(先祖代々の墓ではない)の使用料の請求書とともに年2回の清掃の案内が届く。使用料は750円なので別になんら支障はないがとりあえずこちらの事情を説明しておいたほうがいいやろうと旦那にその封筒にあった連絡先に電話してもらう。事情を説明すると清掃も任意なので不参加でも構わないとそしてもし名義変更をするなら簡単にできるからと言われたらしい。   それなら、とりあえず旦那の名義に変えておいたら今後対処しやすいので義父にその了承を取るように旦那に言う。義父はすんなりOK。旦那は「おかん名義の家と土地の固定資産税は振込をしたから」とついでにいうと、「えっあれわしの名義じゃろ?」と義父。うわっこんなことも忘れてはるということにびっくり。家も土地も義母名義に変えてはるちゅうねん。だからややこしいなっているのに。まぁ、お墓だけでも動かせやすくなるからええわ。あの家も土地もあのままの状態でだれか引き取ってくれたらいいのにと思う私。手放すのにそれなりに固まったお金がいる。その労力と手間と費用を換算したら±ゼロにちかい価値やもん。大阪にあれだけの家と土地があるなら別やけど・・・正直、対処に困るっていうところ。義母の兄弟がほしいっていうならそのままの状況でいいならで無償で進呈してもいいぐらいやと私は密かに思っている。しかし、そんな人もいてないやろうなぁ。   お墓にしても入ってはるのは旦那の実母。それも分骨して。そこに順番からいうと義父、そのあと義母。そこで三角関係ってどう?あかんあかん。それにそのまま置いておくと私たちのあとはうちの長男に墓守がかかってくる。旦那はその土地で生まれ育っているから馴染みがあるが長男なんて馴染みもくそもない。ただただ長男というだけでそんな遠方の墓守をしやなあかんという縛りはないやろ。先祖代々というならまた話は別やろうけど。それも、私たちが元気なうちにきれいにしといてやらな。死んでからあれこれ縛るのは私の流儀に反する。”
02
いらつく義父。
“義母の病気(認知症)が治れば家に帰れると思っている義父は最近イラつき気味。ちょっとした義母の動作に注意および叱咤する。そして義母はこそっと私に「お父さんはすぐあんなこというじゃろ?私もひがみたくなってくるんじゃ、みっちゃん」と言う。「ほんまやなぁ、知らん顔しとき。」と私。   妻として母としてできて当たり前のことを要求する。とてもささいなことなんやけど、そのささいなことができないようになっている義母はいちいち小言を言われるのは苦痛。義父も認知症にて義母の状況を理解しろというのは無理な話とは思うが。認知症でなくても、男というものは嫁さんがそうなるとそれをきちんと受け止めるのがなかなかできないらしい。たま~にそれをきちんと受け止め献身的な介護をしはるご主人もいてはるようやけど、そういう人は稀なんやろうなぁ。   先日、それ、またもめる原因になるでと思ったポケットアルバム。「これがなくなると警察を呼ばなあかんのんじゃ!」というていた義父。案の定、そのポケットアルバムを持って「助けてぇ~」と部屋から飛び出してきた義母。それを追いかける義父ということがあったらしい。義母はさみしいねん。義父が大切に思うもの(一人息子もそう)にやきもちを焼いてみたりするわけや。大切なものなんやからどこかになおしておこうと思うわけや。それが義父にはまたどっかにかくした!になる。   義母の義理の兄への妄想はワーカーさんの中でもいったい何があったのか?と思われている。私も思うが・・・スイッチがはいるとその義理の兄が出てきて怖がる、挙句の果てに義父のことを義理の兄に見えて怖がったり、誰もいないところを指さしてあそこに隠れていると言ってみたり、かなり妄想がひどくなってきている。義理の兄に見られて怖がられる義父もたまったもんではないといえばそうなんやけど。一番信頼しているはずの義父のことをそう思ってしまうところの義母の深層心理も気になる。   義母の妄想は薬を変えてみることで多少なりとも改善できないかお願いしてみた。    ”
4月
30
夜中の徘徊(>_<)
“今、旦那から電話があった。ケアマネさんから電話があったとのこと。義母は夜中に徘徊しているらしい。何回も。それも例の義兄(義母の腹違いの兄。すでに他界ずみ)が通帳を盗みにくる!とよその部屋に逃げ込むらしい。広島にいてるときはそれで近所に逃げ込んでみたり、パトカー10台呼ぶ騒ぎを起こしたり。   2人で入っているホームは同じ階にエレベーターホールを挟んでグループホーム型のお部屋もある。義母が一人で入居したならそちらに居たほうがいいであろうという感じではある。っで、ケアマネさんは義父も寝不足気味で参っている風やし落ち着くまでそちらで寝てもらいましょうか?と提案。   そして、今、また旦那から電話。親父と話したけど、義母の夜中徘徊は1回ぐらいでと別に堪えている風でないらしい。ケアマネさんの話とちがうやん。まぁ、義父も認知症やし1回だけというのはわかっていないだけのことやろう。そのあたりの詳しい話をお昼過ぎにホームに行って聞いてこなくてはいけない。   しかし、その義兄に対してよっぽど嫌な印象をもっているんやろうなぁ。最終、認知症になった養母(義母の実母)を家から追い出したという人物らしいが、それもどこまでほんまなのか。当事者には当事者の言い分もあるやろうし。心の奥底の思いが妄想となって出てくる様子は義母と接しているとひしと感じる。   うちの子たちとそう馴染みがなく、うちの子らは義母に対してはかなり距離感がある。私の母には小さいころから私の代わりに幼稚園の遠足に付き添ってもらったりやったので、自然とばあちゃんと呼ぶが、義母にはそう呼ぶ機会がなく今でも呼ぶ機会がない。なのに、義母はうちの子たちに「ばあちゃん、ボウボ(帽子のこと)を買って!」ってせがまれた話を何度とする。願望からの妄想。   わが旦那がおふくろと自分のことを呼ぶというのも願望からの妄想。うちの旦那は面と向かって、おかあちゃん・おかあさん・おかんなど呼んだことがない。よその人と話すときにそう呼ぶことがあっても本人にそう呼んだことはないという。これは義父にも原因があると思うな。義父は私たちに義母のことを話すとき名前で指す。義母が私たちに義父のことを話すときはおとうさんやじいじと指すのに。義母に面と向かっておかあさんって呼ぶのは私だけ。   義母の深い願いはほんまの家族になることやねん。わかったれよ、男ども!”
29
絶交やて・・・(^^ゞ
“昨日の有馬。 「次は5日に来るわな!」と私。 「何曜日や?」とお父ちゃん。 「土曜日やで。ほれ、あんたの息子(ここ1年以上有馬に顔を見せない不届きもの兄貴。)の誕生日や!!」 「あいつとは絶交や!!!」とお父ちゃん。   絶交ってあんた、友達やあるまいし。それもいうなら縁を切るとか、マンションはやらんとか、とちゃうかぁ~~お父ちゃん。当然、喪主は私やしな、お父ちゃんの十八番の"黒田節"をBGMにワンカップ大関をいっぱい並べたる!と思った次第でございます。   昨日はリハビリテーション総合実施計画書にサインをして、控えをもらって帰ってきた。入院当初は126点中80点というポイントを稼いだのに、ここに来てぐっとレベルダウン。前回70点台が今回は62点とまたもポイントダウン。一番得点が高いのは6点の食事と社会的交流。右手が使えるので口にものを運ぶのは自立。理解、問題解決、記憶は5ポイントとまずまず。半身マヒによる更衣、トイレ等点数が低い。食欲があって認知具合はまずまずなのが救い。   先週、頭のMRI検査を受けた母は昨日の午前中、行きつけの内科医の先生にその検査結果を聞きに行ったとのこと。MRIの結果はアルツハイマーの影も脳梗塞の影もない、なんら問題はないということで頭痛は心療内科的なものか肩こりかその程度のもの。とりあえず、よかった。母まで手のかかる状況になられる(いまでも一応私が保護者ではあるが)と私は身動きがとれない。とりあえず、あちこち助けを借りながら一人で生活ができるということでよかった。   両親二人がこんな状況なのに・・・・山の上で絶交や~~~と云われた兄貴はいったい何をしているのか?”
27
昨日の健康診断。
“「この10年間で体重が10キロ増えたり減ったりはありませんか?」と聞かれる。妊娠出産でも10キロも増減せなんだ。「ありません。」と答える。診察のとき、聴診器を当てながら首をかしげはる。「ずっとセキが続いたりしていませんか?」と。「ん~年明けからセキが続くっていうたら続いています。」「それは1年中ですか?」「いえ、毎年、冬に風邪ぎみっぽくなったらそれから春先までセキが残っていたりします。」「血を吐いたりは?」「ありません。」   血を吐いたらすぐに病院に行くやろ?普通。 こんな会話で終わった診察。渡されたカルテ(それを持って最後のレントゲンへ行く)には"異常なし"。なんや、クエスチョンマークぐらいつくんかと思ったのに。なんやねん!結局、身長が微妙に伸びていた(旦那は縮んでいた)だけで別段問題なし。あとは即答できない血液検査と尿と胸のレントゲンの結果まち。   意外にも旦那の血圧が私並みやったことに驚き。マヨネーズを一人で消費しているし、義父も高血圧症やし、旦那の血圧は高めやないやろか?と踏んでいたので、本来なら喜ぶべきが正直なんや・・・と。マヨネーズの消費を食い止める理由になるのを期待していたのにあかんやん(^^ゞ   問診では、母方の祖父母が二人とも癌でなくなっている、その部位を聞かれた。しらんわ。私、小学生やったし。その子(母とか叔母)たちも別に癌になっていない。もうちょい踏み込んだ健診を受けてみたいものやわ。昨日のは無料にて贅沢はいうたらあかんけど。あとは自腹で受けなはれってことですわね。”
26
365歩のマーチ♪
“先日のホームでのこと。 デイサービスかホームでもらった歌集。歌集といっても手作りの冊子。中身は昭和の歌。それを見ながら義母と二人で歌う。 "365歩のマーチ"を気分良く歌っていたが、「3歩進んで2歩さがる」に食らいついた義母。 「せっかく進んだのになんで戻るんじゃ、のう、みっちゃん!」と。 同意見の私も「ほんま、もったいない!」「そうじゃなぁ、この歌詞はおかしい!のう、みっちゃん」と2人で文句を垂れつつ合唱。"高校三年生"では、主人公は自分たち(義父母)という設定で嬉しそうに歌う義母。義父のことが大好きでよかったなぁ~とほほえましく見ているが、これ、2人っきりになって、義母のおボケぶりに切れ叱る義父のことは『しらない人』となり、「助けて~~~」とワーカーさんのところに逃げる義母なのだ。   この日は昭和の歌合唱のあと、3人で散歩に出かける。栄養ドリンク(本当に栄養があるのかどうか・・・?)がやたら好きな義父のため、栄養ドリンク探しツアーに出る。自販機探しの旅。それがこの界隈には義父が好きなそれがなく、違う種類のもの。たいてい、そういうのって茶色の瓶。「これがそうじゃろか?」って聞くから「うん、たぶんそれやと思うで」っていうが、それがやたら大きい。5,6台めの自販機であきらめた義父はその大きい栄養ドリンクを3本買う。私も持たされるが、私・・・炭酸あかんねん・・・っで頑張って半分ぐらいは飲んだが義母も「下がしびれるぅ~~~」て騒ぐから、2人で残りを溝に流す。義父は見ているようで見ていない、気がつくようで気がつかいないってタイプなので、私たちの行動には見えていない。   目的を果たした私たちはホームへ向かって帰る。途中、神社に寄る。いつもお賽銭10円を義父から渡される。手を合わせるわけやけど、そのあとに義父は毎回、「わしはお金も持ちなれるよう頼んだんじゃ・・・」といわはる。私は内心(もう、ええやん!)って突っ込む。 認知症の2人を連れての散歩もだいぶん慣れてきた。車びゅんびゅんの道を横断するときは、二人の手をつないで、「死ぬときはいっしょやで!」と言う。死ぬ気で付きあわな・・・・これから暑さがひどくなるまでは散歩に連れ出す日々やろうなぁ。なんせ、部屋に3人で居てると私がそばにても夫婦喧嘩勃発しかけることが増えてきた。私への遠慮がなくなってきたのと2人のボケぶりが増したのもある。特に義父は覚えていることとそうでないことの差が激しい。これは脳血管によるものやないやろか?義母のように全体的なものではない。だから、はっきりいうてややこしい。自分はまともやと思っているから義母のボケぶりを叱咤しはる。そして、知らない人がいてる助けて~~と逃げられる。悪循環や・・・(>_<)      ”
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一身上の都合により・・・。
“一昨日の夕方遅く、某宗教の方がやってきた。この地区で取りまとめているという女性(上品で賢そう)の方を連れて。以前からお願いしていたその宗教からの脱退届けの件。なかなか脱退させてくれないことで有名にて4、5年かかった。私の意志は固いちゅうねん!!   組織としての正式な脱退届けもない。なので近所の人がExcelで作って来たそれには、その教えに納得がでけへんって説明したにも関わらず、理由は一身上の都合とされてある。そんなことどうでもいいから、住所と指名と印鑑を押して渡す。印鑑はフルネームの認め印。フルネームの認め印はこれにちゃんと私が承諾したという確固たる意思表示の意味で学校提出のものにも時々押す。どうでもいいのは名字だけの認め印やけど。   この期に及んで、「紹介者(母)に脱退のお知らせをしたい」とおっしゃる。「要支援1をもらってなんとか生活している母にそれをするってどういう信仰なのか疑います!」とはっきり云う。母は娘のためによかれと思ってしているのはわかる。それをわざわざお宅の娘は脱退しましたでと知らせなあかん道理がわからん。それについてはかなり怒り気味で云うたので、とりあえず母には「云わない」と帰りはったがどうなんでしょうかねぇ。     最後に、「こんなん云うのはあれやけどお母様のお葬式はその宗教ので・・・」とおっしゃる。「いや、母はわがままいうて家があるのに別のところに部屋を借りて住まわせている。その家賃はこっちもちや。母の葬式をするお金はない!」という。 「そのうちこの宗教をしていたからよかったとお母様を見て思われるときがくると思います!」と食い下がっていうから、「それはない!」と有馬の病院に父を入れたいきさつやら父の実家との確執を軽く説き、だからお宅の宗教には納得ができんと吐く。「それで一番大変な思いして根もあげず、折り合いつけて泣き言も云うてない私には母も別の宗教をしている叔母も何も云いません」ともいう。   最後の最後に「いずれまた目を向ける日がくるかと思います。」と云わはるから、「100%ないですわぁ。」と宣言する。仮に何かを頼りたいと思ったときには、いろんな宗教を調べてどれに納得するかで選定する。まぁ、そんな面倒臭いことせぇへんと思うけど。   別に誰が何を信じて信仰しようが個々の自由やからかまへん。ただ押し付けるな!ということ。どこに引っ越そうとここから外れられない宗教と行き先々で待ち受けているのに正式な退会届けがないのはどういうこと?   別の宗教の叔母も最近やたらとその教えを言い出す。それも母と3人で居てるとき。脱会届けを持ってきたお二方にもその情景の話をして、「こんなんいうたらあれやけど、私からしたらその情景って滑稽なんですわ。」なんてことも云うた私。叔母のいうてることは分かるけど、別にそれはわざわざそこに入らんでもいろんな本を読んだらええことやし。 基本人に考えを押し付けられるのも一つの思想に染まるのもそういう中での仲間意識も苦手な私は「いらん」の一言で終わりで、めでたしめでたし(⌒-⌒)”
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ビールはもうええ!
“昨日もまた雨模様の有馬。ここ何週もいまいちの天気。 そんなことはさておき、半年に一度のカンファレンス。病室でお父ちゃんの爪切りの最中に看護婦さんが来て「カンファレンスが始まるので」と声がかかる。土曜日にお昼ご飯を食べるディルームが会議室。婦長さんが「頭のCTの結果はこのあと写真を見ながら説明します。」と。   「はい、ここに来るときに『なんや、わし、頭悪いねん』っていうてましたわ。『頭は前からわるいやろ!』っていうて来ました。」と私。「えっ誰もご本人には検査結果はいうてないんですがねえ」と主治医。「いや、頭のレントゲンを撮ったからやと思います。」   っで始まったカンファレンス。半年前より左手の固まり具合が進行しているようなことや、それまでは支え無しでも歩けていたのが今は独歩は難しい状況、食事の飲み込み時のどに詰まりかけているのに次から次へと口におかゆさんを運ぶ(いやしいねん!)とか、左の注意が鈍くなっているのでアプローチをしているとか、そんな話を理学療養士の3先生がおっしゃる。   丸坊主でいつもニコニコしている介護士のお兄ちゃんは 「ここにくるときに、何か希望はあるか聞いたら『ビールが飲みたい』というたはりました。」と。そしたら婦長さんも「外に連れ出すとか下のロビーとかでノンアルコールのビールなら・・・どうでしょう?先生、栄養士さん」と言わはる。 「他の方の目にふれなかったら・・・」とか「ノンアルコールなら」とか、理学療養士さんやらは言わはる。   なんでやねん!アルコールの飲みすぎで脳梗塞になっとんねん。今さらビールもないやろ?!と思う私は、 「この時はよくてここではあかんという聞き分けができないのでビールは一切なしでいいです!!」と答える。 「娘さん、しっかりしてはる。それじゃ、ビールはなしということで。」   そして、髭剃りのこともネタになる。 「相変わらず、髭剃りはしょっちゅうしてはります。同室の方が髭剃りの音に敏感でないのでなんとか支障なく・・・」と婦長さん。 「申し訳ありません。髭はもうないやろ?っていうてもしょっちゅ髭を剃っていてよ~肌傷めんなぁとは思うんですが、暇つぶしやしそれぐらいは希望をかなえたいと。いくら壊してもなんぼでも買って持ってくるでと思っているので、よろしくお願いします。」と私。   どんな会議やねん!ビールと髭剃りやで! と、ひと通り終わってからナースステーションでCTの写真を見せてもらう。 2年半前のCTと比べて硬膜下に血腫か水腫がみられるという所見。これによって左手の硬縮が進んでいる可能性もなきにしもあらず。月1で往診に来られる脳外科の医師(主治医は内科医)に診断を委ねたところ、年齢的なリスクもあるのでいますぐ手術というより経過観察が妥当だと思われるという所見。ご家族さんはどうされますか?と問われる。   うちの病院には脳外科の専門医が常駐しているわけやないのでそこを心配され脳外科の専門医がいてる病院に移されるご家族さんもいてはります。とのこと。   今とりたてて本人が苦痛を訴えているわけでもないし、年齢的な面での手術のリスクを考えるとこちらで穏やかに過ごさせたいと思っていると言う。脳以外に胆嚢腺筋症あるいは胆嚢癌の疑いもありつつそれも経過観察状況。それを手術したところで左半身マヒが改善されるわけやない。本人は左半身マヒが改善され家に帰って介護なしで生活できるようになるなら手術も納得して受けるであろうがそうでないなら必要ない。   そんなこんなの有馬。このあと母のところに行き頭のMRI検査につれていく。こちらの結果は1週間ほどしたら通院している町医者に郵送されるらしいので結果はそのとき。   しか~し、いったい何をしているのやら?クソの役にも立たへん兄貴夫婦。  ”
19
少々アテが外れた。
“ちょっと語弊があるか・・・ 昨日の義父の心臓エコー検査の結果は、心臓そのものは何ら問題ない。それどころか年齢の割には上出来!問題は大動脈弁。それに伴う血管の状況が危惧されるが、それも今のところは様子みぃでいいでしょうと。今年に入っての2回の発作も、心臓のこの状況では心臓の発作とは考えられない。ニトロも必要ないねんけどなぁ~と。心配なら神経内科ちゃうか?と。   義父は義母のアルツハイマー具合がストレスになって心臓が痛くなるというていたが、それなら心療内科やろと思っていた。その通りの診断やん。ていうか、義母だけがストレスの原因でもないと思うが。本人の認知症具合を本人が受け入れらないところも気に病んでいるのとちがうか?   狭心症って聞いていたから問題は血管やと思っていたが、こうもはっきりと年齢のわりに上出来の心臓やと言われると、へぇ?てな感じの旦那と私。そりゃ、油もの、甘いお菓子が大好きな義父やもん。80越えて、丼ものやカレーライスが食べたいという。魚と鶏肉は嫌いで牛肉が大好き。まぁ、血管に血栓ができたら脳梗塞や心筋梗塞もありうる(てか、すでに脳血管の認知症もあり)ので、ホームの食事と血をさらさらにするお薬で当分しのげるって話。   そんなんで、まぁ、良かったやん!で予定より早く終わった病院を出て、うどん屋さんでお昼を食べて大阪城散策に行く。たったと步く義父の後ろ姿を見て、当分大丈夫と確信する。マジで私たちのほうがやばいかもよ?ってことで、来週、健康保険組合の健康診断に行く。私は手術を受けるたびに一通りの検査をしているので、検査項目を見ると別に受けんでもいいねんけど、旦那を受けさせるため一緒に行く。初めての健康診断に怖がってはる。なんせ、生まれてこのかた骨を折ったことも体にメスを入れたこともない。唯一、3年ほど前指先を2針ほど縫うたそれだけ。20針以上は縫った痕を持つ私は何が怖いのかわからん・・・意味もなく血圧あげよるんちゃうか?と危惧する。   大阪城散策中、ず~としゃべりっぱなしの義母。のど乾かへんやろか?と心配する。絶好調の義母だけど、ホームに連れて帰ってケアマネさんからびっくりすることを聞かされる。土曜日のディサービスで、トイレに行った義母。そこから外に出てしまって行方不明になったらしい。スタッフがあわてて付近を探し歩いて、結構離れた場所で広島の住所を言うてどういったらいいか尋ねていたらしい。ここは広島やと思っているので町名を言うていたとのこと。たぶん、トイレから元の部屋に戻れず外に出てしまったんやろう。ケアマネさんもホームの責任者もえらい謝ってくれはるが、それも今度の介護認定のときに言うてくれはったらいいし、無事に戻ってはるし、責めることもないので、へぇ~そうなんや!で済ます私。本人もケロっとしているしな。   昨日だって大阪城散策中は今は大阪に居てると思っているが車に乗っている間にすでに広島に瞬間移動しているから。行方不明になったことすらすっかり忘れているからそのあとも何ら支障もなく過ごしている。義母が居なくなったことを義父はトイレから戻ってこれんようになったとしか思っていない。義父も義父で先月、病院の帰りに入ったうどん屋さんに昨日も入ったたのに、前はお寿司屋さんやった!と譲らへん。うどんを食べてお寿司を食べた気になっているから、深く追求せんかてええやんで流す。   ただ、二人とも足腰が丈夫、ぱっと見ぃは何ら問題のないお年寄り。それがええような悪いような・・・昨日も義父の病院の医師は、息子夫婦と連れ合いが付添で来ていることに、義父の状況が心配で仕方がないのであろうという話ぶり。ちゃうねん!義父母はセットで動かなあかん。認知症の義父母を一人で連れて行くのは大変。結局、病院で医師にあれこれ質問したのは私。とりあえずしばらく様子みますわ!と決断も私やん。どないやねん!”
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いよいよ始動!
“先週の土曜は長男高校の進路講演会。今回は代ゼミの方のお話。基本、高校の授業をしっかり聴く。予習復習をする。ということで目新しところは来年のセンター試験の日程等。ここ数年の志望が多い学部等のお話。そして、最後に「この1ヶ月が勝負なんです!」と閉めはった。   どう勝負やねん!?と問いたい。   学校も朝7時過ぎからの早朝講習、平日の放課後講習、土曜日講習と受験に向けてスタート。公立高校の学費無償化ということで、長男はクーラー代やPTA会費や学年費等もろもろ3万で1年間通わせてもらえるというありがたい状況。加えて、無償の講習と学校だけで十分やん。   本人は5月連休明けの公式試合の勝敗によって決まる部活引退まで、部活との両立もあるので学校の講習をフルに活用しつつ、通塾ができるか検討。先日の塾の認定試験(これによって受ける大学別講座となるらしい)では英語は志望校ランクだったが、数学は一つ下になったのもあり、部活引退まではまずは数学を受講したいという。志望校ランクはチャレンジしたらランクアップをはかれるのでそれを踏まえて数学の受講手続きをとる。   火と木は朝6時半に家を出て学校の早朝講習を受けるらしい。塾の受講は木曜の19時すぎから。ということで、木曜日は朝6時半から夜10時頃帰宅までというハードな一日になることになった。大丈夫か?   塾受講の木曜日は小1から習っている書道のお稽古日。物理的に通うことは不可能。本人に「お習字を辞めるか一旦お休みにするか」どうしたいか?尋ねる。本人は「出来たら続けたい」というので、当分はお休みする方向でお習字の先生に電話させる。数学の受講クラスがランクアップすれば曜日が変わるのでお習字は再開できるので、ぜひともランクをあげてお習字も続けさせたい(^-^;   学校に提出する志望校用紙。志望校欄とは別に「ここまでならOK」という欄があった。ここを空白の長男。土曜日の講演会のときに進路指導の先生がこの欄の説明をしていた。「ここまでレベルを下げての受験をする」という意味。そこを空白にしている長男に「ここは書かんでいいん?ここって・・・・」って先生が言わはった意味をいう。「へぇ、そういうことやったんか。書かんでもええんやろ。」と空白のまま。   国立で2校、私立で1校を記載していた長男。学部+学科も書いていたので、ヤツなりにしっかり考えているのを感じる。自分の学力には控えめな評価をするやつがはっきりと意思表示をしたことで生半可な気持ちで受験に臨むわけやない。ということで、私も全面的にサポートすることにする。朝も6時半に出発ならいつもより多少早めに起きてお弁当をしっかり作りまっせ!   長男ということもないが、たまたま兄弟の中で勉強に向かう姿勢がしっかりしているのもあり、大学院まで行きたいなら国公立の選択しかないとプレッシャーをかけている。長男が大学4年、大学院2年となると次男の大学4年と丸々ダブる。ダブルブッキングってやつ。次男が国公立にと思ったら今から血の滲む努力がいる。そんな気は私にも次男にもさらさらないので、次男は私大確実。息子二人で私大同時はかなりキツい。ゆえにあんたの選択枝は国公立のみ!となる。   土曜の進路講演会は長男のための行ったがことのついでに私大文系の状況もチェック。なんせ、次男坊は数学の勉強は1年でおしまい。数Ⅰだけ。私でも数Ⅱ+Bを勉強した。長男はすでに数Ⅲ+Cをやった。そんな状況なので当然国公立は無理やろう。そして私大でも受験可能なん?って不安があった。で、私大文系の受験科目のクダリはしっかり聴く。国・英に公民歴史か数学という選択が多いらし。そんな話を長男にすると、「母さん、今から調べておいたほうがええで」とアドバイスされる。次男坊の学科はたぶんそれを踏まえているのであろう、数学が苦手な子が多いと踏んでいるのであろう、2年次3年次は国英と歴史がしっかりある。今からある程度の方向性を定めておくほうがいいわな。   そんなこんなで高校受験が終わったが、大学受験が始まった!    ”
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桜の季節も終わり。
“金曜日の有馬。 芦屋川の桜は1週前より美しかった♪芦有道路のくねくねが身に堪えるぎりぎりまで頑張って六甲の桜を見ようとしたが、トンネルを抜けると桜の季節はもうちょい先。   有馬の前日、義父母のホームに行ったとき、その日はほんまお天気もよく汗ばむぐらい。ちょうど、訪問ヘルパーさんが義父を散歩に連れ出すときやったので、義母と私と4人でホームのある駅界隈を散歩。途中のお寺の桜の木の下で義父母の写真をスマホのカメラにおさめる。ふたりともえらいええ笑顔をしてはる。なかなかええ写真が撮れてよかった。   それを有馬の帰りに寄った母のところで見せた。目鼻立ちがはっきりしている義母は認知症になる前は、はっきり云うてきつい顔をしてはったのが、今は可愛らしいおばあちゃんの顔。その変貌ぶりに、お母ちゃんはびっくり。おまけに義父とは7つ違いやのにその差は感じられない。どちらかというと義父は年齢より若く見えるのもあるけれど。   この日、途中から叔母(母の妹)も来て、3人でしゃべる。私のあれこれの話に叔母は「そのパワフルな前向きさはどこからくるん?」って尋ねてくる。腹から湧いてくる!とはいわなんだが。「黙ってたらそんな根性あるように見えんのに」とも加えられる。よ~いわれる。   この週は月曜日に近所のおばちゃんのところにお見舞いにも行ってきた。おばちゃんは思っていたより元気そうではあったけれど、手のかかる病気やし今のところ寝たままの生活でそれはやっぱりしんどそう。お父ちゃんより一個下という年齢なので今後のことも気になるところ。りっぱな娘さんがいてはるのでそれは私が心配することではないが、ここに越してきたときに一番最初に声をかけてくれたおばちゃんやし、気になる。   あっちやこっちや気になることだらけ。来週、有馬のお父ちゃんはカンファレンスがある。おとつい、看護婦長さんが「今日、時間ある?」って聞いてきはったが「あっ来週、カンファレンスやな、そんときでええわ」と何か話があるみたい。先月の請求書が届いたが、レントゲンの請求書が添付されていたのでその結果やろな。事態が一転しているのやろか?本人はいたって顔色よろしく、大きいお茶碗いっぱいのおかゆさんは足らんぐらいに食べているねんけど・・・・・ 来週のカンファレンスの日は、有馬のあとは母のMRI。なんや行きつけの内科でときどき起こる頭痛のためMRIの紹介状を書いてもらって近所の労災病院に連れて行く。それが次の金曜日。 その前、18日は義父の心臓エコー検査。 子ども3人はちょっとぐらいのことなら一人で病院に行けるようになったというのに、いつまでも続く病院付添の日々。 桜の季節、桜を愛でることで気持ちが嬉しくなる日本人でよかったわと思う、2012年春ですかね。”
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よかった・・・\(⌒▽⌒)/
“近所の友だちって・・・?80を超えた、うちのお父ちゃんより一つ下のおばちゃん。ここに越してきたときに一番に声をかけてくえて、以後、子どもらのことも気にかけてくれて・・・おかげさまであのとき2歳やった娘も20歳。   なので、あのとき60代やったおばちゃんは80代で、今度は私がいろいろお世話をする番と、ちょっと離れたところにいてはる娘さんの連絡先とか聞いておき、一人暮らしのおばちゃんが困ったときにいつでも云うてきてとなっている。   先月20日過ぎに腎臓がどうもよろしくなく、入院することになりはった。その2日後に娘さんのところに電話をして様子を聞いたら元気そうやったのでお見舞いに行く予定をしていた。私が行く前に、近所のおばちゃんが自分の診察のあと、病室を覗くと誰もいなくて、看護婦さんに尋ねるとICUに入っていると聞いて帰ってきた。なのでしばらく様子を見て、娘さんのところに電話で具合を伺うことにしていた。   近所ではICUってことでよからぬ噂が流れたりしていて、なんでやねん!!って思っていた私。「あんたもいろいろ忙しいのに私の面倒までごめんやで!」と云って、とにかく検査入院とかで2、3日家を空けるときは必ず私に連絡してくれていたので、私が知っている情報が一番確か。なのに、訳の分からん噂が流れている。   てなことで、次男坊の入学式も終わった夜から娘さんのところに電話をしていたがなかなか通じない。夜9時前まではかけていた。その以後は夜に帰ってきて疲れてはるやろうからと遠慮していた。そして昨日の夜、やっとお孫さんと話をすることができ、「ICUからも出て一般病室に移っている」と。「私たちも頻繁に病院に行けないので寂しがっている」と云わはるので、お見舞いに行っても支障ないか尋ねる。「寂しがっているので行ってやってください、喜びます。」とお孫さん。   よかった〜〜〜\(⌒▽⌒)/   なので、今日、生協のあと義父母のいてるホームに行って、帰りにぐる〜と回っておばちゃんに会いに行ってこ・・・”
08
まだ雪が舞う・・・
“有馬。 昨日の芦屋川は、5分咲きの桜を愛でながらの桜祭りが開催されていた。いろいろお店がでてバンド演奏もありの様子を病院バスの中から見る。芦有道路を登っていくとさすがに桜を楽しむにはもう少し先という風情。病室でお父ちゃんの爪を切っていると窓の外に白いものが舞う。下からふわ〜と舞うからゴミかと思ったら、いやいや、空から舞っている大粒の雪。例年ならお花見真っただ中という時期やのに今年のいつまでたっても冬っぽい寒さのおかげで場違いな雪が舞う。同行してくれていた友だちもびっくりの雪。   来週の有馬行きのときには芦屋川の桜はもう終わっているかもなぁ。ここよりもっと素晴らしい桜並木があるねんなぁ。JR芦屋からR2に南下する道。ここは両脇の建物と桜並木のバランスが絶品。芦屋というネーミングにマインドコントロールされている感は否めないが、うちのほん近くの桜通り(って子どもらがいう)に比べると景観の違いで桜並木のグレードが左右されると思うのは、昨日一緒にいった友だちと合致した意見。   入学式も終わって月曜からは息子二人のお弁当も再開。やっと通常の生活スタイルに戻る。今月は長男PTA会議、保護者対象進路講演会、お父ちゃんのカンファレンス、義父の心臓エコー検査、私の眼科定期検診と予定がてんこ盛り。あっちゅう間にゴールデンウィークを迎え、それが明けると私はまた一つ年を重ねる。ぐえっ・・・・よろしくない!めでたくない!   昨日、もうひとつ、塾の説明会に行ってきた長男。自分のことは自分でするという点では兄弟の中で一番自立しているヤツなので、とりあえずの方向性だけ示唆してあとは良きに計らえということで決定権を委ねる。費用については、それだけの価値があるということでOKを出す。つまり、かけただけの結果を出せ!ということで、本人も出す!と宣言しよった。まぁ、ヤツの芯の強さとモチベーションの持続力には信頼を置いている私。自分の能力を過小評価ぎみのヤツの口から結果を出すという言葉ゆえ、重みがある。てなことで、人生初の塾体験に私はココロオドル。私が通うわけやないけれど、私が通ったこともないところに行くのかお前は・・・という気持ちと、通塾生の親ってどんなん?って初経験、しょうもないこととはいえ、何ごとも経験よな。自分ででけへんかったことを子どもを通じて経験させてもらうということですわね(^-^)  ”
06
無事に入学式も終了!
“あの凄まじい春の嵐の翌日、次男坊の入学式が行われた。高校最寄駅から学校までの道にある桜の木も期待以上に咲いていて入学式日和(ちょい寒かったけれど…娘のコート着用にてしのぐ)。入学式は卒業式とちがって30分ほどで終わる。問題になっている君が代も全員起立で歌う。次男で3つ目の大阪府立高校ってことで、同じ府立高校っていうても3校とも雰囲気のちがいを感じる。当たり前やけど・・・   息子二人の高校は長男65期生、次男58期生ということで伝統のある高校。娘は合併して6年目の6期生。伝統のあるなしでも方向性が違うし、立地条件でも雰囲気が違う。つくづく思うが、3人ともそれぞれの個性にあったところをチョイスしたなぁ。息子二人の高校は自主を重んじるっていう点で似たような校風。娘の高校は私立並みに校則が厳しい。長男は制服がまったくないので100%私服登校。次男は標準服ということで詰襟を購入。先生のGOサインが出たら私服登校がOKらしい。   入学式後はホームルーム教室に行って担任の先生のお話などなど。最近は高校の入学式でもお父さんはもちろん祖父母出席ということで保護者のほうが多い人数。次男の学科は全国の公立高校で1校だけでちょっと特殊。各学年に一クラスずつなので、3年間クラス替えもなく、担任の先生も変わらずという説明を受ける。その学科専門担当教諭が3学年合わせて7名ほどいてはる様子。1年から3年までを見てくれはるようで、先生方の目のかけようが濃いように感じる。おまけにクラス40名中男子8名ということもあり、すぐに名前も覚えてもらえるにちがいない。   長男の高校は大阪市内の文教地区にあるが次男の高校は下町風というかコテコテの大阪というかそんな感じなので先生方もわりとへだたりがないようで、末っ子で甘えたの次男にはぴったり。電車の最寄駅が3駅。次男が使う駅を利用するクラスメートが男子で他に2人とのことで、昨日のオリエンテーション登校のあとは3人で帰ってきたらしい。最初に一人が下車、ついで次男、そしてもう一人。府立高校だけど学区指定がないので全国から受験可能で、県外からの子もいてる。その子はこちらに引っ越してきたらしいが。一緒に下校する友達のうち、最初に下車する子は大阪府下から来ているらしい。自分より遠方から来ていることに感心する次男。   12時半終了のオリエンテーションで次男が昨日帰宅したがの14時。今朝、オリエンテーションに向かう次男が「今日はお昼ご飯食べて帰るからいらん。」と。早速、新しい友達とランチですか?!と・・・・高校生になった途端、くそ生意気なことをしよると長男と陰口をたたく。まあ、友達ができたということで喜んではいるが。ていうか、ヤツはどこに行ってもきさんじに誰彼なしに友達を作る。今回に至っては男子8名っていうことで皆すぐに結託するやろ。入学式で見た8名はわが次男も含めて、似たような背丈の似たような雰囲気の男子やったし。ていうか、ほんま学科が特殊なのか次男のクラスに関わる先生方が子どもらを可愛がってくれる様子がひしと感じられた。その入学式後のホームルーム教室でも、親御さんは我慢しているのに副担の先生がポケットから携帯を取り出して子どもたちの様子を携帯カメラに納めていたはったぐらい。ただ、特殊なだけに途中で辞めていく子が一番多いのもこのクラスらしい。   男子より女子は人数が多い分、個性豊か。そのうち、一人雑誌モデルをしている女の子がいてる。お父さんは外国の方。背もたぶんクラスで一番高いかも。男子8名は次男とどっこいどっこいの背丈風やったし。学校中で噂になっているであろう女の子。入学式のときも後ろの席の親御さんが話題にしてはったぐらいやし。何につけても学年で一クラスということで良きにつけても悪きにつけても目が行くんやろうなぁ。   そんなこんなで楽しげな高校生活がスタートした次男。そしてこれから地獄の1年となる長男。ヤツはヤツで高校生活をエンジョイしている。こんなに楽しいとは思わんかったというぐらい。しか~し、自ら、「この1年が一番長くしんどいかも」といいながら、家に居てるほとんどを机に向かっているという状況。娘は「いつみても机に向かっているよな。頭おかしいんちゃう!!」って感心しながらも突っ込みを入れている。「部活を早々に辞めたやつは一日10時間勉強しているっていうてるしなぁ」と。そりゃ時間があるねんし、できるやろ!てか、その子は父親がやっている鉄工所を継ぎたくないからって医者になるっていうて引退前に部活を辞めた子やん。勉強するやろ!とりあえずあんたはここまで部活頑張ってきてんから正式に引退するまでは両立でがんばり!と他人事ゆえなんとでもいえるなぁ的なことを言う。   とまぁ、息子二人がそれぞれ違う高校でそれぞれに楽しげなのは何より。世間では咲き始めた桜やけど、とりあえず桜満開という感を味わう。社会人として働き出した娘も充実した時間を過ごしているようで、子ども達から高齢者に手のかかわり具合が加速しながらのスライド。ん~~~できたら、子どもから離れた分わが身のことにスライドする部分も増やしたい!いや、増やしたろと密かに企む(^^)v”
04
井上陽水の夢の中へが流れた瞬間!
“おとつい、義父母のホームに行ったときのこと。ホーム玄関に置いてある義母の上履き。事務所の人に聞くと、義母は訪問ヘルパーさんに連れられて散歩中。義父一人の部屋に行く。ノックして「おとうさ〜ん」って開けると、コタツ布団をめくっている中腰の義父と目が合う。   ♪探しものは何ですか?〜〜♪のフレーズが頭ん中を流れた瞬間!思い出の品として持ってきて飾っていたウイスキーの瓶の中に船が入った置物。それがないらしい。義母の仕業にはまちがいない。義母に聞いたらしい。「船はお父さんの専門じゃろ(義父はっ船乗りやった。)私は知らん!」と言われたと。「時計が無くなったりもするんじゃ・・・」と義父。   っで二人で探す。   ♪探しものは何ですか?♪ 船の入った瓶! ♪見つけにくいものですか?♪ 見つけにくい!どこにあるかわからん!! ♪かばんの中も机の中も探したけれど見つからないのに♪  ほんま見つからへん!! ♪まだまだ探す気ですか?♪ 探す! ♪それよりボクと踊りませんか?♪ いや、そんな暇ない!! ♪夢の中へ夢の中へ行ってみたいと思いませんか?♪  ん〜〜私はまだええ!!遠慮しとく! と、頭ん中で歌いながら船の瓶を探す。箪笥の中には無かったけれど、箪笥の横にある段ボールの中から見つかった\(⌒▽⌒)/ ついでに、ずっと探していた一番履きやすい義母の靴とシャンプーとリンスも。ということで、夢の中へ行くことなくコタツに入って義父と二人でアイスクリームを食べながら、最近の義母の話をする。   義母は食欲もあり、睡眠も問題なく、ほかの方とも朗らかにしゃべっていると義父がいう。「そうよねぇ、ちょっとモノ忘れ(ちょっとどころやないけど)があるぐらいでおかあさんは絶好調やもんねぇ」と私。義父は義母の病気が治ったら家に帰れると思っているのにすでにここにきて3ヶ月じゃ・・・・という。ん〜〜〜〜治らんのよ・・・とはいえず。そうやねぇ、3ヶ月経ったねぇと応える。   義母がどうも大っ嫌いな義理の兄(母親違いの兄・すでに他界している)が、ナイフを持ってお金をとりにくると言ってパトカー10台騒ぎを、そんなこともあったんじゃ!と義父はいう。(うん、知っている!何回も聞いた!)と内なる私の声。ここにきてもそれをいうんじゃ、わしのことをその人と間違えて助けを呼ぶんじゃ・・・と義父。それはおとうさんもしんどいねぇと私。   いったい、義理の兄妹の間に何があったのかそれを知りたいと思う私やけど、すでにまともに事実だけを話せる人はいないので謎に包まれたまま。どちらのにしても義母の矛先(たいていは嫁やったりするのに)が私ではないのでまっええか・・・と。   しかし、しか〜し、ほんまに思わぬところに隠すというかしまう(?)義母の技にはあっぱれ!”
02
イヤホンピース
“iPodnano のイヤホンピース、それも右ばっかりが無くなる。たいていはちいさなポーチにしまって鞄の中のポケットに入れるが、駅のトイレに行くとかお店のレジ前とかでたまに上着のポケットに無造作に突っ込んだりする。そして、取り出す時にポケットの口にひっかかるのかどうなのか、さぁ耳に入れようとするとない!右のイヤホンンピースがない!   ヘッドホンを買ったときに予備というかサイズ違いで3セットついていたので、順々に右にそれをはめる。なので左右大きさの違うイヤホンピースになったりする。それもまあええやんで済ます私。   昨日、旦那がイヤホンピースがないのでネットで探してというので見つけた。Sony製のヘッドホンなのでイヤホンピースもと見つけたそれはただいま品切れ中。とりあえず、サイズ確認をする。Mサイズを所望する旦那。っで、ちょっと試しに聞いてみる。予備で付いてた分はもうなくなったん?と。するとある。でもMサイズやないと耳にフィットせぇへんで低音が漏れる。たらいう。ふ~ん・・・   私にはそんなこだわりがないので、余っている分をいただく。これで当分、私は安泰(^^)v っで、入荷待ちで注文しとくか聞く。値段は1,280円。え~~高いなぁ~~と渋る旦那。まぁ、確かにイヤホンピースごときに1,280円は高いかもしれんが、Mサイズやないと低音が漏れるとからってこだわるなら1,280円は別にええやん。12,800円とちゃうねんし・・・   思わず、わからんわぁ、その心理。そんなに音にこだわるなら1,280円、別にええのとちがうん?っていうが、返事なし。まぁ、私がお金を出すっていうてるのにイランっていうから別にもうええやん・・・私は余りものが一気に増えてあと7,8回はなくしてもOKという状況やし。ふふん、それに、これの名前がイヤホンピースやてのを知れたからええねん。他にイヤホンチップともいうらしい。”
01
今日から4月♪
“新生活が始まる~~って期待感に満ちた日曜。当然、私のチョコ断ち再開、TV視聴禁止令も再発令。チョコ断ちだけでは足りんかも?って気になる長男の志望校なので、プラス別のものも断つことにする、ストイックな私(^^)   そして、とりいそぎ、冬の間に枯れた葉でえらいことになっているベランダのおりづるランをきれいにする。生命力のすごさはぴか一のおりづるランはこうやって枯れた葉を取り除いてやると新しい葉が出てくる。娘のPiTaPaLiteを解約する。通学利用の阪神電車の学割定期がLiteにしか乗せられず、2年前、旦那名義で2枚目のPiTaPa契約(Lite)をして娘のを家族カードで追加というややこしいことをしていた。   その娘は先週から働き出している。今日からが正式に社会人。長男は高3、次男坊は高1と、確実に成長の証しが目で見える。私はといえば、ん~~。何か始まる?変わる?を思い返してみる。子どもたちの学校のPTA役員は今年度も継続(3年間の自動更新)の長男の高校のソレが私のPTA役員生活もピリオドってことになる。今年度はカクカク云々の事情もあり(まぁ、高齢者対応で多忙ということで)PCでできることの作業を請け負う形になっている。とりあえず、意見交換の場として長さんのご要望で内々だけ公開のブログ設置をさせていただいた。高校だからか、選出された役員さんはみなちゃんと動きはる。小中学校のようなことはないので助かる。   次男坊は学科がらみでいろいろ発表の場があるようなのでそこにときどき出没する私は新しい世界が広がる?を期待しているが・・・そうそう、昨年は6月ごろから広島行きが頻繁になり後半どっぷりそこに足をつっこみ、夏場、懐かしい友人との再会の約束が延び延びになっているので、これは必須にこなす。   本業の仕事をもっと頑張りたいというのもある。義父母の生活も落ち着いてきたし、有馬の父も変わらずの状況。介護のお世話になっている高齢者を抱えているといっても幸いなことに同居ではないので、今のところあちこちの移動を楽しんで対応ができる。時間の配分を考えていこう~~~と子どもが新しい生活に足を踏み入れるのと同じように私も気分一新の4月1日。”
3月
31
ここはどこ?
“と、義母に聞かれる。「ん・・福山!」とニッと笑う私。横で聞いていた義父はびっくりした顔で私を見る。「みっちゃん、かわいいこと言うなぁ」と義母。   きっと二人っきりのとき、ここは大阪!いや、ここは福山!と喧嘩しているんやろうなぁ。不安になった義母は私に確認したんやろう。大阪でも福山でもどっちなとええやん。別に子どもの学校や職場やっていう危惧するネタはないねんし、今、笑えているならええやんと思う私。   義父とはここは大阪にいてる設定での話をし、義母とは福山にいてる設定での話をする。本人がここは福山って思っているならそれでいいやんとは思うが・・・ たぶん、ほんとうに福山?っていう漠然とした疑問っていうか不安を感じてはるのかもとも思うねんけど。義母でないのであくまで憶測。どっちにしても二人とも私のしょうもない話で笑いはるからええんちゃう。笑う門には福来るやし。   てなことで今日は有馬の父のところ。3週続けて雨の有馬ってどう?!”
30
衝撃の事実!
“先日、義父母と散歩に出かけた。義父は毎度のことながら一人さっさと歩く。義母とは腕を組むか手をつなぐかして、ちんたらちんたらしゃべりながら歩く。そこでのこと。   「みっちゃん、おかあさんってホンマありがたいものなんじゃ。」としゃべり始めた内容。うっそ~~~初婚とちゃうかったん?って事実。義母は旦那が9歳だか10歳だかのときに後妻さんとして義父と結婚している。子連れでもなくの結婚だったので初婚とばっかり思っていた。今のいままで。義母が初婚かどうかなんて気にもならなかったから。   いや、3年ほど前、義母の言動がどうもおかしい・・・認知症?とは思うものの決定打がなく、小さいことがちょこちょこ起こっていたとき、今後のためにもと、義母と旦那の戸籍上のつながりを調べておく必要があると旦那の戸籍謄本を取り寄せた。旦那の20歳の誕生日のあと、養子縁組をしていることが判明。そのときに、旦那には義母は初婚?とははっきりとは尋ねなかったが、それらしいニュアンスの話はした。そのときにはうんともすんともなかった旦那。まぁな、人の言葉の裏まで読み取れる性質ではないので・・・・   なので、てっきり旦那も義母は初婚だと思っていると思っていた。初婚とちがうかった!という衝撃事実を知ったあと、ホームをあとにしてすぐに旦那に電話した。こうこうで初婚とちがうかってんでぇ~~とこの衝撃ニュースを伝えたら、うん、そんなこときいたことがある・・・って何とも頼りない返事。まぁ、だいたいがいつもこうなのだけど。自分の親のことやのに・・・そして、子どももいてるとかっていうてたような、ちゃうかったかな・・・とまでいう。だから、何回もいうてる。認知症になった義母のことを全面的にサポートするのに、私たちがどこまで私たちだけの判断で手を出せるか?仮に養子縁組していなかったら、義母のお金を使ってホームに入居させるにも義母の兄弟に了解を得やなあとでもめる可能性がある。旦那が戸籍上どうであろうと俺のおふくろじゃ!と(そんなことを言うてほしい義母)という思いがあるなら別やけど、そんな思いもないのに。中学高校と思春期の一番親がうっとおしい時期に一緒に住んだだけなのでそこまでの思いがないのもわからんでもないが・・・・・・   子どもがいてたらその人に連絡して今の状況を知ってもらわなあかんやん!とはいうが、まぁ、それはないわ。義母の話の中にはいまだかつて子どもを産んだという話はない。その衝撃の事実のときも「子どももいてないんじゃ、そんなとこに戻らなくてもいいってお母さんがいうたから、何もかもおいて出たんじゃ・・・」というていた。今度は義母の戸籍謄本を取る必要があるのか?もぉ~~ほんまややこしい。ややこしい関係ならややこしくてもかまへん、子どもである立場のわが旦那、もっとちゃんと把握しとけよと思う。   義母といえば、旦那に"おふくろ"と呼ばれたくて、その願望が妄想となりいろんなエピソードを聞かせてくれはる。それを旦那に確認するとそんな事実は一切ないと軽く切る。先日の義母の誕生日。おふくろ、誕生日おめでとうって電話でいうたったら喜ぶでぇ~と云うてみる。   すると、旦那はおふくろっていまどき誰も呼ばんやろ!?ってことで却下しよった。別にええねんけどな。みっちゃんの株は上がる一方やから。しかししか~し、ここ近年、私にとっては衝撃のニュースやわ。徘徊して警察沙汰や泥棒騒ぎでパトカー10台呼び寄せた事件より、衝撃やった。   そんなこんなで認知症になった義母からは私が知らなかった事実がぽろぽろ出てくる。おもろいような、怖いような・・・・・・”
25
私の行動範囲がまた広がる。
“次男坊の高校は平野区と東住吉区のキワにある。尼で生まれ育ち、東大阪在住の私にはなじみのない土地。3人の子どもの高校によってこれまた私の行動範囲が広がるというもの。   23日は説明会と物品販売。午前中に物品販売で教科書やら山ほど購入。その一切合切をコンビニからゆうパック発送という技を使った私。高校のプリント説明がいまいち不親切で、念のため、現金は多めに財布に入れていったものの、教科書やら体育館シューズ等々は鞄に常備しているエコバッグに入れ次男坊が持つ。とてもじゃないが、お昼ご飯を食べ、午後からの説明会を終え、1時間ちょいかけて地下鉄で帰路に着くのはちょいと無理がある。おまけに私は帰り義父母のところによる予定やったし、教科書は次男坊担当としてもそのほかのものを持ち歩いてハリボテの網膜がはがれてきては笑えん。   そんなこんなでコンビニでは店舗裏にある不要な段ボールをいただく交渉をして、ことのついでにガムテープまでお貸しいただき、荷造りをする。何も買い物せず、名前のとおり便利なだけの活用は申し訳ないのでお菓子を買って、荷造りのすきまを埋める。てなことでめでたく、教科書等々物品は手元から離れ身軽になった次男坊と私はお昼を食べるためかごの屋に入店。店内は高校のホン近くということもあり同じような親子連れでいっぱい。私は日替わりの昼膳。次男坊は海老天ざるセット。どちらも海老の天ぷらが美味しく、贅沢な食事を終え、お店を出たとき。   南港通りの向こうの歩道に何やらロケ隊。遠目に中川家の二人を確認。「うわっ中川家やで!行こ!」とちょうど青になった信号を走って渡り、ロケ対のそばに。するとな~んと寛平ちゃんと花子ちゃんもいてはる。ちょうどパスタ屋さんの前でのロケ。ロケ中の後ろを通り過ぎながら近寄ったろと思って歩いていくと寛平ちゃんに「ここ、何区?」って尋ねられる。「え~~わからん!」と私。今思えば、そこはたぶん平野区。ひとつ西の道を渡ったら(高校の正門のある道)東住吉区って場所。いまいちの受け答えにここはリベンジしやなとロケの様子を見ていた。寛平ちゃんが私に話かけてきはったからか、スタッフの女の子に紙切れを手渡される。"魔法のレストラン"って番組のロケらしいこと、放送日(4月18日)出演はカットされる場合があるとか書かれている。出演ってあの寛平ちゃんが話しかけてくれたあれのこと?と思うが、あれじゃ、カットもくそもないやろ、はなから数に入ってないやろ。   そんなことより、やっぱりちょっとまともにしゃべりたいやん!って気持ちがむくむく。一通りロケが終わった風でロケバスに向かって歩き出し私の目の前を通りはったとき「寛平ちゃ~ん、この子、高校合格してん!」て叫ぶ。したら寛平ちゃんがこっち向いて、「おめでとう!これからやで!!」って。同時に中川家のお兄ちゃんのほうも「おめでとう!」っていうてくれはる。   てなことで私は興奮を隠し切れず、説明会に出席するべく次男坊と学校に戻る。さすが、大阪の下町よなと思う私は「ここらこんなことしょうちゅうあるかもよ!あんた、次は話かけや!」と次男坊にハッパをかける。娘の高校は山のふもとで田んぼに囲まれ広大なグランドの端っこにはモグラの巣があるという土地。入学早々の授業で教室に蜂が入ってきたときの対応を教えられたという高校。長男の高校は大阪城のおひざ元、文教地区と言われる場所で道路を挟んで北隣にはレベルの高い私立高校もあるしその北には同じくレベルの高い女子高もある。ちょいと気取った雰囲気。そして今回の次男坊。めっさ大阪のおばちゃんがうようよしている町のにおいがする。学校のモットーが大阪で一番元気のある高校!やら大阪を好きになる学校!やら、大阪らしさ満載の高校。三人三様というか三校三様ということで、個々にわが子ら三人の個性にぴったりやとわれながら思う。   本日、説明会でもらったプリント類にあれこれ記入し古タオルで雑巾3枚作製。明日、入学金5,500円を振込み、その領収書を書類に添付したら27日の次男坊登校日に持参する書類完了。次男坊は今週だけが自由。来週からは制服を受け取りに行く(月)健康診断(火)入学式(水)オリエンテーション(木・金)と毎日学校に行く。いよいよ、息子2人が高校生という実感に酔う。今どきの学ランは襟の替え芯もないっていうのも先日の物品販売で知った私。採寸時に学ラン上着をまとった次男坊はなかなか似合っていた。家庭環境的に高齢者に何かあったとき(ご不孝ごと・・・(>_<))に困るのが制服がない長男。ゆえに、あと1年は何もないことを切に願う。てか、4人とも顔色ええしな、あと2,3年は大丈夫やろうと踏んでいる。   翌24日はいつも通り有馬に向かった。かなりの強風の中、病院バスが病院入口の横ついたときには突風に揺れるし、痛いほどの雹にやられた。今年は春の訪れは遅いのかと気になる。芦屋川の桜はまだ冬の雰囲気を漂わせているしな。来週の次男坊の入学式のころに気の早い桜が咲きかけてくれたら式の雰囲気を盛り上げるのに。     そして、その23日の夕方、佐野さんの6月のライブハウスでのライブチケットの抽選結果がメールで届く。チケット、手に入る!4月に難波に新しくオープンするZepp Nambaでのライブ。かなり久しぶりの佐野さんのライブに密かに一人興奮を隠し切れない。てなことでただいまのiPodは佐野さんがヘビロテ。3月から3ケ月連続でビルボードライブでもライブが行われているが、こちらはちょいとビルボードライブっていうことで躊躇。同じライブハウスでもできたらノリノリの方が性に合っているのでZepp Nambaに行くことにする。末っ子が義務教育を終え、娘が社会人になるこの春。3人の子どもたちもそれぞれの道を歩き出した、歩き出しつつある状況に、私も子どもべったりの数年から徐々にフェードアウトの態勢がちょっと加速しつつある?って感は否めないが、まぁ、子離れできないよりええんちゃう?”
21
20
娘の卒業式。
“これで長かった学生生活も終わり。4月からは社会人。入学式は出席させていただいたが、卒業式を遠慮する。私の短大のときは、入学式も卒業式も親の影はなかったし・・・   卒業式を終えた娘からメールが届く。「2年間通わせてくれてありがとう」と。それを見て、卒業式に出て旅立つ姿を確認すればよかったと少し悔いる。が、遅い。   これで一人片付いたという気分。とりあえず、次男も義務教育を終えたし、高校生の息子二人を抱える身となる。長男は勉強と部活とを頑張りつつ、高校生活もエンジョイしていて楽しいみたいなので良しとする。次男も高校生活をエンジョイするであろうと思う春。てか、めちゃおもろそうな学科やしな、エンジョイせぇへんわけがないという次男。   それを横目にこの1年は来春の大学受験を目指して勉学に勤しむ長男になる。先日、有馬の父のところに長男と二人で行ってきたが、朝家を出てから夜帰ってくるまでずっと二人でしゃべりっぱなしやった。ネタは長男の大学受験の話やけど。ヤツの根本的考え方は私に似ているので私がいうことを的確に理解するところが頼もしい。実家の母のところでは、「勉強は好きなん?」って母のしょうもない質問に「うん、物理がおもろい」って答えた長男。思わず、あんた頭おかしいんちゃうか?って言いそうになった文系の私。   てなことで、ヤツは大学4年のあと大学院にも行くつもりらしいということが判明。とても恐ろしい現実(学費)にめまいがしそうになったので、大学は国公立限定で話をつける。   ん〜〜我が家はまだまだ学費の捻出に頭を悩ませなければならない。一人終わってもあと二人いてるやんって現実。頑張るで!”
15
病院付き添いと卒業式。
“月曜日は義父の狭心症の何かあったときように診察券作っとく受診。市の総合病院がホームから近いしええやろとホーム運営の内科医に書いてもらった紹介状を持って8時半に行く。そこから初診外来の受付と初診内科の受付に2時間。そこからホームに迎えに行き、小一時間時間をつぶしお昼前に義父母を連れて病院へ。この日は旦那がいてたので車移動なので楽とはいえ、あんたの親やっていうのに車の運転だけやし。どないやねん!!   内科の受診はすぐに中待ち合いに呼ばれたが、一旦心電図をとりにいってからの再診察に1時間半。あまりに遅いので受付に聞きに行くと「番号札は?」って聞かれた。最初の診察のときに返却しているやんってキレそうになるが、「もらっていません!最初の順番は二診の13番!!」って言うてやる。その前にも義父母を連れてきたと趣旨を受付にいうと「診察券は?」と「返してもらっていません。」「いや、返すシステムになっている!」って内科受付の問診をした看護師まで出てきていう。「保険証は返してもらったけど診察券は返してもらっていません!」「いや、私は渡した!」っておばはんの看護師が言う。「もらっていません!」のやり取り。受付のおばはんがカルテを探して「あっここにある!」って手渡さられる。それだけかい?謝れや!っていうことがあっての番号札。私も切れるでって話しや。   もっときちんとマニュアル化しとけや!偉そうにすなよ!あほんだら!!って心ん中でシャウト!!   義父と旦那は先月の発作の原因を義母の言動がストレスで起こったって言うから、来月にエコー検査。医者は発作が起きたなら今月中にエコーっていうたのを延ばしてどうするねん!それにストレスから発作なら心療内科に行けって話や。なんでもかんでも義母のせいにすな!と怒り心頭や。義母は私がホームに行っていることだけは覚えてはる。そりゃそうやろ、義母に心寄せて対応しているしな。義母の気持ち考えたれや!って旦那に言う。   そして、その翌日、次男坊の卒業式。これで我が家の3人は全員義務教育修了。あとは野となれ山となれ!我が道を我がの足で歩いて行ってくれ!という気分で私は嬉しくって仕方がない。卒業式自体は長男のときについでいい式やった。娘の学年は最低やったのを思い出す。今回は答辞を読む女子が途中、胸にぐっときて止まってしまう。するとステージの上、壇上の校長先生も同じく胸にぐっときて黒いハンカチを目元にあてて涙を拭う。おっちゃんの先生が泣きはる姿にこっちまでぐっとくるやんかぁ。あかんやん・・・って。   なんか全体におぼこい学年やったので、とんでもない悪ガキもいてへんんしほんま可愛らしい卒業式でよかった。娘のときはおまえら舐めとんか!ってな卒業式やっただけに長男・次男の卒業式がまともでよかったと義務教育を終えた開放感を味わう。   翌、昨日の仕事中。ホームから電話。先日の義父の区分申請の結果。要支援1から要介護2と一気にスリーランクアップした義父。電話の向うでケアマネさんも笑ってはる。そりゃ〜笑うやろって話やで。明らかに義母のほうが介護度は上のはずやのに義母を飛び越してどうするねん。要支援1、よくて義母と同じ要介護1になったら利用枠が増えて助かると願っていたから要介護2というのは驚きとともによかったというところやねんけど。   ケアマネさんは支払いが増えますけど・・・と気を使ってはるが、別にそれはかまいませんって答える。増えるって言うても5万も10万も増えるわけやないからええやん。それでご機嫌よろしく過ごしてくれはったらそれが一番。なんせ、義父はデイとか行事ごとに出たくて仕方が無い。暇を持て余している。なのでそれでご機嫌になるなら良しや。義母は実はデイとかにあんまり行きたくないらしいが。そやろな・・とは思っていたが、「みっちゃんとここでうだうだいうてるのがええ」と言うたはる。そりゃそれが一番やろな。デイに行ったらほったらかしにされることもあるやろ。私はホームに居てる間は100%義母に向き合っているしな。そりゃみっちゃんとうだうだしているのが一番やと思うわ。私も数時間だけやから100%向き合える。なのでこの距離感が一番。   とまぁ、今日は昼からホームへ行ってこ・・・  ”
11
ただいまのブームは線を抜く!
“木曜日のホーム。部屋に丸い椅子がある。なんでやろ?って思っていたら義父が隣のベッドルームにその椅子を持っていって、「昨日の夜、これがここにあったんじゃ」とエアコンの下の置く。「いつも寝る前にちょっと部屋を暖めようとしたら椅子がここにあって線(天井近くの壁に設置されいてるエアコンのその横にあるコンセント)が抜いてあったんじゃ」と。そして、「誰がもって来たのかわからんのじゃ」とも。   そんなん仕業は一人しかおらへんやん。当の本人は知らん顔して炬燵に座ってはる。「ほんまぁ?それでこの椅子に上ってお義父さんがプラグ差し込んだん?危ないからこれ、返してくるわ」とワーカーさんのところに持っていく。事情を話す。その最中に後ろから義父がくる。椅子を返して部屋に戻る途中、義父に「椅子、お義母さんが持ってきてはるねん。でも怒らんといてね。お義母さんの病気は怒ったらあかんから」と言う。「この前も非所ベル(やなくてナースコールやねんけど・・・)の線を抜いてベルがなって事務の人が来たんじゃ。それが箪笥から出てきたんじゃが、『見つかって良かった』って怒らんかったんじゃ」と。「そうやねん、怒ったらあかんから。お義父さんも我慢してね」と私。「それがストレスになってわしは心臓が痛くなるんじゃ・・・」と。「そうよねぇ、ストレスになるよねぇ。お義父さんもしんどいとは思うねんけど、お義母さんは自分がやったとはわかっていないから、ほんま怒らんといてね」と部屋に戻る。   当の本人は「どじゃった?」と炬燵に座っている。   で、わかった。 この件、義母は自分が関わっているということを感じていると。わかっているというのではなくなんやわからんけど感じているってニュアンスが一番ぴったりかな。いつもなら、私がワーカーさんのところに行くときは後ろからついてくるのにこの日は炬燵から動かず待っていた。その義母の顔を見て、あ~~これはわかってはいないけれどなんか自分がかかわっていると感じているんやなとわかった。   ここ2週間ほど、冷蔵庫のプラグを抜いたりしているのもあったし、線を抜くというのが義母の中でのマイブームということで下の事務員さんにも報告。ただ、今までは部屋の中のものをどこかに仕舞いこんで見つからないという状況やったのが今回は外から持ち込んでいる。まぁ、公共スペースのワーカーさんが使う丸椅子なのでええといや~ええけど。そのうち、他の利用者さんのものを持ち込むことも考えられるよな。   どちらにしても何か行動するときには義母なりの考えがあってやっていることやから、その心情に理解を示さなあかんわなぁ。ただ、そこに分別はなくなってしまうのが困る点。明日は、義父の病院。持病の狭心症のかかりつけ医を見つけておくための受診なので、即検査入院にはならないであろう。なのに、義父は検査入院する気満々。パジャマと下着を用意している。何かあったときに駆け込む病院がないと困るから、一度受診しとくという説明は何度もしているがそれが理解できないあたりは義父も認知症。義母は5分前のことも忘れてしまうので自分の我を通すこともそうしない。話のもっていきようではどうにでも転がる。義父にはそれがない。まだ自分はボケていない、ばりばりやれているというプライドがあるので、やりにくいったらない。まぁ、明日は旦那も仕事を都合つけて車で4人で移動なので、義父の対応は義父愛息の旦那に任せる。この父子と赤の他人同士の義母と私はお遊び気分で便乗(^^)v   しかし、ほんま次から次へといろいろやらかしてくれはるので飽きない。同じ屋根の下に住んでいるわけでないのでそれを楽しめる。丸椅子事件の次の日は有馬に行ったが、こっちは下は雨やったのが山の途中からミゾレに変わった。どないやねんっていう寒さ。金曜日は帰りの昼の便の病院バスがないので、私は病院を出てから阪急バスのバス停まで山を下る。なんでこんな日にミゾレやねんって感じ。土曜日なら帰りも病院の入り口から病院バスに乗れば(それは無料やし)芦屋まで下りてこれるのに。寒さが身に染みるこの日は高齢者周りには体力と気力と責任感が必要やと実感。2:4:4ぐらいの割合やわな。気力と責任感で体力をカバーって感じやで。   ホームの二人も有馬のお父ちゃんも顔色がとてもよろしいのだ。私よりよろしいのだ。恐ろしくなってくる。そしてホームの二人は手には長生きシミがある。それを二人して披露してくれはった木曜日。エンドレスに続くであろう私の高齢者廻り・・・・に立ちくらみを覚えて一瞬。怖いっ・・・というても、この週、月曜日は雨となんやしんどかったのでホーム行はパスした。しんどいときはパスさせてもらう。無理はしない。お気楽に高齢者廻りをしやな、続かへん・・・・”
06
進路決定(^^)v
“先週1日、次男坊主の合否発表・・・で無事、合格!全国の公立高校で一つという珍しい学科を受験。実技試験に朗読があるし、倍率2倍やし、どうなん?って状況ではあったが、やれやれといった感じ。午前中、球技大会で砂だらけで帰宅。シャワーを浴びて制服に着替えお昼ご飯を食べて家を出たのが13時を回っていた。14時の発表には遅れるであろうとは思っていたが、14時過ぎから次男の連絡を待つ。結局、30分回ったころに「受かってた・・・」と。すでに学校を出て駅に向かう途中から電話。なんか半信半疑になってしまう私は、16時前に合格者用プリント類を見て実感する。   「普通は番号を見つけたらすぐに連絡してくるやろ?」と私。「プリントもらいに行かなあかんかってん。」「何時に学校に着いたん?」「ん・・駅に着いたのが2時やった。」と。   てことは、学校まで15分ぐらいはかかるからそりゃ、14時発表に向けてスタンバイしてはる人がほとんどやったからヤツは一番最後やったんかもなぁ。ていうか、なんでこういう日に球技大会をするねん!って。   そんな状況やので男女比がわからず・・・学科の特性なのか、一クラス40名だけで女子が多い。年によっては男子3名とかもあったらしい。なので男子の人数が気になるところやけど、なんせ一番ドンケツでプリントだけもらって帰ってきたみたいで、「男子は何人いてたかわからん・・・」と。したら、友達の知り合いのご子息も偶然にも同じ学科を受けて合格したとその友達に教えてもらう。とりあえず、男子2名は確定ということやな。学校行事は普通科を一緒やし、普通科は文武両道で大阪市内の公立高校の中ではグランドがやたら広い。なので、高校生活をエンジョイできそう。   我が家の子ども3人とも、それぞれが思うところの高校に進学できてよかったと胸をなでおろす。そんな最中なので影を薄めてしまった、長男の英検2級2次試験合格のお知らせ。外国のお方との面接にて本人「受かった気ぃせえへん。」っというていたが、予想を反しての好成績で気分よく合格。晴れて英検2級保持者となる。が、英語はしゃべれませんな。娘は英検準2級保持者やし、昨年の今頃オーストラリアに3週間短期留学をしてきたが、英語、しゃべれません。なので英検もどうなん?とは思うが、チャレンジするってことでよしとしとく。   そして、日曜と月曜で頑張って、確定申告4人分完了。じい様二人と私のはネットで打ち込んでプリントアウトして郵送。旦那のはe-Taxで送信。税務署からはお父ちゃんや私あてにe-Taxでしませんか?って案内がくる。っがこのe-Taxを始めるには役所に行ってあれこれ手続きをしなあかんし、それ3年ごとに更新しやなあかん。そんなことを考えると旦那だけでええわってなる。相手をみて案内を送れよ!ハガキもったいない!。   てなことで仕事、行ってこ・・      ”
2月
28
ポリデント。
“先週の土曜、有馬の父のところにいくと看護婦さんが「ポリデントが残り少ないねん」と言わはる。中をみると3個。「下の売店で買ってきますわ」というと、「高いから今度来る時でええよ」というので、「でもなくなるで・・・無しでいっとこか・・・・」で翌日、IYネットスーパーで購入。箱に父のフルネームもマジックで大きく書いて用意万端。次の土曜日に持っていく。   したら、さっき、病院から電話。「ポリデントがなくなったから預り金で買っておきましょか?」って。入院したときに急に何か入用のときようにいくらかお金を預けている。こっちで買っていなければお願いするがすでに購入済みやし、先日の看護婦さんとの話を説明して、土曜日まで無しで行くことにする。お父ちゃんも無くなったら無しでええっていうてたし。   ていうか、売店、山までの持って上がり賃が加算されているのか、ポリデントにしてもティッシュペーパーにしても高い。ティッシュペーパーは嵩たかいしここから電車を乗り継いで持って行くのはかなんから売店で買うがポリデントはティッシュペーパー5箱セットが買えるほどの差があるので、それはもったいない。なので買って持っていく。   認知症の義母がいうから本当のところはどうなの?って話。私は入れ歯じゃないんじゃ、お父さんは入れ歯!って話。こっちに連れてくるのににホーム作成の持ってくるもの一覧に入れ歯の人は入れ歯ケースと洗浄剤とあった。なので、旦那に入り歯かどうか?またその場合の処理の仕方を義父に確認するように言う。っで、義父も入り歯なのだが、夜寝るときに歯磨きして入れ歯を外して封筒に入れて寝るという話。え~~いいんか?ポリデントと入れ歯容器を買おうか?と旦那に言うたが、「ケチやからいらん」と。ふ~ん。だからお金貯まるんか・・・・   小さい文字を見るときにかけている老眼鏡も「あれも別に視力を合わせて作ったものとちゃう」と。昨日の眼科でも義母の目。小さい文字を見るときは老眼鏡が必要なはずと眼科医。私に「小さい文字をみることはない?」と尋ねられる。前回、認知症ということを説明ずみなので。「また本人が不自由に思ったら処方箋お願いします。今のところ必要ないみたいなので」と答える。それも旦那がいうには「メガネを買うお金がもったいないねん」って。お金が貯まるはずや・・・   私にはできん・・・(>_<)”
27
眼科と叔母さん。
“今日は義父母を連れて眼科に行く日。義母は先週の診察からの様子見ぃ。先週の金曜日には白目の充血もすっかり良くなっている。義父は白内障の定期検査的なものと2,3日前から左の目頭がちょっと切れたようになっているのでその診察。義母と同じく、義父も視力は1.2で良く見える。加齢による白内障はまぁ予防の点眼も気休め程度に思えてしかたない私なのだけどもらっておく。目頭のほうは抗菌剤の点眼をもらう。それよか、両目ともにまつげが数本入っている状態でそれを取ってもらっていた。眼科の女医さんは「痛かったでしょう?」というが、そこはまったく感じていない、目頭のんはこれが原因かどうかはわからないけれど、念のため1週間後にまた・・・ってなる。   ていうことで先週、今週、来週と眼科通い。そして再来週の月は狭心症の持病がある義父を総合病院に連れて行く。何かのときの道を作っておいたほうがいいやろという程度の受診。   3日前に義父の妹にあたる叔母さんから電話で、月曜日に様子を見に行きたいと連絡。眼科の終わるころ、11時ごろに駅に迎えに行くことになっていたので、眼科の帰りに3人で駅まで行く。叔母さんは10時半には着いていたようで約束の11時になったら私の携帯に連絡するつもりやったと・・・・まぁ駅には10時45分ごろやったので無事に会えてよかったってもん。なんせ、私はえらそうに迎えに行くっていうたものの、叔母さんとは一面識もない。会えるのか?ってとこ。義父が一緒やったから無事に会えてよかった・・・って感じ。   4人で一緒にホームに戻り、会談。この年代のおばさん(70代)に受けがいい私は、義母と叔母の自分の話を聞いてぇなぁ~に応える。叔母さんは老人ホームっていうからもっとじめ~として暗いイメージで来たらしいが、欧風の建物、東向きのベランダから差し込むお日様で明るい部屋などなど、「よ~こんなええとこを探したわねぇ」と笑顔。年を重ねても兄妹にて兄夫婦のことを案じてはる。   ランチの時間には叔母さんと二人で向かいのコンビニでお弁当を買ってきて、4人で昼食。義母は自分の話はするが会話のキャッチボールがどうもかみ合わないので、叔母さんは私に向かってしゃべりはる。その合間をかっさらって義母もいつもの昔話を私に向かってしゃべりはる。てなことで女3人のおしゃべりに義父はつまらなそう。まぁ、しゃないわな。そんなこんなで頃合いに叔母さんを駅まで送っていって私も帰ると出てくる。駅までの道、叔母さんに昨年の夏からの義父母の様子を簡単に説明。義父母の認知症具合も説明。叔母さんは、神戸に居てはる義父の兄に今日の様子を伝えておく、ええとこに居てて安心したっていうておくねと。兄のこと頼むわねとも。あんたも忙しいやろうに・・・とねぎらいの言葉もいただく。1回乗換えで来れるのでまた寄せてもらうと行ってホームに上がっていきはった。   義父母の兄弟はみな大阪や神戸にいてはるので、ここに来てもらったほうが兄弟の交流がもてるようになってそれもよかったであろうと自負した私(*^^)v”
26
心臓発作の原因。
“2週間前と昨日の土曜日、狭心症の義父は心臓が痛くなりニトロを服用したとケアマネから連絡。12日にこちらの総合病院で受診する予定にはなっているが・・・脂っこいもの好き、肉好きの義父は高血圧からの狭心症。ニトロを持っているのはこっちに来てから知る。話のきれっぱしをまとめるとカテーテル検査のあとバルーン処置をしているのでは?と想像する。3か所ほど血管を膨らませているという話やし。ニトロは持っているだけで、「ここ何年も使ったことはないんじゃ」というていたが、ここにきて2週間前に服用。   でも、それ、期限切れ。にて、すぐに看護師さんが主治医に連絡して新しいのを処方してもらう。そして、それを昨日は使ったらしい。デイはお休みはしたが食欲もあり元気とケアマネさんから連絡をもらう。夕方、旦那がホームに行ってその原因とやらを聞いて帰ってきた。   義母に「お宅どちらさん?」と言われたり、「知らない人がいてる、助けて~」とワーカーさんのところに行くのがストレスで心臓がおかしくなるらしい。旦那は「おかん、最悪や」という。ん~~でもな、義母は義母の話を真摯に聞いてうなずいていればそんなことはいわへんねん。自分の話を聞いてくれへんかったり、自分の言動を否定されるとおかしくなりはる。義父は義母のその症状が理解できずいちいち訂正したりするし、義母のうだうだとした話に耳を傾けない。義父も高齢やし義母ほどではないが認知症にて、義父に義母の対応ができるわけがないから難しいわな。   もともと神経質やしストレスに弱い面があるとはいえ、義理の子を育ててもらってんから大目にみたれ!と義母の肩をもってしまう私なのだ(^=^;  ”
24
勇気リンリンみっちゃんマンや!
“昨夕、近所の人が来た。うちの実家と同じ宗教の人。私もそこに籍があるらしい。以前、除籍してくれというたが退会はできんとわけのわからんことをいうから、こっちもいや、我が家は私が教祖で家族4人私の信者、二十歳になったら自動的に脱会、旦那は死ぬまで信者、わたしにはそれは必要ないねん!と豪語する。いや、いつか必要に思うときがくるから・・・て食い下がるから、いや私はめっさ根性あるねん、麻酔がきれているのに目ん玉引き上げられても耐えれる根性があるねん、必要になるようなことは200%ない!とも断言。それ以来、なんら言うてこなかった。   そのときは、なんしか自分のところで脱会者を出したくないのか、その私のカードとやらを母のところに返すって言う。いや、それはやめてくれ、母は私のことを思って良かれとそのカードをこっちに回してきてん、その気持ちは無下にせんといてくれ!というたのにも関わらず、そのカード、母のところに返しよったらしい。お前らは人情はないのか!   昨日は、母が引っ越したこと(いうてもほん近所や)でそのカードがまたこっちに来たと。私のカードはたらい回し状況か!カードていうても名前と住所が書いてあるらしい(見たことないから想像やけど)いうたら、個人情報が書いてある紙(たぶん、紙やろ)やで。そんなもん、あっちこち回すなよ。個人情報保護法に基づいて即刻処分してくれや!昨日はまたそのカードが来たからどうしょう?っていう。   破棄してくれたらいいやん!って私。さっさと破棄しろよ!と内心シャウト!宗教は個人の自由って法律で決まってるやんけ!知らんのか?本人が破棄しろっていうてるねん、さっさと破棄しろよ!おまけに個人情報保護法の観点からもどないやねんって話やないか!とも今度、来たらいうたろ。   昨日は、私が一筋縄ではいかんことを今までの言動で分かっているからか、退会の手続きの仕方確認してまたくるわって。もう来んでええ!破棄したら終わりや!とまたも心の中でシャウト!   そして、それとは別に、こんな会合があるねん、時間があったら顔出してみいひん?って言わはるから、義父母がこっちに引っ越してきて、両親4人とも介護のお世話になっていることを語る。そんな暇ないねん!って話や。そしたら、そう、大変やなぁ、ほんだら余計気晴らしに参加したら?ってきた。気晴らしは存分にしている。先週も東京くんだりまで行ってきたしな。それに別に大変なことあらへん。こんなもん屁のかっぱや!   考えようによっては私の状況で泣きの一声もあれば格好の餌食となったであろう。私はそんな玉ちゃうしな!向かい風が吹けば凛として立ち向かう、勇気リンリンみっちゃんマンや。なめたらあかんで!   てなことで今日はちょい離れている駅まで徒歩で南下してそこから電車に乗ることに決定!こういう気分のときは耳にiPodを突っ込んで、今ヘビロテのブライアンアダムスを聴きながら闊歩する!!”
20
眼科の付き添い。
“結局、昨日は、心配性で過保護の義父が義母の目が赤いとやたら言い、それに反応した義母が目をこすり赤みがますます拡大。ケアマネさんから電話で、結局今朝眼科に連れて行ってきた。義父も付き添いで行きたそう(外に出たいから)やったが、義父は区分再申請のための認定調査で面談の日。当初からそれには私は立ち会わずケアマネさんが対応してくれることになっていたのでお任せして私は義母と二人で眼科へ行く。   駅からホームに行く前に眼科の場所を確認。その後10分ほどでホームに着いたが義母とならゆっくり歩くことになるので余裕を持って出る。結局、20分ぐらいかけて到着。問診票に自分で名前と住所を書きはったが、住所は広島のもの。なのでこそっと受付のスタッフに「認知症なので保険証で住所確認を」とお願いしておく。一通りの検査のあと診察。視力も眼底も全く異常なし。目の赤みは白目の血管が自然に切れて出血しているもので1週間ほどで自然に治るので気にすることはないと。加齢による白内障も目薬を差すほどのこともない。なんら問題のない目ということ。う〜〜うらやまし。私は問題だらけの目やちゅうのに。   なにはともあれ、心配性で過保護の義父もこれで納得するであろうと会計を済ませ、ホームに帰る。念のため1週間ぐらいしたらもう一回診せてねということだったので来週の月曜日も受診する。このときにはついでに義父も連れていって白内障の具合を診てもらうことにする。義父は広島の眼科で処方してもらった白内障予防の点眼を差しているので、今後のためにも一度は眼科を受診しておいたほうがいいやろうしね。   義母はほんとうに義父を頼りに生きてきたのか、病院も一人で行ったことがないようなことを言う。ん〜〜シアワセというのか、それがあだになって認知症になったんとちがうんか?とも思ったり。私なんて右目失明しているっていうのに一人でタクシーで入院して退院してきたというのに。私は認知症になる玉やないような気がする・・・   義父におんぶに抱っこの義母やから、認知症にならはっても可愛げがある。今日も「普通は嫁は姑を追い出したりするのに、みっちゃんは病院に連れて行ってくれて優しいなぁ」と言うたりする。そんな可愛いことを言うからできることはなんでもやったるで!って思うわな。義母の母親が嫁に追い出されたのもあってそんなことを言うんやろうけど。そんなこんなで義母と二人で出かける分にはなんら苦にならず、散歩がてらの眼科往復。来週は義父も連れていくが道中の様子がわかったし、義父は自分も診てもらうとなると自分のことで頭いっぱいになって義母のとこまで気が回らずいらんことも言わんやろうで、まぁいいか・・・”
19
ラーメン、延びてもうたがな・・・(>_<)
“今日のお昼は息子二人とラーメン。(長男は明日から定期試験にて部活休み)さぁ、食べようかというときに旦那から電話。義父から電話で義母の目が赤いから病院に連れて行きたいっていうてる、どうしょう~~?って。   どうしょう~~って今日は日曜やし、病院休みやし、まずは状況を確認してからと、ホームに電話して状況を聞いて電話するといったん切る。ホームに電話するとケアマネさんがいてはり、すでに血圧やら測って対応してくれてはる。そろそやろ、高い管理費払ってるねん(って私のお金とちゃうけど・・)。本人は元気やし目の端がちょっと赤いだけやので目をこすりすぎたか何かやと思うので病院に行くほどのこともないと思いますとのこと。   明日なら私は病院に連れていけるので、明日の朝病院に行った方がいい状況なら電話くださいと言うとく。+うちの実家の父もしょっちゅう目をこすって赤かったり目ヤニがでてるけど私ほったらかしやしなぁ~ともいうとく。   義父は病院が大好き。ちょっとしたことですぐに病院に行く。はっきりいうて神経質、過保護。目の充血で病院に行かんならんかったら私は毎晩病院通いやと思う、網膜剥離をやった私なのだ。ていうかなぁ、右目失明した私は一人でタクシーに乗って入院して一人で退院してきてん。どうしょう~~もないもんやで、うちの旦那。うちの実家の親が何かあったときには私は気丈に対応しやなあかんと腹をくくっているが、こっちもか・・・こっちも私が気丈に対応しやなあかんってことか・・・まぁ、うすうすわかっていたことやけど。   おかげでお昼のラーメン、のびのび~~やん(>_<) まぁ、ラーメンぐらいどうでもええねん。私はここ数日はご機嫌さ~んやから。”
18
ハードな1週間が終了♪
“1週間の間にライブに二つも行くという、なんと贅沢なこと!をさせていただく。シアワセなことですわぁ(^^)vそんな中、着々と次男坊主の受験は大詰めに向かっております。私が武道館に向かう時間、ヤツは本命公立高校に出願に向かっておりました。今朝の朝刊では倍率がでておりました。2倍か・・・。何倍であろうと受かるか受からないかやし。自分の力を出し切るだけ。ここまできたら・・・ 何ごとも全力で向かう姿は存分に見せているので何も言うまい。   昨日は午前中にお江戸から帰還、午後から義父母のホームに行く。水曜のデイでお風呂に入ったとのことですっきりさわやかになってはった。炬燵も臭くなくてよかった。義母はここは広島と思い込んでいるかと思いきや、昨日はここに引っ越してきたという認識のことを言う。そのくせ、私は大阪から新幹線で来たという設定で「泊まっていきぃ」と言う。そのときそのときで私は適当に話を合わすが、義父はそうはいかない様子でいちいち訂正したりする。なので余計頭がこんがらがる義母。   昨日の二人はご機嫌よろしい。ただ、思い出したように義父は「ここにいててデイに行くだけで○○(義母の名前)の病気は治るんじゃろか?」と聞いてくる。決まって私は「さぁ・・・?」と濁す。わがお父ちゃんになら、「あんなぁ、アルツハイマーは治らんねん。生活環境を整えて少しでも現状を維持して楽しく生きることを今しているねん。」っていうところやけど、認知症ではないと思っている義母の目の前でそんな話はできないので、さぁ・・としか言えない。   義母は自分の実の母親が認知症になって引き取っていた時の話をする。勝手に散歩に行って帰ってこれず洋服に縫い付けてあった住所と名前とでよその人に連れてきてもらった話をする。「ボケとったんじゃろな。ボケたらいけん。」と力説する。いや、貴女はそれを上回って警察で一晩泊めてもらいましたやん、私たちは朝一の新幹線で警察まで迎えに行きましたやん!と思うが「そやね」というしかない。本当に自分が認知症やとは100%いや200%も思っていない。でも、無意識の中で本能的に何かが違うとはわかっているんやろうなぁってのを感じる。      ”
16
月曜日のホームで。
“義父母のこたつに入って小一時間ほど団らん。だが、なんか臭う。うちの息子らの部活から帰った足の臭いがコタツから・・・18時前の夕食を機に私はブライアンのライブへと向かうべく退散する。ホームの玄関に行くと毎回、横の事務所から事務員さんとかケアマネさんとかいてはる人がお見送りしてくださる。この日はケアマネさんがいてはって、出てきてくれはった。   「お二人、ここ何日かお風呂に入っていないんですわ」とケアマネさん。ホームに移ってきて機嫌よくお風呂に入っていたのに、ここにきて義父が拒否りだし、それに便乗して義母も拒否っているらしい。「二人とも風邪気味っていわはるし、無理強いもよくないのでどうしてもってときはお体拭かさせてもらいます。」と。「風邪気味はないわ。二人ともツヤツヤした顔色で元気ですよ。お任せするんでお願いします。主人からもお風呂に入るよう義父に言ってもらいます。」と言って城ホールへ向かう。   コタツが臭かったのでそれか・・・。一人ならまだしも2人やからなぁ。何にしても2倍やもん。デイサービスの曜日変更の件も義父は「人間関係ですわ」と私にいうたが、旦那には「好かん人がいてる」と正直なところをいうてる。80こえとんねん、好かん人もないやろと思うが、幼児化している二人にて、嫌な子がいてるから幼稚園に行きたくないと一緒なんやろうなぁ。ほんに、義父の認知具合はやりにくい。   さぁ〜て、それはさておき、私は今から東京くんだりまで行く。武道館ですわ。初武道館。人生わからん。まさか一人で武道館に行くことになろうとは。旦那には迷うなよと言われたけど、私は迷いませんわ。東京駅から東京メトロに乗って九段下下車のビジネルホテルから徒歩で武道館ですもん。地図頭に入ってま・・・・   娘が今夜の夕餉と明日の男どものお弁当を作ってくれるというので心置きなく出かけられます。次男にいたっては中学3年間、ずっとお弁当持参(娘と長男は途中私の入院でコンビニで買っていくということあり)やったのがここにきてお弁当なしが一番ひっかかるとこやったので助かった(^-^; おりしも今日は公立高校の出願日でもあって、それは私がいてようがいまいが関係なく行われるので良しとする。これがまぁ、入試当日なら私も東京行きは断念したが・・・   子どもも自分のことは自分で出来るし、一人でお泊まりができるこの状況に感謝。介護のお世話になっている両親4人を抱えているというのにこんなことができるとはシアワセなことですわね。家の中で一番好きなことしているのは私のような気がしてならない今日このごろ。ほな、行ってこ・・・”
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第一関門突破!
“次男坊主の高校受験。併願の私立高校の合格通知が届く。やれやれや~~あとは本命の公立高校。これを突破したら私はやっとやっとチョコ解禁。おまちかねのカファレルのチョコレートを口にできるぅ。まぁ、これも3月末まで。4月になると今度は長男が高校3年生。大学受験生となる。やつはすでに大学受験に向けスタートを切っているが、けじめとして4月から。昨日も夜の9時帰宅で駿台やったけ代々木やったけ模試を受けに行っていた。おかげで私は日曜やというのに5時の起きでお弁当を作らさせていただいた。   そして今夜のブライアンアダムスのライブも心おきなく、楽しめる状況になったことを心よりうれしく思う所存のわたくし。カレーも作ったし、お天気がいまいちなのは別にかまへん。城ホールの中にはいったらそんなことは関係ない。朝からYoutubeで予習に余念なく、気分上々。次男坊主の合格通知でテンション一気にハイ!(^^)!   城ホールに行く前に義父母のホームに寄って、デイサービスに行くときにバスタオルやら着替えやらを入れるための袋(エコバックを買った)を持っていかねばならない。何をするにも二人分購入しなくてはならない。広島の役所からは転出届に付随しての後期高齢者や国保の書類がいっぺんに3通も届くし。いつまでたってもすっきりせん書類関係ですわ。   デイサービスで出会う声の大きいおばあさんのことを好かんと義父が言うからそのおばさんとかち合わないように曜日の変更をしてもらう。その人と何かもめたのか?とケアマネに尋ねたがそんなんではなくただ声が大きく(たぶん河内弁でまくしたてるのであろう。がらっぱちなしゃべり方をする人が好かん義父なので)、義父がデイサービスに行くのを渋るから理由をきくとその女の人のことが好かんと。わがまま言うな!って思った私でございましたわ。   なっほらみてみ、やりにくい認知症は義父の方やんけ!と旦那に言いたいのをぐっとこらえる。義母はデイサービスから帰った直後でもデイサービスに行ってたことすら覚えていないので、あの人が気に入らんもくそもない。何かもめたわけでもないのに好かんからっていうあたり、女々しないか?と思ってしまう私。がらっぱちなうちのお父ちゃんのこともケチつけよったしな、昔。そんなことを思い出す。   ひとにやってきたことは自分に返ってくる。別段何か被害をこうむったわけでもなく人のことを好かんなんていうていると、自分も他の人から理由もなく好かんって思われてしまうねんで、とわが子にやと言うねんけどな・・・・  ”
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東京へ行く~~♪
“先日、夕刊に載っていたプレゼントに応募したらそれに当たって東京に行く。明日から始まるブライアンアダムスのジャパンツアーの最終日、武道館公演に当たった(^^)v ジャパンツアーの皮切りが明日の大阪。これは昨年、チケットを購入済み。まずはここで楽しんで武道館へ行こう♪武道館なんてこんな機会がないと行くこともないであろう、で東京の地図を見ながら近場のビジネスホテルを取る。そして新幹線のチケットも予約。これは明日、大阪城ホールに行くときにチケットを受け取る。   とりあえず、娘の就職が決まったとはいえ、次男坊主は高校受験直前という時期。行ったものかどうしょうか迷ったが、このプレゼント応募を教えてくれたのは次男坊主。「受験勉強中のあんたを置いて行くけどええ?怒ってない?」と念のため聞く。「うん」ってことで行くこと決定。2名招待で明日の大阪城ホールは旦那と行くので武道館も仕事を調整できたら行くとのことやったが、どないもこないもならん状況のようで、結局、私は一人で行くことになる。ライブは招待でも交通費と宿泊代は実費なので、まぁ仕方がないとあっさりと「私、一人で行っていい?」と聞く。新幹線代と宿泊費、二人分より一人分のほうが助かる^^;   本来なら高い新幹線代を使って行くので時間いっぱい使って東京見物もしたいところやけど、そこはやっぱり気が引ける。なので、本当にライブのみで行く。翌日は7時発の新幹線で家には午前中に戻ってくる。できることなら泊りではなく日帰りで帰ってきたいところだが、新幹線の東京発新大阪の最終は21時20分。19時開演のライブ、終了は22時前になろうと想像すると、日帰りは無理。なのでビジネスホテル素泊まりでほんま寝るだけで帰ってくる。   ただ、このブライアンのライブ。明日の大阪城ホールも前日の今朝の新聞でもまだチケット発売の告知。完売していない様子。武道館は2日間ある。なんせ80年代のロックンローラーやしなぁと思いつつ、ヤフオクをうろつく。すると私があたった招待ハガキがオークションに出されている。私は某新聞社のプレゼントやったが別のメディアの分もあり、武道館2日間、それぞれのが何枚かオークションに出ている。   私もこのあたりの事情はよくわからないので想像やけど、イーグルスのとき会場で会った友達から聞いたがアリーナの中央は関係者席とのこと。そこが満席にならないと主催者側もアーティストに対して恰好がつかないであろう。そんな事情でのプレゼント招待ではなかろうかと勝手に想像する。招待ハガキには18時から座席券と引き換え、引き換え後即入場と書かれてある。招待受付ブースも通常の入り口とは別のところようなので、これは18時前にその付近に行っておかな・・・という気持ちになる。   明日の大阪城ホールはチケット購入済みやし27列目。私の前に大きい人が来ると距離よりもその人が障害になってどないもこないもあきまへんってなる。ただ、ネットの情報の座席表によると通路側の席なので多少通路にはみ出てもステージを望めるやろうし。てなことで今週は超ハードなスケジュールになってしまった。”
事件の真相。
“先日の老夫婦喧嘩からの騒ぎ。金曜日、ホームに行って詳細を聞く。まずは下の事務所で聞くが、そんな大きな事件はなかった、あれば下に連絡が入るはず、上で解決できたことかもしれないとのこと。えっでも、義父は旦那に下の事務所の人が何人か上がってきてえらいことになったというていたが、認知症の義父のこと、ここはまともな人に聞くのが一番と上のヘルパーさんに聞く。   月曜日に私が持っていったスウェットの上下。まぁ、そのときに私がいうた喜ばしぃをええように思い込んだ義父。大好きな一人息子が送ってくれたとなっている。大好きな一人息子は可愛い可愛いで育てられたため誰かのために喜ばしいをしたろという思考回路はほぼない。喜ばしぃをしたろという思考回路は私や。その可愛い一人息子は「これお義父さんにええのとちがう?買ったら着はるやろか?」っていう私に「着るやろ・・」というただけ。それを「親父に買ったってくれ」というたとちょいと色つけたのは私。   それを、一人息子がわしに贈ってくれた!!とえらい飛躍してもうてるからややこしい。そんなに嬉しいなら洗濯も拒むほど着たらいいのに、もったいなくて着ないのか相変わらず裾がちょんちょんの綿のズボンをはいている。ず〜とそれ。息子の愛情を確認しているのか、時々袖を通してみる。そしてすぐに脱ぐ。その脱いだものを義母がどこかにしまってしまった。義母は整理整頓のつもりが、整理整頓の能力はなくなっているのでどこにやったかわからんようになる。義父は可愛い一人息子が贈ってくれたものをどっかに隠しよった!と怒り狂う。今までにない怒鳴り声。   義母は義母で負けじとそんなものは息子から贈ってきていない!と口答え。あったものまでないものというあたり認知症。それでヒートアップした夫婦喧嘩の末、義母がリビング(食堂兼リビングの公共スペース)に助けて〜〜殺されるぅ〜〜と逃げたものやから、ヘルパーさん登場となる。おまけにいつになく尋常でない怒鳴り声やったらしく、ほかの利用者さんもびっくりしはったという。義父がえらいことをしたというのは、義母にたいしてえらいことをしたではなく、事務所から人がきて大事になったでもなく、ただただほかの利用者さんにかっこ悪いところを見せてもうてえらいことをしたなのだ。どないやねん!!   義父は間に入ったヘルパーさんに息子が贈ってくれたものでなかったら、ここまで怒鳴らんかったというたらしい。たかだか1,900円のものや。どないやねん。そんなに可愛いのか?まぁ、義父の息子可愛いさは尋常ではなく、今までも問題行動を起こしている。そのおかげで私はあんたとは結婚せん!っともなったのだ。孫が増えると息子がしんどいから孫はいらんとまでいう始末やしな。義母がこうならまだわかる。一般的には父と息子って微妙な距離感があって、ここまで息子可愛いにはならんやろ?   この義父の尋常でない息子可愛いさを見て、いままで不思議やったことがそういうことかと、想像の域やけどパズルが合った気分。。3、4年前、義母の弟からの情報で息子が死んだと義母がいうてるといって義父からの電話。朝の5時にかかってきた。朝の5時ってまぁ私はお弁当作りで起きているからええねんけど、よそ様の家に電話する時間やない。それもそんなあり得ん内容で。そのときは義父か義母かはたまた叔父か、誰がぼけとんねん!と思ったが、ボケてるのは義母やった。ただ、義母の心情は義父の息子可愛さへの焼きもちやなと今回の事件で直感した。   そう思うと納得する数々のこと。3年前にしょうもないことした旦那が義父母に助けを求めたがそれについては一切影を潜めていた義母。そして、今回の件で発覚した家の権利証をすべて義母名義に変更していた点。遺言状の内容。義父は一人息子には口は遺言状の内容とは反対のことを言うている。   今までに義父の息子可愛いさで嫌な思いをさせられた私は、はっきりいうて今回の事件で義母の肩を持つ。なので、金曜日には義母にズボンを一着買って持っていった。そしたら、みっちゃん、ありがとう〜と目に涙を浮かべて喜びはる。可愛いやん。義母は認知症になってから本来の性格丸出しになっている。いままでは私が母親よ!と片意地をはっていて接しにくかったが、今はただただ甘えたちゃんで誰かとスキンシップをしたくて仕方がない可愛げのある人になってはる。義母のために何かを持っていくと必ず涙を浮かべて喜びはる。それを身につけるかというとそれは認知症ゆえ忘れてしまうので別問題。いつも着慣れたものになるのは仕方がない。それでも、あの涙はほんもの。なので涙を浮かべて喜びはったと旦那に話すがあれは嘘泣きや!とこれまた義父のほうを案ずる一人息子がけんもほろろに言う。思わず、何いうてるん!あれはほんものや!あの瞬間はほんまに喜んではるんや!って私はシャウト。   父と息子がここにきて結託するから義母もよけに焼きもちを焼くねん。義理の仲やねんし、お互い(父と子)義母に気をつかったれ!と思う私。   ていうか、そんなに可愛いか?父親にとって息子って。うちのお父ちゃんははるかにボンクラ兄貴より私のほうや。お母ちゃんはボンクラ兄貴やけど。まぁ一般的に母親は息子の方が可愛いい。息子の方がというか娘とは可愛さの種類が違う。   義母と旦那が実の親子ならまたちがった展開になり、それはそれで私は嫁姑の嫌な感じになったかもしれない。おかげで私にとってはやりやすい状況ではあるが、義父のあの息子可愛いさはマジで頂けん。そして、旦那の義父と義母への気持ちのかけようの違いも頂けん。だから私は義父のことをちょいちょい悪くいうと旦那は親父よりおかんのほうがタチの悪い認知症やという。いや、認知度が違うし、はっきりいうて扱いにくいのは義父。それは私だけではなくケアマネさんも義母のほうが扱いやすいというてはった。義母のほうが扱いやすいということは、相対する義父のほうが扱いにくいってことや!   腹立つので義母が認知症にならはった原因は義父にもある!って断言してやる。義父は人の話を聞かない。自分に興味がないことは聞く耳持たずって顔をする。それや!義母のうだうだとした話、うんうんって聞いてやることもせんからや。と旦那にいうてやった。金曜日も娘の就職を決まった話をしているにもかかわらず、心ここにあらずって義父。思わず。「お義父さん、聞いてる?!」って言うたった。ほんまないわ。   旦那は旦那で助けて〜殺されるぅ〜って部屋から逃げて出る義母に苛立っている。殺されるってよ〜そんなん言うわって。それだけのことをしとんねん!って私は義母の肩を持つ。ココにきて父と息子VS義母と嫁の戦いや。ふふ〜ん、悪いが義母、安心しぃや!あんたの嫁は最強やで!    ”
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認知症ゆえ事件扱いにならず。
“昨日、ラジオから流れてきたニュース。旦那の実家のホン近くに住む70代の女性のところに強盗が入ったがその女性が認知症なので事実確認がとれず事件扱いにならなかった。それが1月中旬のこと。そして昨日、その強盗が自首したため事件となったと。その警察こそ、義父母がさんざんご迷惑をかけたところ。義母の徘徊発見後のお泊まりに始まり、強盗が入っただのとパトカー10台出動騒ぎやら・・・・ヘルパーさんとは、そのうち本当に強盗やら入ったときに相手にしてもらえなくなるかもしれない・・・なんて心配していた。なんだか、昨日のニュースを聞いて、最初に事件扱いにならなかった一因が義父母にもあるかも・・・なんて思えて仕方が無い。   強盗に合ったりしないためにも早く大阪へと年末年始のばたばたのときに連れてきた二人。着替えの洋服もヘルパーさん曰くに使えるものがないとのこと。ん〜〜確かに。取り急ぎの下着一式二人分は買って持って行ったが、洋服まではなかなか手が回らず。やっとこさ、先週末、有馬の帰りにユニクロでスウェットの上下を義父用に購入しこの月曜日に持って行った。そしたらそれが事件の発端となる。義父だけスウェットを買ったとき義母にも何か買ったほうがいいかなと頭をかすめたが適当なものがなかったのとその前の下着一式のとき、義母にはズボンを1着買っていたのもあり、今回は義父だけとなった。   自分も欲しかったのか・・・・義母はそれをどこかに隠してしまったらしい。義父は一人息子が大好きなので、その大好きな一人息子が親父のためにっていうので私が買いに行ったとちょっと喜ばしいの嘘をついたが、それもあってか大好きな息子からのスウェットを隠してっていう思いでか、義父は尋常でない怒鳴り方をしたらしい。それで1階の事務所から人が数名上がってきたと。どんな大声でも2階から1階の事務所までは聞こえるはずもないので、2階のスタッフが手に負えんと事務所に連絡したのであろう。この辺の詳しい状況は不明。この件はえらいことをしてしまったと旦那の携帯に電話してきた義父からの話なので。   とりあえず、今日はホームに行く予定やったのでそのときに詳しいことを聞いてみるが。これがあの田舎での夫婦二人の生活やったら、また近所に逃げ来んだ義母の強盗がいてるに近所の人がパトカーを呼ぶ騒ぎになったであろうと想像するとぞっとする。   実の父子である、父と息子の絆を目の当たりに見て義母の複雑な心境もあるように思うしな。義父はなにかにつけ、これ○○(一人息子、我が旦那)が買ってくれたんじゃとかしてくれたんじゃとか言う。嬉しくて仕方ないといった感じ。私がいてるところにあとから旦那が来る、旦那の顔を見た瞬間の義父の嬉しそうな顔ったらない。義母は旦那であろうと私であろうとそう変わりない。下手したら私が行くほうが抱きついてきて歓迎してくれたりする。なのでこういう事件が起こると私は義母の肩を持つ。旦那はいつも「あんな訳のわからんおかんの相手をしている親父がかわいそうや」という。訳の分からんのは脳の病気でんがな!そこを理解できない親父もボケてまんねん!と私が言うのも、どうも気に入らん様子。おかん相手やと誰でも怒鳴るわ!とくるしな。   どちらにしても、同居なんてとんでもないというのを実感する。一緒に暮らして介護してはる人は本当に大変やろうと思う。近所のおばちゃんや親戚のおばちゃんや友達は、有馬とこっちと大変やなぁ、偉いなぁと言うてくれる。そのたびにいや、同居してへんだけマシ。同居してはる人に比べたら屁ぷ〜みたいなもん。会っているそのときだけのことやもん。道中の時間の拘束はあるけど・・・とほんまそう思うわ。   とりあえず、目下の危惧は尼で一人暮らししているお母ちゃんの今後やな。義父母みたいにお金持ちでもないから今日いうて明日入れるようなホームは探されてへんし・・・そんなこんなで私は寝込まれへん!って気合いで家族5人中3人が鼻風邪の中、頑張っているしな(⌒-⌒)”
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春に一歩近づく(^-^)
“就活中やった娘も昨日の夕方、やっと内定を頂く。保育園か幼稚園の栄養士にのみ応募で、闇に葬られた履歴書数知れず、5日に二十歳の誕生日を迎え、来月には卒業式を控え、短大で一番仲のいいクラスメートも内定をもらい、焦りつつも初心貫き、保育所の栄養士として4月から社会人デビューを果たすことになった(^-^)   高校入試のときは一緒になって頑張って(おかげで私はその間3回も発熱)、あの頑張りがあとあとええ経験となり、短大受験も志望校に合格。入学後も勉学に励み、中学のときのあの成績が嘘のような好成績を納め、密かにこいつは大器晩成型やなと思う親ばかな私。そしてここにきて努力だけではどうも実り難い就活。戻ってくる「今回はご縁がなかった・・・」というお手紙。   本人が頑張るしかないと見守るだけ。まぁ、女の子やしあかんかったら適当にお茶濁して嫁に行ったらいいやんと言いそうになるのをぐっと堪える。本人は何も言わないけれど、栄養士として3年実績をつんで管理栄養士の道を目指している気持ちがあったようで、栄養士での就職にこだわっていたとは昨日知る。   私は明日私立高校受験の次男坊の動向も気になるところ。第一志望校は公立高校なので明日は念のための受験。ここで勢いをつけて本命突破を目指したいところ。彼もまたこの一年、よく勉強してきた。ただ、私が期待するところまで到達できていないところは正直否めない。それは点数云々ではなく、詰めの甘さの改善。最初に比べたら成長の跡はあるが、私の合格点には今一歩足らないかなぁというところ。それでも、この頑張りはあとあとええ経験として活かされるであろうと期待する。   我が家の桜はただいまつぼみといった感じかなぁ・・・”
06
帰りたいと言わない理由。
“義母は最近、広島に帰りたい、いつ帰る?と言わなくなった。そりゃええこっちゃ・・・と喜んでいたが、義母にとっては帰る必要がないからだということが判明。ここがその広島の家なのだ。ここは福山市○○と家の住所をはっきりと言う。私が何かを持っていくと「ありがとう、仏壇に備えてこよ・・・」と行って、隣のベッドルームにあるトイレのドアを開ける。そして出てくる。義父の姿が見えなくなると「おとうさん、二階にでもいったんじゃろか?」とベッドルームを見る。   毎回、私に「みっちゃん、よ〜来たなぁ。ここまでどれぐらいかかる?」「ん、3、40分かなぁ。」「それは福山からじゃろ?」と。そう、新幹線がとまる福山の駅から家まで車で30分ほどかかる、その福山駅からの話と思っている。「ううん、家から。」「えっ大阪の家から?」「そうやでぇ〜」という。「そうなん」と納得する義母。このここまでどれぐらいかかる?って会話は1時間の間に7、8回は繰り広げられる。毎回同じ回答をする私。   散歩に連れていく。戻ってきてホームの建物(ちょっと変わっていてオシャレな建物)を見て、「ここに来たことあるんじゃ」という。いや、さっき、ここから出てきましたんですぜと思う。   何はともあれ、帰りたいが収まっている最近は穏やかな感じではある。ただ、だいぶん慣れたのか義父の地が出てきて、理由はわからんが義母を怒鳴ることがしばし。そのたびに義母は別ブースのグループホームのほうへ避難してくるとのこと。ケアマネさんと私の想像では、義母のつじつまの合わない話をいちいち真に受けいらつく義父は怒鳴ってしまうのかなぁ〜と。義母の認知症具合が理解できないあたり義父も認知症ではあるが、あまりに頻繁に怒鳴る×逃げるが繰り返されるようであれば、2間のあいだのドアを戻して部屋を個別にしたほうがいいかも・・・と言うている。”
03
生保のお祝い一時金に振り回される。
“受け取るもののことは覚えているようで、義母名義の保険で今年はお金がもらえるはずや!と証書を見てくれと言われてホームから帰ってきた旦那。自分の父親の性格、一つのことが気になるとそればっかりという性質を理解できていない旦那はそんなことをすっかり忘れる。   夜10時に旦那のスマホがなる。義父から。いつも9時には寝ているはずの義父や。気になって寝るに寝れんかっての電話。   証書はあったか?というている。 あるわいな!私が保管しているねん。どこぞのおばあさんみたいに夜な夜な隠したりはせぇへん。と心の声。 こういう手続き関係、またそれにまつわる証書に書かれている内容を把握するとかって超苦手な旦那に内容を説明し、再度、旦那から義父に電話。説明しているが説明している旦那も100%自分が理解しているわけでもないので説得力にかける。   そして、今朝、6時半に旦那のスマホがなる。義父から。昨日と同じ質問。 げっ昨夜のこと覚えていないのか理解できていないのか、証書はあったか?とは認知症度パワーアップ!旦那はといえば、実の親にてぼけぶりの進歩を認めたくないのか、昨日と今日と2回説明したから親父もわかったと思うって。 わかるか!また聞きよるわ!とは私の心の声。とりあえず、今日、ホームに行ったときにケアマネさんに昨日からの様子、伝えておくからと言うとく。2月に入ったら介護度の区分申請をかけてもらうことになっているので情報は伝えておかな・・・・   さっき、その生保の契約内容を把握するため生保会社に電話。昨日からの義父の電話を伝える。結局、この保険は来年の秋に満期になる。今年の夏前に最後の年払いの掛け金を支払って秋に一時金をもらう。それもこれも義母の成年後見人の手続きを完了させやな、どないもこないもできん話しで、今は宙ぶらりんの状況。   固定資産税や別のガン保険の支払を滞り、督促状が来たことはわざわざ言うていないが、そんなことはすっかり頭からないのに、なぜに一時金のことは覚えている? それを覚えているから旦那は一縷の望みを持ってしまう。親父はまだ大丈夫・・・と。 昨年の夏ごろの義母は今の義父の状況。そこから一気にアルツハイマー道を下っていく。いまじゃ、苗字の漢字も忘れかけているちゅうねん。でも、キャッシュカードの暗証番号は覚えている。義父は忘れているが。   有馬のお父ちゃんみたいにすべてを私に委ねてみはったら悪いようにはせぇへんのに。週1回の面会も3年間欠かしていないし。病院代もマンションの固定資産税も維持費もそして確定申告も滞ることなく処理しているちゅうねん!   入れ歯もお父ちゃんはポリデントをいれた容器にちゃんと納めて寝てる。義父は歯磨きをして外して封筒に入れて寝る。なんでやねん!ポリデントや入れ歯容器を買うお金はないんか!とも心の声。   ま・・・・お金、貯まるわな。いつ使うん?”
01
遺言状、書いとこか・・・
“と、とりあえず言うてみた。先週の有馬で。「わし、書かれへん。」ってお父ちゃん。「いやいや、右手は使えるやん。書けるで!」「どう書くか、わし、わからんし。お前が代わりに書いといてくれ」って。「あんなぁ、私が代わりに書いたらあかんねん。本人が書かなあかんねん。住所と名前と書けるやろ?」「そりゃ、それぐらい書けるけど、あとはわからん。」「見本書いてくるやん。」「ほんだら、今度、紙と鉛筆持ってきてくれ」って。   ん・・・紙と鉛筆でええんか?消せない筆記具やないとあかんことないのか?面倒くさいな~もうええわ・・・   くそぼんくら兄貴夫婦がわけのわからんことぬかしよったら、今まで使った領収書(確定申告でもないけど、おいてある)ひっくるめて、支払ってから云えというたる。お父ちゃんの遺言書より、義母の成年後見人制度の手続きのほうが優先や。生保、ちゃんと掛け金支払うっていうてるねん。義母の口座から引き落としにしてもらわな、面倒くさくて仕方ない。その手続きをするほうが先決や・・・  ”
2月でございます(^^)v
“年明けから怒涛のような1月も無事に終了。4年前に介護元年(実家の父の脳梗塞発症)を迎えてから、一人、二人と年老いた両親4人が順番に介護申請。そしてめでたく(?)4人ともが介護のお世話になった昨年の秋。そして、今年になって、義父母を広島から大阪の老人ホームに呼び寄せた。高齢者対応にどっぷり両足を突っ込んでしまった感の1月。   2月はといえば、娘が二十歳の誕生日を迎える。次男坊主が併願私立高校、本命の公立高校と受験&発表。いまだ、厳しい社会情勢のあおりで就活中の娘。2日ほど前、クラスメートの一人がやっと内定をもらったと。君の桜はいつ咲くのか?と厳しい状況に耐えている娘。女の子やし別にええねんで、アルバイトで済ませてもと出そうになる言葉をぐっとこらえ、黙ってみている。   よくよく考えると、高齢者に振り回されている場合ではないねん。わが子らが将来の岐路に立っているわけやんか。   孫のこんな状況をマジで心配しているのは有馬のお父ちゃんと尼のお母ちゃん。毎回のように、就職は決まったんか?高校はどうなった?と。 孫のことより息子がかわいい義父と自分が一人になることが不安で仕方がない義母。まっええねんけど・・・   なんしか早く春になってほしい!切に願う、それだけ。 ふっふふん。13日は次男の私立高校発表日というのにその夜、私はブライアンアダムスのライブやん(^^)v大阪城ホール。いろいろ懸案事項を抱えながらも、それはそれこれはこれでいっとこか・・・ その前に確定申告(旦那の分)をある程度形にすべく今必死のパッチ!そのあと、私の分、そして父&義父の分と今年は4つ・・・ふぅ・・・”
1月
31
見解の相違(>_<)
“昨日のホーム訪問。義父母のブースに入ると共有スペースの居間兼キッチンで、お友達になったおばさんとくつろぐ義父。私に気づいたおばさん(この方も認知症)が「来はったよ!お嫁さん」っていうたはるが話に夢中の義父。ようよう気づいた義父は立って部屋に戻る。そのあとを続く。義父母の部屋の明かりはついておらず、ドアを開けて「おい!みっちゃんが来た」と義母を呼ぶ義父。「おかあさ~ん、どこ?」と呼びながら部屋に入った私に「よぅ来たなぁ」と泣きながら抱きついてくる義母。5分間ハグ。   カレンダーを見せながら「土曜日のデイは行かんかったんじゃ」と義父。「えっなんで?」と聞くが答えなし。まあ、帰りに下の事務所で聞いたらええわとさらりと受け流す。小一時間ほどしたら夕食タイム、それを機に「おかあさん、またくるわ!」と帰る。エレベーターが1階に着いたらちょうどケアマネさんと遭遇。土曜日のデイに行かなかった一件を聞く前にケアマネさんが実はこんなことがあったんです・・・と。   土曜日、デイに行く前、義母が義父を怖がってベランダに逃げてなかなか部屋に戻らなかったと。その前に義父の怒鳴り声とかも聞こえなかったのでそういったことはないと思うので以前のことを思い出したんでしょうと。こんなことが頻繁に起こる様であればふた部屋の仕切りのドアを元に戻して個別にしましょうと。   ケアマネさんと私は義父の認知症の度合が進んでいることの認識も、義母の同じことの繰り返しの話をさして聞いている風でもなく自分のことしか考えていない義父という認識も同じ、ホームにも慣れて地が出てきているであろう義父の様子というのも同じ認識。認知症の度合の違いはあれど、義父も認知症。なのでこんな状況が続くのは義母にはよくないであろうから様子を見ながら頻繁に起こるようなら個別対応でとなる。   ホームをあとにしてすぐに旦那に電話。土曜のデイを休んだことをいうたら、今朝電話したら親父がいうてたと。なんでか知っている?と尋ねると熱があったんやろ?と。ちゃう!熱なんてない。仕事中にて詳しいことは帰ってからと切るが、息子に嘘ついてどうするねん、親父ぃ~~義母よりまだ話が通じる義父の言うことを信じる旦那も旦那や。義父も認知症やって。義母は広島にいてるときもヘルパーさんにはいうていたし、ここにきてホームのケアマネさんにもいう、お父さんの悪口。悪口というと語弊があるかな、二人っきりになるときついんじゃ!っていう話。私は去年の夏からこっちなんども聞いている。旦那は聞いていない。ここがちょっと複雑な後妻さんの心境やと察する。息子には義父のことはいわない。夫婦を長年やっていたら所詮他人の夫婦。文句の一つや二つはあって当然。それを息子にはいえない義母のつらさや。   義父母を連れて散歩に行くとき、私とのときは義父がひとりさきに歩いて、あとから義母と私が手をつなぐか腕を組んで歩く。旦那とのときは義母は自ら義父と腕を組んで歩くらしい。なので、義母が義父の文句をいうのが信じられないといっためでたい旦那。   どうでもええけど、ケアマネさんと私の見解のほうが的を得ているでとだけいうとく。昨日も義母は「おとうさんがおらんようになって一人になるなんて考えただけでぞっとする。そのときは頼むなぁみっちゃん」というていた。義母は義父がおらんようになることより一人になることが不安なわけで、そのときに別に頼る相手がおったらええねん。「私にできることはするからね」と答えた私。そのために大阪に呼び寄せた。顔を見て抱きついてくるようなかわいらしいことをする義母や、できることはしたる!今はそう思っている。気持ちがかわる状況になるかもしれないので断言はできないけど・・・^^;”
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今度は生保の督促(>_<)
“義母が契約者のガン保険。住所変更と口座変更の連絡をし、すんなりいきそうやったのにNGやと。本社に確認したらば住所変更はOKやけど口座変更は本人の意思確認がいるとか。介護認定書のコピーと印鑑登録証がいるとか。介護の認定はええわ。認知症の人の印鑑登録はなんの意味ももたないと役所で言われているんですけれど・・・それに、名前は言えるがどこに居てるかが認識できていない人間でもしゃべれたら意思確認OKなのか?どのレベルでの意思確認をいうてはるのかがわかりませんと答える。ぶっちゃけた話、別の生保では成人後見人制度を利用しやな住所変更もできないといわれ春先には段取りをするつもりなんですけど・・・ともいう。   おまけにそのがん保険、年払いの引落ができていないと。その督促のハガキを送っているはずじゃと言わはる。11月末の引落ができずなのでそのハガキはコチラに転送される以前のもの。 お金の管理は義父がやっていたが先日の固定資産税の督促状についで生保もか・・・と要支援1のレベルは脱しているのでは?2月になったら区分変更の申請をしてもらう段取りなのでなんとかそこで要支援2に・・・。ガン保険のそれは今月中に振り込まなければ失効になりそれを戻す手続きはまたややこしいとか。即日送りますのでとファックスで段取りを指示してもらいネットからペイジー利用で振り込む。ほんまややこしいったらない。そのがん保険が引き落としされるであろう銀行の通帳の存在は私たちは知らずやし。   こんなそんなあれこれぜ~んぶ処理しているのは私。なるべく早くデイサービスを利用できるよう役所を走り回ったのも私。なのに義父は息子がやってくれたと思っている。ん~~お宅の息子はこんなこと超苦手ですぜ。要支援1 の義父が週2回もデイサービスと週1の訪問ヘルパーを利用できるわけもないのをケアマネさんがなんとかしてくれはった。実費でもなく。請求書を見てもうちのお母ちゃん(同じ要支援1。母は週2回1時間ずつ訪問ヘルパーを利用)より安い。ホームに支払っている管理費がそこそこやし、その辺はどういう仕組みかしらんけど・・・ホームの事務所にもちょこちょこ手土産渡しているしな。誰もいうてくれへんから自分でいうとく。こんなよ~できた嫁はそういてまへんで!!とな。”
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細かいことはどうでもええ。
“眼科にて。11月からコンタクトレンズ復活後、初の診察の本日。コンタクトの見え具合と目の状況を診てもらう。コンタクト復活の意義は眼鏡だと頭が痛くなることしばしなのでそれを改善するために先生の提案。私はコンタクトをあきらめていたので、喜んでその提案を受ける。私は密かにとにかくライブに行ったときに眼鏡やと動きづらいのと遠くが見えづらいのでそれを改善できるところが度数の落としどころともくろんだ。   人工レンズの右目と左目の両方を使ってええ感じに見えるというのははなから期待していない。右目と左目で遠近両用的使い方をすりゃ~ええと、脳の使い分けを訓練すればいいねんということで、先生には免許更新が楽なような度数でお願いした。右目のほうが遠くが見える。近くを見るときは左目を使う。なのでそこそこのところで私は満足しているが、今日の検診。コンタクトを付けての手元を見る検査ではあきらかに右目は見えない。人工レンズにてピント調整ができないから見える幅が小さいのも欠点。そんな細かいことはこのさいどうでもええ。とにかくライブに行って見えたらいいねん。   とは、いえず、検査結果をみた先生は「コンタクトレンズの度数交換が無料にできるのは2月の20日までなんでもし見え方に不安があったらそれまでに・・」っていわはる。100%私が希望するようには見えるわけがないねんから、今のこれで折り合いをつけて私は十分に満足してまんねんとはいえず、はいっと答えておく。   いちおう、仕事に行くときはコンタクトレンズ装着でPCもこなせる。電車の中でも文庫本を読める。スマホも見える。多少、見えづらいといや~見えづらいけど、細かいことをいうてたらキリがない。一時は失明を覚悟した右目やから見えるだけで充分やん。   今日も眼科でおばちゃんらがしゃべっていたが、白内障だか緑内障の手術のあと、目が見えるようになるまでの話。黒い中かすかな明かりはみえていたっていうクダリ。あのなぁ、おばちゃん、網膜剥離の術後はそのかすかな明かりすら見えへんねん。ほんまの闇やで。さすがの私もそれが1週間続いた日にゃ、ほんまに見えるようになるんかと主治医に確認したっていうほどの闇や。暗闇。かすかな明かりは希望の明かりや。   それを思うと今の状況でこれ以上は望みませんって気持ちになる。さぁ、コンタクトも装着して遠くも見えるようになった今、3Dの劇場映画も眼鏡on眼鏡でなく観れる!ライブで汗を流してタオルを振り回しても眼鏡が落ちる心配がない!それらに行きたくてしかたがないよぉ~~~昨今、周りを見渡すと後期高齢者の方々。脳梗塞やら認知症やら。それを思うと今、楽しめるときは思う存分楽しまなあかん!と気がせく。”
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生保の住所変更もままならず。
“義父母、ふたりで生命保険、6件。それらの住所変更と口座振り込み変更手続き中。別に解約するわけやなく、保険金の請求でもなく、住所変更なのにすんなり行かない。大手のところが本人の意思確認ができないからと成人後見人を立ててからでないとできないと。認知症やねん。そのあたりの管理能力はなくなっている。保険証等紛失(隠して)して再発行は2度3度やってまんねん。いわゆる、社会生活に支障をきたすっていう状況ですわ。その本人に意思確認なんてできるはずがない。今、いてるのは広島なのか大阪なのか行ったり来たりの頭の中やのに。   会社によってはすんなり変更の書類を送りますってことで話がついたりもしたのに・・・・生保以外にも葬儀屋さんの積み立て(完了ずみ)もあったのでこれは解約の手続きをと電話した。したら、大阪の互助会とのネットワークがあるのでもしそちらを利用するなら移籍という形がとれますとのこと。なのでこちらで利用できそうならそうしたいので資料をお願いする。   普通で考えると不動産の名義は義父。だが、これを先の記事にも書いたが平成7年に義母の名義に変更してはる。義父は息子(旦那)には「家は自分で土地を義母の名義に変えた。所得が低いほうが固定資産税が安いから」と言うたらしいが、権利書をよくよくみると、家も土地も義母名義。それに固定資産税は所得によって変化せえへんやろ?よっぽど低いとかなら減税やら免税の手続きがある市町村もあるようやけど・・・義父の言い訳やなと思った私。こちらとしては、もらっても対処に困る不動産なので義母の生活費に充てる算段で義父なきあと処分するつもりでいたが、義母名義なら処分できんやんってなる。ややこしい。ほんまややこしいことばっかりしてくれてはる。あれこれややこしいことをするなら認知症になるなよとも思う私。うちの実家みたいに大した資産もなけりゃ~そないややこしいこともない。こちらの管理も楽。   結局やね、やっぱり、そのつもりやったけど、成人後見人の手続きをしやなあかんことになる。ホームの支払いが危うくなったら(計算上では大丈夫やけど)、不動産を売ってお金に変える必要もでてくるであろう。空き家のままずっと置いとくのも物騒な話。いずれ、誰かが棲むってならまだしも広島じゃ100%ない話。うちの実家のマンションならうちの子の誰かが棲む可能性もあるので、震災でつぶれかけたマンションの走りの中古物件でも雨露はしのげるし置いておこうと算段の私。そのつぶれかけのマンションと同じぐらいの価値の田舎の不動産ですわ。   義父にいたってはすでに自分名義でもないから気がとんでいるのか、これも先の記事で書いたが12月26日期日の固定資産税を支払忘れている。いまだ、そのことを思い出さない。こっちも言わないが。督促状ってあんた~うちのぼんくら兄貴一家やあるまいしと届いたそれに突っ込んだ。督促状なんて生まれて初めて手にした私。私はそういうものを手にするような悪いことはしてへん。翌日早々に支払に行かさせていただきましたが。次年度分は一括払いじゃ!義父の後期高齢者の保険代も義母の国保の保険代も1回目はすでに支払ずみ。そして、口座振替の手続きも申請。払うべきものは期日内に支払う。これが私の信条!   うちのお父ちゃんはいまだに「もうそろそろ固定資産税の支払がある」とか「支所に行って手続きするやつ(確定申告)を頼むで」とか言い寄る。頭の中は回っている。体は回らんけど・・・・   あと、お墓が残っている。ん~~これは旦那の生母のみが入ってはるお墓。これこそ、こうなる前にどないかしとけよって思う。今の義母は一緒には入りたくないやろ?気悪い話や。それにそれをそのまま存続させてわが長男に墓守をさせるなんてことはさせられない。そこが先祖代々続いているっていうならまだしも、義父は次男やし。義父の父母は義父が10歳ぐらいに立て続けに亡くなりはって、天王寺の一心寺にいてはる。いずれ、そのお墓はそれ相応の手続きを取って処分するつもりやし。お墓の名義は義父やろうから(まさかこれを義母にするわけにはいかへんやろ)、義父なきあとまで置いておくか、それ以前に手放すかやね。   ふふん、こういう一連の段取り。実の息子の旦那ではなく嫁の私が采配を振るう。一番妥当やと思う線で動いているので旦那も文句いわず従う。というか従わせる。従わせるだけの理由を述べる。きれいに整理しいもってきちんと処理しているしな。おかげでいろいろ勉強させていただく。何ごとも経験。また一つ大きくなる私ってか^^; 体は一向に大きくならんけど。   てなことでお昼を食べて、確定申告のんちょっとやってホームに行こう・・・延々としゃべり続ける義母相手に帰りどころを見つけるのに苦労するから、夕ご飯(18時)の1時間ちょい前ぐらいについて、「そろそろご飯やから帰るわ!」っでホームをあとにする。最近はこのパターン。暖かくなったら昼間に行って散歩に連れ出すことも考えてはいるが・・・”
そんなこと言うたら自分の嫁はんも言われるで!
“って思わず、旦那に云うた。昨日、旦那が云う。義父母の前の部屋のおばさん。アルツハイマーであろう。足腰は問題ない。一日中、義父母らが居てるブースをうろうろ。各部屋に入っては何やら訴える。私もそれに出くわしたことがある。部屋に入ってこようとしている義父に何やら涙声で訴えている様子。炬燵に座って義母と話していた(義母の話を聞いていた)私が気になり、ドアに行く。私が「どしたん?」って聞くとそのおばさん「なんでもないの。あなたには関係ないの」と向こうに行きはる。   部屋に戻ってきた義父。「一日、あちこちの人のところに行ってんじゃ。皆、嫌がっとる。」という。「そうですか・・・。さみしいんやろうねぇ」っと私。そのおばさんのことを昨日旦那が云う。「向かいのおばちゃん、向こうのブース(同じ階でグループホーム的にしてはるところ。いつもヘルパーさんがだれかかれかいてはる)に移るんやて。」「誰に聞いたん?」「親父や。皆に嫌われているからあっちに移るっていうてた。」っていうから思わず「何いうてるん!そんなん言うてたら自分の嫁はんも言われるようになるで。近い将来の義母の姿かもしれんのに、そんなこと言うもんやない!!」って切れる。   大体、昔から人を外見で判断するところがある義父母。そこが私ともめたところやけど。自分のことは棚に上げて失礼なことを平気で言う。ほんまない。義母を連れて散歩に行く。するとすれ違う人みなに「こんにちは!」と挨拶をする。それはええことやねんけど、いうたら昔はせなんだことや。認知症になって誰彼なしに挨拶する。人によっては同じように「こんにちは」と返してくれはる人もいてるが、おかしなおばさんやって目で見られることもある。旦那に言うと、「おかん、そんなことしとるんか?」という。「山登りやないねんしとは思うけれど、認知症やしなぁ。別に悪いことでもないから。」と私。「頭がおかしいヤツやって思われるやんけ」と旦那。ん~外見を気にする親に育てられたからかとは思うが、頭がおかしいっていやおかしいんですわぁ。脳の病気やから!!   義父母を連れてホームの近所を散歩する。隣の家とひっついた建売住宅の前で二人して大きい声で「ひゃ~隣の家とひっついとる。こんな家にはよ~すまんのぉ」と。住んではる人が聞いたら気悪いことを平気で言う。私はスルーするけど。そりゃなぁ、田舎の土地は安いねん。家の権利書みたら60坪のあの土地と家、300万で買ってはる。昭和50年頭の話やけど。その後、平成7年に義母に名義変更のときに500万や。なぁ、土地の値段が違うねん。外側だけ見て判断すな!   いろいろ人に言うてたこと、ぜ~んぶ自分に返ってくるでとつくづく思う。そして、私も気をつけやな。人のふり見てわがふり直せや。てか、もう遅いか?すでにここで罵詈雑言書き連ねている?しゃ~ない、自分で言うたことのケツは自分でふこやないかっ・・・”
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お葬式用の写真も・・・
“役所関係がひと段落。次は生命保険等住所変更と葬儀屋さんの解約。っで朝から生保1件と葬儀屋さんに電話。生保は解約するわけやないので手続きの書類送付をお願いする。葬儀屋さんはすでに払込み完了の分、解約手続きとなり、解約担当者から後日電話という段取り。置いとけば使えますといわれても、広島の葬儀屋さん(結婚式にも利用可)には大変申し訳ないが遠方過ぎて使いようがおまへん。   っで、その一式書類の中に見つけてしまった。お葬式用の写真にしろと言わんばかりの証明写真の数々。義父のは若いころから現在に至るまで。たぶん、車の免許更新のたびに余分になったものを集めたもの。そして義母のは、ごくごく最近のものが一組。9月から通いだしたデイサービスでカットしてもらった髪型のもの。段取り、良すぎやろって思う。なんだかなぁ~という気分。   各々の両親の中で一番年かさはうちのお父ちゃん。順番でいうとお父ちゃんやろ。ん~~お父ちゃんのお葬式用の写真はとりあえず障碍者手帳に貼る用に私がデジカメで撮ったものをと勝手に考えている。でも、それ、パジャマ姿やし。いちおう、パジャマっていうのははっきりわからんようには撮れているけれど・・・・義父はキチンとネクタイしてはる。でも義母は普段着。バランス、悪いなぁ。   思うが、たぶん、こう用意周到やと結局それを使うときってなかなかやってこなく、何も用意していないのが急にってなるような気がする。そんなことを思いながら、新石切の銀行に行く。銀行の前でカメラクルーとすれ違う。誰かと思うと円広志氏がしゃべってはる。銀行の中で担当の女性とその話題。一般人を人間国宝って認定する番組(コーナー)があるらしく、それらしい。ふ~ん、どうせなら、福山雅治氏にでも逢いたかったなぁ~と失礼ながら思う。てかなんの感動もないってあたり、ちょっとぐらいのことでは動じないおばはん根性になってしまったか・・・とわが身を思う。   さぁ、残りの生保に連絡してホームに行こ・・・・”
遺言状発見。
“義父の国保で22年度の所得申告をしろという通達が届く。役所関係は完了と思ったのに・・・ってむっとする私。それも2月22日期日で。確定申告書類作成で忙しいのにさらにむっとする。たぶん、22年度年金支給のはがきが届くはずなのでそれを持っていけばOKやろうと思うが・・・すでに尼の父と母のは届いており手元に置いてある。ただ、年明けにバタバタと住居異動なんぞしているので、そのあたりで遅れてやってくるのかなぁ~と。   念のため、預かっている書類の中で最新の年金振込通知書がないか探しておく。最新のそれはこっちに連れてくるときに持ってくるように旦那に指令をだしたのであるはず。義母のはどこかに隠して見つからんかったって話やったし。っで、それを探すのに預かっている書類一式をめくる。したら、遺言状と書かれた封筒が2通。ひとつは空。もう一つは封印もせずオープンな状況で原稿用紙が1枚。義父の直筆。効力があるであろう署名日時も書かれている。おおまかな内容は自分名義の資産はすべて妻の生活費に使う様にというもの。遺言状か、そうよな、自分が生まれてからの履歴一覧も作ってはる人やから遺言状も書きはるわな。義父の法廷相続人というのは義母と旦那だけ。旦那およびその嫁(私)のことを信頼していないのやろうかという気になる私。   普通に考えたら、義母が居てる以上は義父が残したものは義母の生活のために使おうを思うのが子どもやん。普通はそうするやろ。仮に何もなくても義母の面倒はみるやろって思うのになぁとなんだかすっきりせん気分になる。義母と旦那は義理の仲ってのもあるかもしれないが。そしてそれ以前に最近知ったが、義母の母親も後妻さんでその義理の子(義母とは義理の兄)に年老いて家を追い出されたという歴史がある。なので、同じ立場にて同じことをされると不安になるのもわかるが・・・   ここにきて、旦那が中学のときに子宮筋腫の手術で子宮を取ったときの話を何度も聞かされる。「お父さんが子どもは一人いてるからいいっていうから子宮を取ったんじゃ」と。自分の子ども、欲しかってんやろうなぁと思うと切なくなるが・・・だから、私が3人目を身ごもったとき、生むなと再三云うてきたのか?とも思ったり。うちの子らは当然血がつながらん孫。なのでその孫が入退院を繰り返しても「遠いから何もできん、連絡してくるな」なんて云うのも根底はそれがあるからか?とも思ってしまう。   あれこれ言われたことは忘れられんが、認知症になった義母は可愛げがあるので今の義母に対してはできることはしてやりたいと思うが、ときどきふと以前言われたことを思い出すのは、人間できてないからやなぁ~。でもしゃ~ない。それは事実やねんし。それを根に持って(根には持っているけれど)イケズするようなことはしてへんし。そんなことはできんやろ。   あ~しかし、遺言状。うちのお父ちゃんこそ書けよと思う。べつに大した財産はないが、1円たりとも息子にはやらんと。すべて娘に譲るって書け~~~って思う私。今週、有馬に行ったとき言うたろ・・・”
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固定資産税の請求・・・そして今年の確定申告。
“昨日、我が家に届いた義母名義の固定資産税納付書。12月26日期日のを支払っておらず至急納付しろと催促の7,000円。1期分が7,000円ならまとめて払えばいいのにと思う私。尼のマンションの固定資産税も去年、まとめて3万なにがしコンビニで振り込んだ。だから、尼のマンションより安い固定資産税ってことか・・・。土地はお義母さん名義に変えてはる。上の乗っかっている家は義父名義らしいが、これは何の価値もないであろう。   こういう支払関係はここ何年間は義父が管理していたようやけど、年末にはそれもおぼつかなくなっていたのかと思うと、説得してこっちに呼び寄せたのは正解やったとつくづく思う。確定申告もしなければと旦那が義父に確定申告の話をしたら、「ここ何年も確定申告はしていない」という回答。え~~それでいけてるん?年金受給者はそれでOKなん?今年の確定申告から年金のみの所得者で400万以内の人は確定申告をしなくてもよくなったというのを新聞でみたから、去年まではしなあかんかったのやないのか?よ~わからんけど。   でもお父ちゃんは脳梗塞で身体が不自由になる前は自分で確定申告をしに役所に行っていた。だから、義父母らも行かなあかんかったんやないやろか?たぶん、いくばくかでも戻ってきてたんやないかと思うんやけど。もうすんでしまったことはおいといて、今後は私がちゃんとするしな。   そしたら、義父母の国保の申告控除はがきも届く。尼のマンションにはお父ちゃんの年金の所得証明はがきが届いていた。これと医療費控除とでお父ちゃんは差し引かれている所得税がまるまま戻ってくる。義父母は医療費控除をうけられるほど支払っていないであろうが、きっちり確定申告書と照らし合わせ、いくばくか戻ってくるようであれば申請する予定。   その前に一番重要な旦那の仕事の確定申告の作業がある。そして同じく個人事業主の私の分、お父ちゃんの医療費控除、そして義父母と今回は4つやん。夏からこっち義父母ごとでばたばたしていて書類整理が滞っているのでがんばらなねば・・・という状況。いつになったらのほほんとできるのであろうか?”
どことも新年度役員選出の時期。
“昨日は長男の高校Pの会議。中学Pと同じような委員会だけどスケジュールにそって段取りよく動いてはるので、私としてもやりやすい。この時期は新年度役員選出の作業がある。今年度は2年生保護者の長をやらさせていただいた。次年度、3年生の長になると全体の取り仕切りもありかなり時間が取られるのは今年度の様子をみてわかる。とてもじゃないが今の私の状況ではそれはとても無理。それに、11名で構成している中で一度もしていない人からっていうのが暗黙の了解となっているので、私は省かれる。そんなんで、一人っ子のお母さんが「うちは子ども一人なので」と快く引き受けてくれてすんなりと決まる。   町内会も役員(班長とか・・・)選出がある。ここは輪番制なので今はとなりの筋。私はあと4,5年は何も当たらない。なのに、近所のおばちゃんは毎回、この時期に私に「つぎは婦人部やな?」とか「夫婦そろっているから支部長やな。」とかいうてくる。終わったばっかりのときから云うから、ええ加減にしろよと腹立つ。「うちの順番まだやし。これ順番通りにしやな不公平やろ!」とはいう。   そばで聞いている仲良しのおばちゃんもあとから「なんであんたいつも言われるん?今のあんたの状況(高齢者4人抱えている)で無理やのに。」というてくれる。「せやろ、いつも言い寄るねん。自分とこの出戻りの息子にさせたらいいやんって思うわ!!」っていう。ほんまええ加減にしろよって話やで。だから嫌いやねん、某新興宗教。   私と仲良しのおばちゃんもその某新興宗教が嫌いなので、二人で盛り上がる。その某新興宗教をしているご家庭のご子息がそりゃまぁ品行方正であればご利益もあるのかいなと思うが、そろいもそろって髪の毛金キンでロクに高校も行かんかったり、ええ年こいてプ~やったり、それはいったいどういう宗教なんすか?って言いたくもなる。子どもが学校に行けへんようになったり、プ~になるような宗教をなんで信じられる?とまぁ、そんな話で盛り上がる。それが聞こえているのか?ここでこんなことを書くからか?   まぁ、実際、そこに片足つっこんだ私やねんけど。親がやっているから。優等生の私は、説法に真摯に耳を傾ける。子ども心にん?なんかおかしい?と思う節が多々ある。大人になったら、家を出たら、これとはおさらばさ!そりゃ~そうやろ、法律でそう決まってある。個人の自由や。そやのにまだ席はあるらしい。なので除籍してくれというたら、それはできないと前出のおばちゃん(毎回役をさせようとするおばはん)が云わはる。本人が席をぬけっていうてるねん!それが出来んって法律違反やないか!!   何かあったとき、絶対に必要やと思うときがくるからって食い下がって云いよるから、それは絶対ない!私が一番信じているのは私や。私がここの家の教祖やねん、旦那もう含めうちの子らはみな私の信者!二十歳になったら自動退会や!って云う。こいつ頭おかしいんか?って思われたかもしれんが、実際、そのようなものやしな。家族に受験生がいたらテレビは観ない教やし!子どもが小さいときに公共の場で静かにさせるのにお菓子は与えない教やしな!やたらめったに自販機で飲み物は買わない教や!   てなことでそれ以来、その話を言ってはこなくなった。もしかしたら、我が家の不幸を祈られているかもしれない。そしてその不幸の最中に泣きついてくるのを待っているかもしれない。それこそ、とんでもない話やわなあ。~となんで役員選出からこんな話になるのか。   私は超ヘンコやし。人と同じことするのん嫌やし。わがの確固たる意志はゆるぎないし。忍の一字が好きやし。人と群れるの嫌いやし。人を頼るの嫌いやし。どう?どれもこれもその某新興宗教信者に反しているやおまへんか!すんなり席を抜かへんからここでこんなことも云いたくもなるねん。誰が何を信じようとかまへん。私の思想は私のものや!   とにかく、4月からは学校P役員も町内会役員もなく、私は晴れて自由の身や~~~てなことが言いたかったわけ。freedomや!!    ”
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二宮金次郎とナイチンゲールとジャンヌダルクが私の原点。
“近所のおばちゃんからの電話・・・・40分(>_<)。おばちゃんっていうたかて、うちのお父ちゃんと1歳違い。80越えてはる。ちょっとした頼まれごと(ほんまよ~頼まれる・・・)とご近所の愚痴。そんなに私は頼みやすいか?隣の一人暮らしの70代のおばちゃんの携帯も何かあったときの連絡先は私の携帯番号やし。「あんたも大変やなぁ、あっちやこっちのお父さんやお母さんの面倒をみて。倒れんようにしぃや!」というてくれる。そして「あんたが倒れたら、あっちやこっちやどれだけ大変なことになるか・・・」とも。なので、「ほんま、私、逝くときはころっと逝くから、そんときは葬式来てな~~」っていうとく。まぁ、私は葬式はせぇへんねんけど。     昨日も職場で子どものときに参列したお父ちゃんの父、おじいちゃんのお葬式でのことを話す。孫やから焼き場まで連れていかれ、最後、お骨を拾うわけやけど、そんときにおばちゃんやおっちゃんが「おじぃちゃんは骨がしっかりしているから形がきれいに残っている」とかという会話をする。子ども心に、大人はえげつないと思ったもので、いらんしぃ、早く帰らせてくれ!と忍の一字で優等生の私はダダをこねることなくおとなしくしていた。が、心の中で罵詈雑言や。あんたら、おじいちゃん一人ほっといて、そのそばに私をおいて、わいわい楽しそうにしとったやないか!と。そんなことからあのお骨を拾うって作業はいるんですかねぇ?って職場で話す。     ホームの入居した義母は思い出したように帰りたがる。そりゃ、帰りたいやろ。っで、息子の旦那は、そのおかんの帰りたいを受ける親父がしんどくならへんかをやたら気にする。親父は一人息子がほぼ毎日、顔を見せてくれるからこっちに居つこうという気分になっている。実の親子はええわな。そりゃ、後妻さんのお義母さんは帰りたいわ。「みっちゃん、子宮筋腫の手術をしたじゃろ?あんときに子どもは一人いてるからってお父さんがいうから子宮とったんじゃ」ってお義母さん。自分の子どもが欲しかったんやろ。そんな話を小出しにしてくる。     だから、自分の妹の子と息子を結婚させたいと思うわな。ほんだら血のつながった孫が持てたもんなぁ。でも血のつながりもアテにならん。やたら自分の兄弟に固守する義母やけど、引っ越しましたのはがきをだしたが、連絡先の我が家に心配して電話をかけてきたのは、義父の友達と義母の勤め先の古い知人だけ。お互いの兄弟からはなしのつぶて。そりゃ、しゃ~ないわ。みんな60代、70代、80代としんどい年やったり、自分の兄弟より子どもや孫とのつながりを大事に思ってはったりや。でも、義母はそこの固守するから、自分の息子のことを弟の名前で呼んだりする。     旦那は「なんで二人して認知症になってんやろ?」と嘆くが、申し訳ないが自業自得やろと思う。うちのお父ちゃんが脳梗塞になったのも自業自得や。「酒ばっかり飲んでるからや!」と本人にも「自業自得や!おかげで私がしんどいめしてるねん!」という私に、「しゃ~ないやんけ!」とじじぃ。「しゃないことあっかぁ!!」と私。ここは、実の親子やから出来る会話。義父母に「自業自得ですわ」とはよ~いわんけど、孫が生まれるっていうのに自分の息子がしんどいめするから生むなとか、孫が病気やっていうたら遠くて行かれへんねんから連絡してくるな!とかいうから、孫も私も寄りつかんようになって、夫婦二人の生活を10年もしていた。そりゃ、刺激のない生活、10年なんらかわらん生活をしていたらボケるやろ!ボケいでか!っていう話。厳しいようやけど自業自得や。なので、義母の「帰りたい」を義父は真摯に受けるべきと厳しい私は思うわけや。     私がそれぞれの4人の親のサポートで走りまわらなあかんようになったのも自業自得やな。これはしゃ~ない。そういう運命と臨機応変に対応する。近所のおばちゃんにあれこれ頼まれるのも、なんでも頼みや!って雰囲気をかもしだしている私の自業自得ということやわな。できることしかせぇへんけど。これがまたできることがほかのおばはんより多いような気がする。自分でいうけど。     とまぁ、すべてはそういう運命よと受け入れるところから始まる。なので、私には宗教は必要なし。最近、思い出したが、私はこの人の生き方に影響されている。二宮金次郎さんや!私は小学校のとき、学校にあった二宮金次郎の銅像を見ながら、この人みたいに努力しやなあかんと思った。私が崇拝するのは二宮金次郎とナイチンゲールとジャンヌダルク。ここに私の原点あり!     ごくごく最近、近所に越してきはった人がいてる。うちの近所で幅を利かせている某宗教団体とはちがう宗教らしい。それは、うちのお母ちゃんの下の妹と同じなんやけど。つくづくこの二つの宗教と縁があると思いながらどっちも私には関係ない。職場で、一番手がかからん宗教はなに?って聞いたところによると、浄土真宗西本願寺らしい。それぞれの親4人の葬式をどうするかを思案している。お墓もいらない。天王寺の一心寺でみんな仲良くお手手つないで収まってもらおう。私もあとから行くし。     そんなこんなを考える、70代80代との関わり。 ケツメイシのDVD、買うたるねん!!  ”
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事件勃発!
“昨日、夕方、ホームに居てる旦那から電話。「誰がミカンを持ってきた?」って。3時ごろに男の子が持ってきたと義母が云うているらしい。その時間はうちの男の子は学校やし、妄想や!よその部屋から持ってきたかもしれんからヘルパーさんに確認してもらいという。結局、よその部屋の人もみな認知症にて、そんな話をきいたところでわからん。義母はというと、途中から廊下に置いてあったと言い出す始末。   このホームは下の玄関を入るとすぐに横の事務所から人が出てきはる。利用者が生活している2階へのエレベーターはパスワードを入れないと動かない。昨日知ったが、玄関に誰か入ってくるとどの利用者の関係者かが該当階のヘルパーに連絡が入るシステムらしい。それによると、昨日、義父母がいてるブースに来たのはうちの旦那が最初で最後。なので外から男の子は入ってきていない。   結局、みかんの出所は不明のまま。それ、私がその前の日に持っていったみかんのような気がするねんけど・・・   して、昨夜、旦那が云うには義母、5分おきにトイレに入っていたとのこと。その前日の私が行ったときも40分ぐらいの間、こたつに座ることなくうろうろしていた。落ち着きがない様子。今日は院長の往診(毎水)なので、みかんの件ともども伝えてもらうよう電話する。遠方からきて、混乱しているのやろうなぁ~と思うが、とにかくここを乗り切ってもらわないと。   てなことで仕事に行ってこ・・・”
16
テレビも直す嫁(^^)v
“昨日、ホームに出かけようとしたら高校Pの委員長から電話。2,30分話をしてしまうから予定より大幅に遅れて、寒空の中駅に向かう。何いうて地下鉄高井田からJR高井田中央駅へ上がる階段が信じられんぐらい風が吹き込んできて寒い。その上、JRのホームも空の下でおまけにここは15分に1本しか来ない(時間帯によったら20分に1本やったりする)から、電車が行ったあとはつらい。拷問のごとくの時間を過ごす。ホームまでは乗り継ぎがうまくいったらドアtoドアで30分のときもあるが乗り継ぎに下手こくと4,50分を要する。   そんな寒空の中、片手には前日に買った二人の下着が詰まったパンパンに膨れたエコバックと途中のスーパーで買った、みかんとまがりせんべい、そしてもう片方には私の鞄。気を抜くとへたり込みそうになる荷物。それらを抱えてホーム着。共同リビングで仲良くなったおばちゃん(同じく認知症)と3人で大きいテレビの前で談笑中の義父母。私の顔を見た途端、開口一番に「テレビが壊れたんじゃ」と口をそろえて言う。え~~~買ったばかりのテレビ、そう簡単にはつぶれんやろ?あのあほほどいっぱいある地デジテレビのリモコンの操作ミスやろ?と心ん中でつぶやきつつ、「ほんだら、いっぺん見てみるわ。」と私。「○○(旦那の名前)に電話して云うたんじゃ。夕方、見にくるっていうてたんじゃ」と義父。   いや~うちの旦那には直せんで!と思うが、ここは黙って「そうなん?いっぺん、私が見てみるわ」って3人で部屋に行く。有馬のお父ちゃんもよ~やる、地デジ以外の放送のボタンを押しているやろという予想通り、電源を入れたらBSの契約をしていないとかのメッセージが出ている。なので地デジのボタンを押す。テレビ、映る。「うわっ直った。みっちゃん、どうやったんじゃ?」と義父。で、このボタンやでと教える。   「○○(旦那)にテレビが直ったって電話しといたほうがいいかのう?」っていうから、「うん、しといて」って私。携帯電話の操作をようよう覚えた(それを教えたのも私)義父は嬉々として旦那に電話。「テレビ、直ったんじゃ!みっちゃんが来てくれて直してくれた!」というてる。テレビも直す嫁やで、ええ嫁、もらったやろ!とこれもまた自分で言うとく。   そして持ってきた下着の山を広げて、「これはお義父さんのん、こっちはお義母さんのんやで。」というと、義母は涙ぐむ。認知症になってからは可愛らしくなってはるので、「泣くことあらへんやん、箪笥にしまっておこか?」と二人で箪笥に収める。義父も嬉しそうに箪笥にしまっている。二人とも認知症にて父親じゃ母親じゃというえらそぶるところがこっちに来てからとんとなくなって、おかげでやりやすいし可愛げもある。   そうこうしたら、仕事帰りの旦那が到着。テレビの壊れた(壊れたわけやないけど)のを直すにはこうするっていうのを、旦那に説明する義父。「そんな、俺に聞かれてもわからんかったわ」とあっさり白旗をあげる旦那。テレビを直せるのはみっちゃんだけやで~覚えときやぁ~~とこれもぼそっと心ん中でつぶやく。   して、朝一、生協までにと、駅前の郵便局に行って義母の国保の引落手続きをする。顔なじみの局員さんで、先週の義父母の住所変更の一件も記憶してもらっているのでやりやすい。そのあと、次男の併願私立校の受験料を振り込みに南都銀行に行く。そこで中学Pの人と会う。同じく私立校の受験料振込に来てはる。すこししゃべる。この方は一生懸命動いてくれはる人やから私は快く話ができる。もし、これが例のぼんくら二人やったらスルーやな・・・今から、そのぼんくら二人の尻拭き作業をする予定。ほんま、なんで今頃、こんなことを私がやらなあかんねんと思ったら、怒りがふつふつとしてくるちゅうねん!!!いらん仕事増やしやがってって、お父ちゃんみたいにぼろくそ言えたら気分も晴れるが、なんせ、女相手に喧嘩はせん性質の(ちゃうねん、女は怖いねん。だから喧嘩、よ~せんねん。)私はぐっとこらえて、縁を切る。これが終わったら正真正銘、縁を切る!    ”
15
いらんことするな!っていうたのがわからんか!!
“と怒鳴った昨日。有馬のお父ちゃんに。土曜日はディルームで昼食。嚥下障害を防ぐため、おかゆと刻み食。左半身マヒにて左の口元から食べこぼしがある。他の患者さんと同じ病院が用意してくれている大きいエプロンをつける。食事が終わって歯ブラシをする。そこまではええ。歯ブラシの後片付けをするため、水道のところに行くのに、「じっとしときや!わかった?いらんことしたらあかんで!じぃ~~と待っといて!」というてお父ちゃんから離れる。   歯ブラシセットを洗ってお父ちゃんのほうへ向かって歩き出す。げっエプロン取っと~る。で戻ると、パジャマの上にエプロンについてた食べこぼしそのまま落としているしぃ。「だから、いうたやろ!!じっとしとけって、いらんことするな!っていうたんわからんか?人の話聞いてへんのんか!」と舌巻いてどなる。このディルーム、やたらテレビの音量が大きいのでそれにかき消されるから少々大きい声でいうても誰にも聞こえへん。そばにいてるのは脳梗塞の後遺症らしきおっちゃんおばちゃんばっかりやし。お父ちゃんの後ろにいてはる人は60代前半ぐらい。若いがこの人が今、かなり手を焼かしている風。お父ちゃんもたいがいと思っていたが、おっとどっこいてな話で、上には上がいてる状況。   そして、思うが、ここは脳梗塞の後遺症、そこからの認知症の方が多い。ほぼ100%車椅子移動。食べこぼしはあるが、下のほうもおむつやったりするが意思疎通ができる。がゆえに、駄々をこねよる。っで、義父母がいてるホームは認知症(アルツハイマー)の方が多い。自立歩行やし、ご飯だって普通食。うな丼も出てくる。だけど話している内容が筋が通っておりません。医療が発達したこの高齢者社会のもっとも問題となっている認知症と脳梗塞をまざまざと見る。脳梗塞は防ぎようがあるっちゃ~ある。認知症はなぁ~~と。そんな感傷に浸っている間がないのが現状。   私に怒鳴られたお父ちゃんはしおらしくなっている。しおらしくなりつつも、「風邪はなおったんか?」とうちの長男の風邪の具合を聞く。このあたり、頭は達者。風邪なおったんか?の言葉は、悪いが私やから聞き取れるっていうやつで、もっとゆっくり口を大きくあけてしゃべれよって言いたくなるぐらい、もごもごいうてて聞き取りにくい。そして、○○ちゃんは?(次男)といまだちゃんづけ。いつまでたっても小学校2,3年ぐらいのイメージが残る次男。そのくせ、お父ちゃんはこの次男に免許をとらせ(自分の年金で車も買うたるとか)、自分を乗せて家に連れて帰ってもらおうともくろんでいる。   そして、○○は?って私の名前を言う。え~~順番的には次は娘やろ?と。3回目にやっと気づいて□□は?と娘のことを聞く。まぁ、どんだけ怒鳴られようが、一番かわいいのは娘の私で、なのでわが娘のことをしょうっちゅう、私の名前でよぶ。これは娘が生まれてからずっと。なので娘は「じぃちゃんはおかあさんのことが一番かわいいねんなぁ」という。とその娘の成人式の画像を見せる。   「ほぉ~長袖か・・」とお父ちゃん。「ちゃう!!振袖や!」確かに、袖、長いけど・・・・2年前にも「わしがこんなところに入ってもうたから、□□(娘)に長袖を買ってやられへん・・・」って嘆くから、長袖ってなんやねん・・・て思案。その前に娘の年齢の話をしていたからそれは振袖ちゃうん?って突っ込んで、「あんなぁ、長袖とちゃう!振袖や。覚えときや!」っていうたのに、忘れたんか!!!って話。やけど、ここは突っ込むだけで怒鳴らず。   そんなこんなで、有馬から尼によって、そのあと堺筋本町の寺内によって義父母の下着をたんと買う。たしか、11月の終わりに下着を買って送ったのに、それ2枚ほどしか持ってきてないし。てか、穴の開いてるショーツを出してきて、「みっちゃんが見える!」って穴からのぞかれても・・・・   てなことで、今から持っていこ・・・・”
14
掃除した尻から・・・
“ゴミが舞う、義父母の部屋。私はそんなこと平気なんやけど、実の息子の旦那は「わしが行って寝っころがられへん。掃除してくれてへんのんやろか?」っていうから聞いてみたが、掃除した後に行った私。何も変わらんやん・・・てな状況。   義母は義父と二人になると「いつ帰るんじゃ?」と聞いているらしく、義父は「死ぬまでここにおるんじゃ!」と答えたそう。私には「あんまりしつこ~云われるといやになる」と嘆いてはる。義母はといえば、私が行くと「みっちゃん!みっちゃん」の連発。挙句の果てに「みっちゃん、かわいいのぉ」と云わはる。心ん中でどこがかわいいねん!と突っ込みつつ、苦笑い。今のところは私は居心地いいので気分よくホーム通い。旦那は義母の弟の名前で呼ばれたり、部屋の汚さに辟易しながらも毎夜仕事帰る寄る。まぁ、孝行息子ですわ。   昨日はいったん、うちの住所に入れて二人の住民票もはれてホームに異動させ、ゆう貯の住所変更(6冊あるから1時間かかる)もすませ、あとは生命保険等の住所変更を終えたらとりあえず、事務処理は完了!事務処理が達者な嫁でよかったやろ!と自分でいうとく。   さて、今日は有馬のお父ちゃんとこ。近所のおばちゃんは「自分の親もあるのにあちこち、あんた、えらいなぁ」というてくれはるが、「同居して面倒みること思ったら全然楽!私なんてほんま全然楽やねんで」と。ほんまそう思う今日このごろ。行ってこ・・・・”
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怒涛の4日間。
“6日に広島から義父母が移ってきた。お昼過ぎに娘と二人でホームに行き、午前中に届いているこたつやその他こまごま雑貨の梱包をほどき、セッティング。15時前に疲れてはてた旦那が二人を連れてホーム到着。2泊3日で病院受診、銀行、役所周りと普段ならすべて私任せのことを認知症の二人を連れてこなしてきたのでかなりへとへとの旦那。スケジュール・段取りは私が一覧にして持たせてあったが、あちらこちら見落としあり。ホーム到着後、私は娘を連れて、義父の委任状を持って役所に行って転入手続きや保険、介護の手続きに走る。   夕方、ホームに戻り夕食後まで付き合い、帰宅。次の日は有馬の父のところから冬のバーゲン真っ最中の梅田に足を踏み入れ(バーゲン素通り)、紀伊国屋で次男の最後のあがき、うすっぺらい問題集を選び、即ホームに向かう。翌8日は午後からホームへ。この日は朝の4時半に義父母は外に出ようとしていたのをヘルパーさんに止めらたということがありその件で管理担当の方と話す。義父は私が作った引っ越しましたのはがきを郵便ポストに入れようと思っていたようで、広島に帰ろうとしてたわけでもないので良かったのだけど、今後は勝手に外に出すのは止めたほうがいいということになる。   そのため、ストレスがたまるであろうと昨日の9日は午後一番でホームに行き、散歩に連れ出す。その前、成人式ゆえ、娘を5時に起こし、美容院に送り出したり、堀川戎神社に福笹をもらいにいったり超ハード。いや、その前日もホームに行く前、午前中、旦那から電話で財布を忘れたから駐車場から出られへんのヘルプコール。財布を持って緑橋往復をやってからのホーム。(親子で手がかかるったらない!)   えびっさんの心得。福娘より福おばちゃんのところで福笹を授かるほうがいい。福おばちゃんは毎年、オマケしてくれはる。昨日なんて1,500円分もオマケしてくれはったし。おばちゃん曰く「神さんも気前がいいねん!」らしい。   そんなこんなの怒涛の4日間。12日にもう一度役所周りをしてホームでの介護が受けれる状況にしたらディサービスも始まる。それまでは、サポートのため行ける日は足を運ぶ予定。でもこれも考えもん。私たちが顔を出す入居してはるほかの方との交流の場を失うことにもなる。ディがはじまったら徐々にフェードアウトして週に1回2回の訪問で済ませるようにしなければ、これから先が長い。こちらの身が持たないのと、こちらの暮らしも落ち着かない。   とまぁ、そんな状況で昨日、今日と仕事!行ってこ・・・・”
04
03
初詣からのホーム準備!
“毎年、2日は枚岡神社に初詣。必ずといっていいほど、参道で学校関係の家族とすれ違う。それも、あんまり好みでないお方・・・なんでやねん!!今年も例年にもれずか・・・・駐車場待ちの間、子どもと私は先に車から降ろされるので先におみくじを引く。これも毎年のこと。マイナス思考のわが旦那はぜったいにおみくじを引かない。万が一、凶でも出た日にゃぁ、それを真に受け一年中暗くなるとそれを恐れて引かない。凶が出るかも?なんて危惧すらしない私は毎年引く。たいてい、小吉とか末吉とか。妥当な線。今から上を目指せるぜ!という位置で満足。   これでしょっちゅう大吉を出す長男と凶にお目にかかる次男なのだが、今年は子どもらはみな吉。私は小吉。「かあさんが一番べべ!」と言われるが、「春ごろには抜かすから!」と私。こと細かくあれこれチェックをする長男は探しものがどうのこうのとか、健康がどうのこうのとかうるさい。そんなもんはどうでもええがな。私はぱっと見て良さげな一文だけ記憶する。   今年の厄年にあたる年齢をチェックする3人。「あんなぁ、それ母さんの若いころにはなかった厄年が増えてるねん。神社の商法にまんまと乗るな!」というておく。「そして、みてみ、それ40代、全滅や!」と。そして「母さんのあえてあれが厄年にあたる出来事か?っていうのは見事にその厄年の年齢を外れている。気のもん!母さんに厄年はなし!」と強気な発言をかわす頃に旦那登場。あえておみくじネタはしない。   今年は高校受験の次男が絵馬を授かる。たいていが志望校合格!なんて書いているので「あんなぁ、志望校なんてごまかしたらあかん。ちゃうんと学校名を書かな神さんもさて、どこの高校や?ってわからん。学校名を書きや!」という。が、ほんま大丈夫か?という次男は私の心配どおり学科名の漢字を間違う。「かあさん、もう一枚買ってきて!」としゃ~ないなぁとここは絵馬を授かりに行く。そしてめでたく学科名まで記入。「名前もフルネームで書いてときや!」と。本人、これだけで受かった気になって、「母さん、合格発表の次の日には携帯と服と買いに行こな!」やて。「受かったらな!」と釘をさす。   このあと、毎年の参道での腹ごしらえ。玉せんを買っては毎回、メインの卵を下に落とす長男は今年もそれをやらかす。高校生やろしっかりしろよ!と来年は玉せんはタブーやで。卵落としたらセンター突破でけへんでとここでも釘をさす。   そして、くら寿司でたらふくお寿司をいただく。というても、私はえびとあなごとまぐろのみ。デザートのシューアイスは2ついただく。くらポンもふたつゲット。めでたい2日めのメインイベント、ホームの入居準備に向かう。年末に届いている地デジ対応TV(いまどきのテレビはみんなそれか・・?)のセッティングに5人で取り組む。まさに初体験!「この大きさ(22インチ)でええから、ほしいよなぁ」とつぶやく旦那に息子二人がうなずくが・・・・1年お待ちという話。すでに長男の来春、大学受験体制にはいっており、もう1年テレビ禁止令が密かに発令されましたぜ!元旦の朝、貴方たちが爆睡しているとき、厳かにわたくしが一人発令しましたの(^^)v   テレビと冷蔵庫を設置しその他のこまごまもとりあえず形を整えホームをあとにし家路につく。お昼前から夕方6時まで、この狭いピンポイントで動き回りへとへとになる。そして、いまだ年賀状の作成にいたらず。今日から部活があるという長男。お正月も昨日までということで、今日は家にこもってあれこれ用事をこなさなければ・・・  ”
02
元旦は山に行く~
“元旦はまずは山(有馬)に居てる父のところにご挨拶♪11時過ぎに芦屋に到着。まずは腹ごしらえとR2沿いにある"日の丸軒らぁめん。"に寄る。内容はコチラ。病院到着後、まずはナースステーションに挨拶に行く。そこで看護婦さんが「てんちゃん(父のこと)、今から浣腸やねん!かまへん?」と、元日早々に浣腸とはつらいなぁ~お父ちゃん。「かまへんで、その間、部屋でとくしぃ」でとりあえず、父のところに。   「今から浣腸らしいなぁ」「せや、痛いねん。浣腸するぐらいなら死んだほうがましや!」と我が家5人を含めて、一番ほっぺがピンク色の父が言う。「あんな、そんなええ顔色してたら死にたくても死ねん!!」というてやる。そんなこんなで浣腸をすませすっきりしたお父ちゃんに「そういえば、あんた、年男やなぁ、84やん!」「せや、宝くじ買うたら3億円当たるような気がする!」とお父ちゃん。(年男で当たったら皆買うわ!)「そうなん?ほんだら夏のん、買ってみる?それ3億当たったら、ここにいてる6人で山分けしてくれるん?」「山分けしたる!」と元旦から能天気な父娘は宝くじの話で盛り上がる。その他4人はこの会話を苦笑いしながら聞いている。正月から超平和な会話にシアワセを感じる私。ぷっ・・・   そして、下の足湯場で足湯をして山を下りる。昨年の元旦は大雪で芦有道路はさんざんだったが今年はクリスマス寒波の雪の残骸がかすかに残る程度で車はすいすい。この後は尼のお母ちゃんとこによって鍋を食べて(作るのは私・・材料も我が家持ち)帰る。が、お母ちゃんが云う。 「さっき、兄ちゃんから電話があってん。」って嬉しそう。 「ふ~ん、なんて?家、引っ越したっていうてたか?」 「ううん、家はそのままでいけるらしい。」 「それ、どういうことやねん!しょうもないところでお金借りたんとちゃうんか?」と私。我ながら、超きつい妹。 「さぁ、その辺はわからん。正月の挨拶をして山(有馬)にもずっと行ってへんってえらい気にしてたで。」と愚息をかばうお母ちゃん。 「行ってへんてなぁ、おととしの11月から来とらへん。1年以上、ほったらかしや!!!!」と切れかけの私。 「そうやなぁ、携帯からやったし長話もできんから、子供だけでも来たら?お年玉用意しているでっていうてん。」って親ばかぶり発揮のお母ちゃん。 「ふ~~ん。それで?」超冷たい私。 「一回電話切ってんけど、しばらくして明日行くってかかってきた。」 返す言葉なしの私! くそぼけ兄貴とよくボケ白豚嫁!目の前にいてたら罵詈雑言を浴びさせてやるのに!   年金で細々と暮らしているお母ちゃんゆえ、我が家の子どもらには「ばあちゃんからお年玉をもらおうなんて思って行ったらあかんで!!」っていう私に3人ともが「わかっている。」というたのに。孫でさえそういうたのに、くそったれの愚息は「お金がないから」って電話だけで年賀をすまそうとしたらしい。お金がないっていうのはお母ちゃんところにいくバス代がないってこと。どついたろか!!   元旦早々、私はおもいっきり誓う!ぜったいに喪主は私がする。長男として喪主して恰好つけたかったら葬式代をだせ!って思いっきりシャウトしたるしな。我が家の子どもらに云わせたら、じいちゃんの葬式には来えへんのんとちがうか?とあの白豚嫁のことを言うていた。来んでいい。来たら、こき使ってやるからな!   しかし、あんな愚息でも長男は可愛いらしいお母ちゃんにも腹立つ。結局、無理をしてうちの子らにもお年玉を用意していた。それさえもくそボンクラ兄貴のあの可愛げもない子どらにお年玉をやりたい手前か?とさえ思うやろ?だから、6人いてる孫のダレ一人にもお年玉を用意せんかてええ!って年末に云うたやろ!!くそったれ~~そのしわ寄せは私やないか!マンションのトイレ修理の3万はきっかり私に請求してきよるし、それがお年玉に化けたって話やんけ?   とまぁ、結局、私は切れまくりで新しい年を迎えたってことはまたも1年中切れまくる?そんなこともないやろぉ~~~と・・・”
01
明けましておめでとうございます!(^^)!
“いつもと変わらない朝を迎えたことに感謝!2012年も忙しくなりそうですが、なにごとも真摯に取り組む姿勢は変わらず、邁進していきたいと思っております。   さ~て、2,3日前の話とはいえ、昨年のこと、ほんまないわ~~というPのヤツのおかげで、書きかけていた2010年を振り返ってみる!というお題のネタ、今さら公開もできずゴミ箱に捨てたし。くっそ~~。大晦日まで仕事をしやなあかんようにした本人は音沙汰ないし。連絡するといいながら連絡していないというのは舐めてんのんか!!と。私がここまで憤るのをまともな人は納得して当然のことというたはるしな。ほんまない!   と、新年早々、文句をぶちかました私。たぶん、いやきっと、今年もここでは文句ぶちかましになるんやろうなぁと思う。   大晦日といえば世間では紅白を見るというのが習わしのご家庭が多い中、私は結婚してこのかた最初から最後まで紅白を見たことがない。ここ数年は紅白のこの字もかすめない。我が家ではダウンタウンのんを見ているか、もしくはテレビがついていない。紅白を見ないのは旦那の趣向。彼の実家がその趣向らしく・・・まぁ、義父は若い時分から夜8時には寝るという習慣。基本、テレビはNHK。なのに、大晦日の夜の紅白というのはあまりないらしい。     正直いうて、くそ面白みもないお家なのだ。かというて、テレビの代わりに本を読むというわけでもない。笑いのツボの違いは土地柄+家柄ということなのだ。うちのお父ちゃんはテレビでプロレスorボクシングor相撲を観ながらラジオでプロ野球というステレオ観賞をしていたから、シーズン中は家ん中うるさかった。そこに+お父ちゃんの「打たんかぁ~あほ!」とか「いてまえ~~猪木ぃ~~」とか・・・そこに私も時々参戦する。なので、私はその時代のこの4つのプロスポーツは網羅している。   旦那はサッカー少年で野球には興味なし。結婚当初はプロ野球のセリーグとパリーグの違いを私が教えたという。仕事の付き合いで数年前甲子園に阪神選を見に行き、やたら興奮していた。悪い!私は子どものときから甲子園には行っている。外野専門やけど。それも自転車で武庫川の堤防を走って・・・   子どものときの育った環境の違いはかなり大きく、また、家庭の成り立ちの違いもかなり大きい。が、そんなことも私のペースに巻き込んで、この6日には義父母は大阪にやってくる。別に私だけに都合がいいようにしているわけやなく、客観的に考えて妥協点を見出すとこうなったわけで。それは、旦那の実家に限らず、私の実家もそう。まぁ、うちのお母ちゃんにいたっては人生の際でえらいわがままを言い寄ったから、しぶしぶそれに応えてやったが、その代償として葬式はせん。てかするお金がないやろ!って話。生きている間にええ思いをさせてやっているねん。葬式までは手はまわらん。   そして、今日は5人で有馬のお父ちゃんところに行く。最近は、「わしにはお前だけやからな!」を連呼してはる。「わかってるがな!だからこうやってきてるやん。」というが、せや、今度、それいうたら「ほんだら、あの中古のマンションは私にやると遺言状書いて」というたろ。マンションたって震災にあってイガン出るし、昨年のクリスマス頃にはトイレから水がじゃじゃもれで年末に修理(修理代は我が家持ち)やし、内装をきれいにして売りに出しても、子ども一人も大学に行かされへんぐらいしかならへん。それでも、くそぼんくら兄貴に半分持っていかれるのは腹立つ。遺言状かけ~~って話や、お父ちゃん!唯一、阪神間に建っているというところが私には魅力。   そんなこんなのやっぱり文句をぶちかまして元旦のネタは終わる。”
2011
12月
29
今朝の電話
“7時半に旦那の実家から電話。受話器を取ると無言。 「もしもし!」と私。 「みっちゃん?」と義母。 ナンバーディスプレイやからどこからの電話かは分かっているが誰からかまでは家電なのでわからない。 「おかあさん、おはようございます。」 「おはよう」とここまではよかった。 「私・・・大阪に行くの?」と義母。 「そうよ。待ってるよ。」 「それはいつ?」 「6日からよ。なんで?」 「私、お世話にならないけないような病気でないし、迷惑かかるでしょう。だから行かない。」 エッ、何いうてるん!もう契約したし・・・・ 「そうなん?でも、待っているよ。お母さん、来てちょうだい。」 「それ、お父さんも一緒?」 「そうよ!お父さんと一緒に来て。」と声を大にして言う。 なんせ、お父さんと一緒ならどこでも行くということで大阪行きをすんなりOKした義母なので。 そしたら、小声になった義母が言う。 「あのね、あの人(義父のこと)、いろいろうるさいの。一緒に行くの嫌!」ときた。 え〜〜〜やっぱり、義父がまたいらんこと言うてる。   今回の大阪行きも義母が病気(認知症)やから仕方なしに納得ということで来る義父。いやいや、貴方も認知症ですやん。二人とも病気!っていうのが理解できず、自分は十分まともだと言い張る。言い張るところが認知症やのに・・・・と思うが刺激してへそを曲げると困るのでスルー。ただ、そのうち、義母にお前のせいで大阪に行くことになったとか言い出すやろうなぁを危惧していたら案の定や。   認知症の義母を説得なんて無駄なので、話を変える。というか、この二人を説得するのは私の仕事やない。ここは旦那の仕事なのでそこに私は必死にならない。旦那が決めたことに従っています嫁を演じる。っで、 「お母さん、風邪引いていない?」と話を変える。あとは知〜らない・・・と。   認知症になった義母、それまでの"私が母親よ"という片意地をはることもなくなったので、私としては気を使うこともなく今のところ可愛げもあり接しやすい。可愛げというのは、認知症ゆえ近場に住み頻繁に顔を会わすようになるとどうなるかわからんとは思うが・・・。ただ、息子である旦那とも義理の仲。私は嫁なので義理の仲。血が繋がっていない分、キレイっていやキレイ。ほかの周りの高齢者の血のつながりのやらしさを感じずにはいられない今日このごろなので、その点、それがない分、やりやすい点もある。   まぁ、どちらにしても頻繁に顔を会わせともめ事も増えるであろうとは肝に銘じておく。”
28
受け入れ準備中!
“23日に無事に契約をすませ26日に契約金を振込み、あとは6日の入居までに受け入れ準備を済ませる。とりあえず、テレビと冷蔵庫はホームに運び込まれている。トイレットペーパーやらシャンプーやら細々したものは我が家に届いている。これは年明け2日に持って行く。コタツと部屋干し用物干は6日の午前中、箪笥も同日にニトリから届く予定。義父母は14時前に新大阪着なので15時前に入居する。そして、昨日は携帯電話、らくらくフォンを新規契約してきた。部屋には電話はない。公衆電話も置かれていないので電話は事務所のを借りることになる。頻繁には気が引けるしほかの入居者も携帯電話を持っていると聞いたので買うことにした。   ファミリー扱いにすると旦那や私の携帯への通話は無料やし、メールは必要ないので一番安い料金。持ち帰ってらくらくフォンの設定をする。超簡単なので御年80の義父も使えるであろう・・・というか、今、毎日のように息子(旦那)と連絡を取り合っている状況なので使わずにはいられないと予想。   入居してきた当初は寂しい思いをさせられないので頻繁に顔を出すつもりやし、転入届けや移動届けや銀行等の住所変更等で役所行きも頻繁になる。ばたばたと年が明けて行く。9日には娘の成人式やし、そのあとは次男の高校受験がいよいよ佳境に突入。     忙しいときにはあれこれ忙しいことが続くもので、我が家の健康保険証が切り替えとなり、一旦国保に移してから建設業の国保加入をする。12月は所在地の国保なので今、その健康保険証が手元にあるが、これがちゃっちい!ポイントカードか?というカードサイズの紙仕様。ケースもないのでくしゃくしゃになったら終わりやん・・・って感じ。昔のサイズ(今の後期高齢者の保険証)のほうがまだまし。高い保険料を払ってこれかい!とツッコミつつ、まぁ、1月から建設業の国保やからあのしっかりした固いカードになる。その建設業の国保の加入手続きを昨日、西大橋まで行ってやってきた。   この建設業の国保には以前も加入していた。そのときは四ツ橋筋の古い雑居ビルやったのが今は長堀通りに面した全面ガラス張りのリッチな事務所に移転してはる。儲かっているの?と思った私。厚生年金保険やら国保やらあちこち行ったり来たりの我が家。これらの手続きはすべて私。昨今、新聞をにぎわしているサラリーマンの主婦の年金。自分の年金がどうなっているかわからんなんて私には信じられない話。なんせ、私は行政すら信じていないので年金の領収書やら何やら何までぜ〜んぶ保管している。だいたい、国にやっていることなんて、知らないと損をするばっかり。   先日の契約金振込のとき、ことのついでと我が家にやってきてくれはったお客様係(ファイナンシャルプランナーでもある)に時間を取ってもらいあれこれ相談する。義父母のあれこれ大切なものの管理の方向性など・・・・少し前に相続税と贈与税の仕組みが変わるという新聞記事があったのでその辺も詳しく聞く。世の中には知らないことがたくさんある。知らなければ損をすることがたくさんある。おかげでまた私が勉強するネタが増えた。私の勉強ネタはもっかのところはお葬式事情やったりするねんけど。義父も父も次男。宗教事情もあれこれ調べやなあかんし、どちらも次男ならお気楽。代々云々を気にせずにできるがそれをどうするかが思案どころ。   現役バリバリ世代のお葬式なら社会生活上参列していたく人も多数であろうが80を超えるとその辺りを念頭にいれる必要もないならご大層なことは必要ない!と私は思うがさて当のご本人たちは・・・というところ。私の父母にいたっては無い袖は振れんということで至ってシンプル(チープともいう、質素ともいう)でよかろう。文句があるならかかってこんかい!ということで私が強行に押し進められるが、義父母はいかがなものか。   そんなことを思いつつ、2011年も残すところあと4日か・・・・    ”
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MaryChristmas(^^)v
“世間ではクリスマスでなおかつ日曜日という本日、私はPの作業をする。クリスマスの日に一人この作業をしている状況に非常に憤りを感じるわたくしでございます。こういう状況に至らせた奴らは今頃のほほんとクリスマスを楽しんでいるかと思うと、腹立つやろ!   段取りもでけへんというのは想像力に欠けるということで、想像力のないヤツは・・・・はっきり申し上げてバカですわねぇ。ここはアホではなくバカです。大阪弁ではアホというのは時に愛情表現として用いられる。可愛いヤツやな~という意味で使うとうきもある。その場合はカタカナでなくひらがなが適しているというのは私の感覚。なのであえてバカと申し上げる。   私にはとてもマネできない失態に近い状況を招きながら、いっこうに堪えていない様子。そのケツを拭いてやっているねん、私が!甘えるのもええ加減にせえや!と言いたいのをぐっとこらえる。ん~~これぞ忍の一字。その代り、これっきりや。女・子ども相手にいちいち噛んでられへんので絶つ。   さて、夏からず~と引きずっていた義父母の問題もとりあえず1コマ前進。年明け6日にはめでたくこっちのホームに入居が決定。先日、契約も交わしてきて、さっき電気屋さんから電話でテレビと冷蔵庫は届けられた。箪笥とこたつとその他こまごまとした生活雑貨は6日にニトリから届けられる。ティッシュやシャンプーやその他もろもろもネットで注文して年内にはここに届く。それを持って2日には入居先に運び入れ、テレビのセッティング等々・・・の予定。   とりあえず、ぜ~んぶカード払いにしたので年末の買い物三昧でもなんとか年は越せる?いや~別にお金がなくてもあっても新しい年は平等に誰にでもやってくる。昨日は有馬のお父ちゃんの、せやせや足の爪切ったろ!とぱっちんぱっちんする。「ほれ~足の爪もきれいになってこれで正月を迎えられるで!」という私にお父ちゃんはうなずいていたが、別に足の爪が伸びてようがお正月は有馬にもやってくる。「今度は元日に来るわな~~」と手を振って、ものごっつい寒い山から下りてきた。はんぱちゃう!ここらとは空気の質感が違う。それが一層身に染みるってやつ。   年明けは4日から仕事。年末の仕事は納めてきたが、それは外勤の仕事。在宅の仕事(旦那の仕事の作業などなど)はいっこうに終わらず。年末ギリまで働いて年明け早々から頑張らさせていただきますという感じでしょうかねぇ。   思い返せばこの2011年もまた激動でございました。というか、ず~~と走ってはります?って聞かれるぐらいあちらこちらでちょこちょこと動いていた私。たしか、私はあんまり身体は丈夫やないねんってタイプやったが、いや今でもそのはず。身体のわりに根性だけは人一倍。それでイケてる?   昨日、有馬の帰り、母のところでの話。母の妹・叔母はヘルパーをしているが、その叔母の職場での認知症のおばあちゃんの話。おばあちゃんなんてかわいいもんでなく、色ボケばばあと申し上げたい。いつもは男性のヘルパーがお風呂に入れたはるとのこと。その日はたまたまそのヘルパーがお休みだったので叔母とか他の女性ヘルパーがお風呂に入れようとすると暴れまくって拒否。それで仕方なく、別の男性の新入りヘルパー(60代)に頼んだらすんなりとお風呂に入ったと。そして、そのあと、その60代のおっちゃんが打ち明ける。触られまくった・・・と。げ~~~色ボケばばあやんけ!!と私はシャウト!そんな色ボケばばあ、他にも聞いたことあるけど・・・・若いオトコマエのヘルパーの兄ちゃんがお迎えのときはご機嫌で、ちょいとぶちゃいくな男のヘルパーの兄ちゃんのときはご機嫌斜めになるって色ボケばばあ。   そして、お母ちゃんに「私がボケたら色ボケにはならんわ、なるとしたら、ここに置いとったもんどこやった!!!」とかいうて子どもをさんざん詰る。そうなったら、どこなと施設にほうりこめと子どもいうたある!」っていう私に「あんたはボケんわ。」とお母ちゃん。内心、いや、私もそう思ってる。   そんなこんなでボケるとかボケへんとか、ほんま色気もくそもないクリスマスの日。昨日はイブ。有馬から尼。そして梅田経由で帰宅。イブの日の夕方に梅田なんかに行くもんやない。あほらしいってやってられへんと帰宅。そして今、Pの作業って。最初に戻るが、ほんまないわ~~。            ”
19
結局、私の独演会!
“ここにきての進路変更を申し出た次男に、ならばその件は自分で先生に云えと出かけた三者懇談。そしたらすでに担任には自分の意思を伝えていたようで、黙っている私に担任が「いままで挙がってこなかった学校を出されて・・・」という。そこには親の私は知らないのでは?という気持ちありの言葉。   それで、そこから一気に私の口が動き出す。4月の時点では行きたいと思う高校があるなら普通科でなくてもOK、それがなく普通科と思うならそのあとの選択肢が広がる学校を選ぶという点でいままで挙げてきた2校を言う。そして、先日の私の雄たけび(ここはとりたてて云う必要がないのでスルー)事件の内容。そして今回の進路変更の件。それについての私の考えを一気にしゃべる。   今日の目的は併願で受ける私立校を決めることなので、そのあとその話になる。次男が決めた私立校は微妙な線で別のところいうが、五ツ木模試ではずっとBランクできているのでと押す。結局、今週中に決めると保留。だが、仮にその私立がNGで今回言い出した第一志望校がNGの場合、もう一度チャンスがある。公立の後期で以前からずっと挙げている一つは余裕で受かる状況。それを担任にいう。担任は第一志望がNG のことを考えたら私立は確実にということしか頭になく、後期でリベンジできることを思いつかなかった様子。 進路指導が初めての担任なのでしかたがないが・・・私は3回めの進路指導やし(わが子限定)、いうちゃなんやけど、娘のときに下手な塾に行くより私のほうがはるかに結果を出すでというのを実証ずみ。てなことで結局、私の独演会できっかり15分で終了させて帰宅。たぶん、ここにきての進路変更を申し出たからであろう、次男の前後には懇談の予定はなく、時間をかけて話をするつもりのを見てとる。   ていうか、たぶん、その学科を受けたデーターがないか少ないかで学校もなかなか進路指導が難しいのでは?とは思う。だから、土曜日に学校説明会に行ってきてだいたいの状況はつかんできた。どの程度の子が受けるかも集まってきている子らを見たらなんとはなくわかったし。勝算はある。   そんなこんなで結局、本日の予定を残しながら今頃の時間。やることてんこもり。義父母の大阪引っ越しも今のところ気持ちは変わりなくできている。今週後半には契約を済ませる予定。そのあとは部屋の中を段取りしていつ来てもOKにしなければならない。今朝、こっちの市役所に電話して今回の場合の介護保険の継続についての確認をとる。したら、学校に行く前に銀行さんが突然にくる。ちょっと固まった金額が旦那に通帳に入ったもんやからそれの運用についてだとか。いや~あれは素通りするお金なんですわと事情を説明する。というか、すごいよなぁ、そのソースはどこから?それって個人情報はOKなん?って思う私。まぁ、うちのお金やないから早く契約して元の金額に戻さないと落ち着かへん。   それよか、学校に行く前、FM大阪でやっていたケツメイシの特集でリクエストをした。したら、私のペンネームが呼ばれた。ひゃっほ~~~ってな気分。次男の名前をつかったペンネームにやつは照れていた。先日、娘がFM802でSuperflyのTシャツが当たった。当然、ペンネーム(というか通常の呼び名)を呼ばれた。それを聞いて、私はペンネームがまずいか?と思ったが今日のでいやそんなことはないということを認識。そんなこんなのいろいろ目白押しの一日が暮れようとしている。  ”
18
15
12
認知症を認めない親父。
“またも暗礁に乗り上げてしまったわが旦那。大阪行きを拒否の親父は「自分は認知症でないから行く必要がない」ときた。そして、挙げ句の果てにおかんまでもが「私は認知症でないから二人でここでやっていける」と言い出した。たぶん、これは親父がおかんに「お前が認知症やから大阪に行かんならんのんじゃ!」というたであろうと想像する。いままでそんなことを言ったこともなく、「お父さんが行くならどこでもいい」とさえいうていたおかんが急にそんな電話をかけてくるあたりおかしい。   「最近のおかんは電話にでてもすぐに親父に代わる。話していてわけがわからんようになるのが嫌みたいや」とわが旦那がいうてたぐらい。たしかにそう、自分に自信がなくすぐに義父に聞いたり、代わったりする。そんな義母が自ら電話をかけてくるのがおかしい。義父に責められたにちがいない。   認知症でないという人ほど認知症やのに、墓穴をほってどうするねん!年相応の物忘れをしはる人はそれをちゃんと自覚してはる。それができないってあたりが二人して認知症や!だが、認知症相手に常識的かつまともな話をしても通じるわけがない。まぁ、ここの交渉は何回もいうが旦那担当なので私はちょっと離れて見ているし、自分の親でない分、気も楽。   旦那は自分の親父にかなり手こずっている。遠距離でさえこの状況。間違ってもあり得へんけど、同居なんてした日にゃ、気狂うにちがいなわが旦那なのだ。   そして、認知症でもないのになんで毎日ディに通えてる!って話。介護申請もちゃんと通っているしな。それもどちらかというとまともです!というアピールをしてのこと。パトカー10台呼ぶ騒動を起こしたこともいまだ理解できていない二人。近所迷惑も甚だしいねん。社会生活がきちんとできないという状況を認識していないあたり、立派な認知症でございます。   なんせ、初めて地域包括センターの人に会ったときも、先日の老人ホームで相手が名刺を出すと、「変わった名前なんです」といいながら、自分も名刺を出すという義父。ちゃうやん、その名刺はうちの旦那に出してはるねん。それに変わった名前はすでに知ってはる。おまけに名刺を出すべきわが旦那は邪魔臭いのか慣れてないのか名刺を持って来ていないのか出さない。私が作った名刺出せ〜〜〜と思う。なんやったら私の名刺だそか?とも。せや、今度からそうしたろ。認知症の義父が出すねんし私が出してもなんらおかしない。   だいたい、80になって別に仕事もしていない身でその名刺は社会的にどういう意味がある名刺やねんって話で、この辺りが自分の認知症を認められない所以。しょうもないプライドは捨てろって話や。そんなプライドは糞の役にも立たへん。親としてのプライドを保とうや。それは老いては子に従えってことや。潔く子に従う親こそ親としてプライドを持っているということとちがうんか!   そんなこんなも認知症の人にいうても理解できるわけもなく、「何いうても理解はでけへん。えらいことにならんうちに強行に連れてくるしかないで!」と旦那の背中を押す。表立っては私は動かんしな。そのかわり、男手ででけへん細かいことはする。”
11
昨日の夕方・・・梅田に行く。
“昨日は有馬のお父ちゃん。新しい年を迎えるのに頭、すっきりしとこか・・・・と昼食前に1階の理容室に走る。2か月に1度ぐらいの割でここできれいさっぱりしてもらう。眉毛もきれいに切ってくれはる。(なんでか、眉毛はびよ~んと伸びて目に入りそうになる。髪の毛より伸び率いいんちゃうか?)ひげもきれいにあたってくれはる。   私も近々娘にカットしてもらお・・・・・・と思いながら、山を下りる。おとつい、昨日とめちゃ寒い。有馬はここよりもっと寒い。ひえひえ~~やん。いつものとおり尼のマンションに寄って母のとこに行って帰るわけやけど、昨日は野田で下車せずそのまま梅田まで行く。紀伊国屋に寄るために。阪神から阪急下にある紀伊国屋までを土曜日の夕方18時ごろ歩くというのは至難の業。阪急百貨店前がどうなんすか~~ってぐらいの人々・・・・・・。そして、紀伊国屋入口、BIGMANの前。待ち合わせの若者であふれかえっている。ええな~~今からどこかにみんなでごはん食べに行くんや・・・とそれを横目に紀伊国屋。   ここも人々 ・・・・やっぱりこういう街中の活気はええ。ここを通り過ぎて買うものだけ買ったら速攻引き返さんならん身のつらさ。このまま帰るのはおしいとふら~と阪急百貨店に足を踏み入れる。というても洋服を見る気もせず、地下1階。食料品売り場をうろつき、結局、晩のおかずに唐揚げとお芋さんの天ぷらとアナゴの天ぷらを買う。サラダの材料は冷蔵庫にあるからこれでいい。1階のデザート売り場はクリスマスケーキの予約受付やら超ラブリーは洋菓子があちらこちらにある。   ほんまこういう街の雰囲気はテンションあがる。東梅田に向かうのにホワイティ梅田をちょいとひやかす。そういえば、独身時代、ホワイティ梅田には毎日のようにふらふらしていたし、ここにある靴屋さんには21.5サイズが置いてあるのでしょっちゅう見に行っていた。それを思いだしその靴屋を探すが、改装してから場所が変わったのか別の靴屋さんなのか、それでもちゃんと21.5サイズを置いてあってうれしくなる。というて別にみるだけで買うこともせず、ためしに履いてみることもせず。なんせ、次男からお下がりのドクロの靴下をはいているので人前で靴は脱げない。今度はふつうの靴下をはいてこ・・・と思いつつ、靴屋さんの場所をインプット。   しか~し、土曜日の夕方に梅田に足を踏み入れてそのまま用事だけ済ませて帰るという、なんともさみしいこと。外からみたら、ちっちゃいおばはん、何をちょろちょろしてるねんって感じとは重々承知の上、うえ~~~ん、私もどっかで遊びたかったよぉ~~~    ”
08
揺れ動く親父心。
“朝の6時半。電話が鳴る。ナンバーディスプレイに表示される旦那の実家。出る。旦那を指名。代わる。何かあったか?と思うが・・・話の流れで大阪行きを躊躇している親父を説得する旦那。朝からややこしい話で大変ですなぁ〜と他人ごとに内心突っ込む私。いや〜そこの交渉は実の親子でしか出来んやろうということで、義母も私もノータッチ。義母は自分も引っ越す話なのだが、義父任せの態度なので助かる。   たぶん、義母は自分が1人残されることはほぼ間違いないと思っているし、そうなったときのことを考えると義父に乗っかって反対を申し出ても・・・・とは本能で感じてるはず。義父亡きあと自分の面倒を見てくれる人がもっとも大事なことだから。   すでに契約の段取りでこちらでは話を進めているので、旦那は今さら大人げないことを言うな!と叱咤するが、いうても80歳。脳梗塞とアルツハイマーの混合の軽度の認知症の親父。常識なんて通用はいたしませ〜ん。   電話を切った旦那は、大人げないことを言うのは認知症やからか?と問うてくる。私は医者でもなけりゃ〜介護職にも就いておりません。さぁ〜どうやろ。まぁ、長年住み慣れた家を離れるねんもん。そう簡単に腹はくくられへん。早く目が覚めて布団の中から天井を見上げてたら、あ〜〜やっぱりココに居たいって言うのは認知症やなくても思うやろうしなぁ〜と言うとく。   親父のやっぱり止めとく・・・・の今回の理由は、雨漏りが気になるから家から離れられへん。らしい・・・雨漏りがするならなおさらキレイなところに移りはったどうですか?という話やん。ていうか、わしもあと1年じゃとかいうてる身、雨漏りなんてどうでもええやんとも思うが我がお父ちゃんでもないので言わない。   ここは一気に話を進めて年内強行は必至やと実感した私。   12月はほんに忙しい。広島と大阪で引っ越し準備なんて、それも自分がするわけやないからややこしい。お正月を迎えるにあたって仕事も忙しい。昨日もおとついも12月ということでお弁当も早々に平らげ、PCに向かう私。2カ所とも小規模な会社で、代表取締役は便宜上そうなっているだけという考え方ゆえ、私は社長とは呼ばず、名前で呼ぶ。私も名前で呼ばれる。時々、私が一番偉そうか?って思ったりすることもある。お昼休憩もそこそこに仕事を再開した私に、恐縮しはる。いや、しやなあかんことはちゃっちゃとしやな落ち着かへんだけで、暇なときは適当に遊んでるし。昨日の帰りしも、今日はえらい忙しくて・・・と恐縮してもらう。   わが次男坊主は目指すところが明確になって吹っ切れた様子。いや、おかげで12月になって学校説明会に参上しやなあかんがな・・・とは心に中でつぶやく。とりあえず、旦那にも話す。別に普通科やなくてもいいんやろ?って聞く。本人が行きたいとこでいいと旦那。そうでしょうとも、私もあなたがやりたいという仕事をなんなとしなはれと背中を押したったもんなぁ。何も言えまへんで。言えるのは私だけや。   娘は成人式の日に予約した美容室の不適際で当日えらい早くに着付けと髪の毛をやってもらうことになったと嘆く。おまけに一緒に予約を取った友達が、そんなんやったらと知り合いのところでしてもらうと裏切り行為。しゃ〜ない、当日一緒に行ったるやんと慰める。ふわふわショールの用意をし忘れていたので、年内には買い物に行かなければならない。   そして、例のP作業。どう考えてもギリギリやし、それで完成させてもめちゃくちゃええ加減な状態になる。別にそれでいいならそれでいいが、発行日を来年早々に変更することはできんのか?と打診してみる。で、来年発行へと変更。発行を遅くしてもらった限り、それなりにええようにカッコつけたものに仕上げやなあかんようになったわけやけど、それはしゃ〜ない。やる以上は責任感を持ってしやなあかんねんで!ということを身をもって説きたいが、いうてもわからんから時間の無駄とあきらめる。   これ、我が子やと怒鳴り倒すけどな。よそのおばはんやから言われへん。先日も次男のことを怒鳴り倒した。それで進路変更を申し出て来たわけやけど、それについて長男が言う。普通科やなくてええの?普通科やないとこって信じられへん・・・とそりゃあんたはそうやろう。あんたとちゃうねんからええやん。しかし12月になってからってのはなぁ、もっと早くに言えって話やという私に、長男がまたも言う。   あれ、きつかったで。ボクのときよりきつかったわ。と、次男を怒鳴り倒したときの私のことを言う。   いや、あんたにも怒鳴ったか?怒鳴りはせんけど同じことは言うた。   それ言うたんは夏休みのころや。そのあとあんたは自分で進路を決めた。12月には気持ちは固まっていたやろ?あいつはこの時期にまだ気持ちを固めんから怒鳴ってん。   まあな・・・と長男。しかし、よ〜見てるねんなぁ。そんなにきつかったか?私。とは聞かない。   別にきついとは思わん。あんたの人生や、自分で決めろっていうただけや。母さんが通うんとちがう。母さんが通う高校は母さんは自分で決めた。ていうただけやし。別にとんでもなく無理なことはいうてない。最大限努力したら行けるであろう高校は勝手ながら私が示唆したが、最終決断は自分やと最初っからいうてる。ただ、行ってもしゃ〜ないところは行かせへんとは声を高らかに宣言はしたけど。   私よりでかくなった坊主を、ちょっとここに来てみと呼び寄せ、怒鳴り倒す私。私が怒鳴り始めたら誰も止められへん。何を返してもそれにおっかぶせて怒鳴り倒す。家族の誰も、私のこの口には勝たれへん。怖っ・・・  ”
05
少~し進展の兆し!
“というのも、ヘルパーさん口添えの次の日。この日は義母はディに行かず義父と二人で過ごす日。要支援1の義父が要介護1の義母の面倒をみるという日。そんな日に義父は義母を一人置いて病院に行ってしまった。認知症の定期的な受診はこちらから付き添うが、足が痛いだとか不穏を訴えては二人で近場の病院に行ってみたりしている。二人で行くならいいが、よりによって義母が在宅の日にふら~と「病院に行く」と出かけたもんやから、義母は不安になる。そしてヘルパーさんに「おとうさんが病院に行った。入院するかもしれん・・・」と、少々パニックった様子で電話をしてきたらしい。お昼前には帰宅した義父に電話で「一人で病院に行ったらだめでしょう。」というがピンとこない義父。   という、ちょっとして事件を引き起こしたのもあり、旦那が親父に一喝する。「親父も認知症が進んでいるからおかんのことを忘れて病院に行ってしまう。こういうことがあるから二人の生活は無理なんや!」と。そんなこんなで頑なだった義父が大阪行をしぶしぶ承諾したような形。善は急げと契約の段取りへとことを進める。   あとは引っ越し当日まで義父の気持ちが「やっぱり行かない!」に傾かないことを切に願うばかり・・・   師走にはいって5日。いつにもまして今年の師走は超忙しくなりそう。   なのに、時間の段取りが組めない奴らに怒り奮闘の私。これで縁を切る!と宣言する。   年明け早々には娘の成人式がある。振袖は2年前に買ったが、小物類は私のを使う。足りない分は購入しなければならない。そんなんでその準備をしてやらなければならないし、ここにきて、この時期に高校受験の次男が志望校の変更申し出をしてきた。   私が通うわけやないから基本本人が行きたいと思うところに行くべきやと思うので、そういう意思表示をしてきたならそれは全面的に応援してやらなければと12月も遅々にある学校説明会の申込みをした。   悪いが、優先順位をつけていくと、前出の段取りの悪い奴らとの関わりはどんけつ!べべ!”
01
ヘルパーさんの口添え作戦。
“大阪引っ越しを断固として拒否している義父。あれこれ理由をつけるが、ただただ、自分が死ぬまでは家にいたいということで、義母のことよりもまずは自分となっている。義母は「お父さんが一緒ならどこでもいい」というてはる。認知症になる前ならそんなことはいわず、こちらも断固として家にいる!だっただろうが、認知症になってあれこれ不安に思うのであろう。誰が考えても、男性であり7つ年上であり心臓疾患を抱える義父のほうが先にいなくなる。そうなったときのことを考えると義母は不安で仕方がない。その辺りのことを懇々と説いても、わしがここにいたいとか、わしがおらんようになったら(義母を)大阪に連れていってくれとか・・・の義父。   そして、今、お世話になっている小規模多機能ホームのケアマネさんに相談を持ちかけた義父。その時の様子を昨夕、ケアマネさんから電話があった。クリアファイルにいれた老人ホームのパンフレットと料金表を見せた義父は「大阪の息子から毎日のように電話がかかってきて、ここ(老人ホーム)に来いという。わしやいやなんじゃ・・・」と。「ここ(田舎)で面倒みてくれるという人もいてるし、あれ(義母)の兄弟も面倒みてくれるというている。」と。(いや、それはこちらで確認ずみで誰も面倒を見れる状況でもないし見る義務もないし、ご本人たちも寝耳に水の話。義父母の希望的観測というか妄想。)   ケアマネさんが、「お金のことが心配なの?」と聞いたら「それは大丈夫なんじゃ。」と。そりゃそうよ。それはこっちで確認済み。「今、あれこれ動いてくれているのは息子さん夫婦でしょう。今、何もしてくれていない人が面倒みてくれるなんてことはないよ。今、あれこれ動いてくれている息子さんら大阪においでというているなら、そうすべきやと思うよ。お父さんに何かあったときにお母さんのことが心配でしょ。それはご家族さんも同じよ。今、身体が元気なうち新しいところに行って慣れたほうがいいよ。前向きに考えてね。」と話してくださったそう。   そして、義母に「お母さんはどう?」って確認したら「私はお父さんが一緒ならどこでも行く。」とはっきりいうたそう。これからも折にふれて大阪行きを口添えしてくれはるということで電話を切る。義父にしたら、ディに行きだしてから義母も落ち着いていきて警察ザタを起こすことはなくなっている。二人の生活が成り立っていると思っている。いやいやそれは周りの手助けがあってのことで、その辺りは認識がない。義父にしたら、ケアマネさんが「今、なんとかやっていけてるし、今までどおりうちに通ってくれてたらここでの生活も大丈夫よ。」とでも言ってほしかったのかと思うが・・・   二人に変わったことがあればケアマネさんからこちらにすぐに連絡が入るのに、その辺りの詰めの甘さが認知症なんやろうなぁという義父。お正月のディ利用の確認もあった。スタッフさんの人数が少なくなるので・・・という話だったが、義母1人ぐらいならなんとか対応してもらえるとのこと。ただ、義父が大阪行きに気持ちがちょっとでも傾いたら、気が変わらんうちに早急に対応するので年内に動くこともあるのでとお願いしておく。   こちらのホームも長いこと保留で部屋を確保しておくのも難しいので一日でも早く決まって、年末であろうと年始であろうとまずは二人の引っ越しを進めるつもり。出来たら、年内に収まってほしいところ。年を開けたら次男の高校受験も大詰め。じっくり落ち着いてと思うから。”
11月
30
手を焼かされる親父。
“旦那が親父というから私も旦那との会話では親父と呼ぶ、義父。毎日ように仕事の合間に親父に電話をする旦那。大阪への引っ越しを説得するがすでに説得すべき言葉は完売。同じことの繰り返しらしい。そして、昨日は義母は日と水以外毎日、親父は水のみお世話になっている小規模多機能ホームのケアマネ兼ヘルパーの方に、「大阪行きを相談してみる・・・・」と親父が言ったそう。   なので、夜、旦那がそのヘルパーさんに電話をして、親父がその話をしたら、「二人だけでココでの生活は限界、すぐにでも大阪に行くべき」と口添えを頼む。そして、それに向けて水面下で動いているこっちのホーム入居時に必要な健康診断書依頼のため、病院受診をすること。それについてはそのヘルパーさんのところで必要ということで口裏を合わせてもらうよう、またヘルパーさんにはアセスメントシートのお願いとお願いだらけの電話をする。すべて、私の指示ではあるが、親父との交渉をしている旦那がヘルパーさんに直接いうべきとそこは投げる。   そして、電話を切ったあと、旦那が言う。「ヘルパーさんがみんなの前でおふくろが親父のズボン下をはいていたことを公表した」って。「え〜〜そんなことはせんわ。私がちゃんとした格好で行ってるかどうか聞いてやっとズボン下のこと言いはってんで。それは親父の妄想や。」「そうよな・・・」と旦那。   ていうか、親父は自分のズボン下をおかん(旦那がいう)がはいていることは知っていて、それは、「わしのズボン下のほうが温いからじゃろ」と親父は言うていた。親父はそれを良しとしていたのに、何を今さら・・・。   義母は認知症になる前から大きなことを決めるときは父と息子の交渉でそこに義母は自ら望んでか義父が入れないのかわからないけどあまりタッチをしない。認知症になってからは難しい話はノータッチ。中途半端な状況ながら明らかに夏より進行している義父には手を焼かされる日々。   大阪行きに関しては大金が絡む話ゆえ、ここは実の親子で話すしかないってことで、私も軽〜くノータッチ。裏ではあれこれ手を回しているが。お金の管理という点ではすでに親父もかなり危ない。夏に私が同行した銀行のこともすっかり忘れている。そのときに確認した親父名義の定期の通帳が見当たらん。見当たらんどころかそんなものがあったことすら記憶にない。ここは認知症の親父をつれて取引のある銀行周りをして現在残高の確認を急ぐべきと旦那に叱咤。   そして、いよいよ、成人後見人の手続きをしやなとマジで思う。夏に一度、ざ〜と調べたが、行政書士さんに頼む必要もなくこちらで手間をかけたら出来そうやったで、本腰を入れて手続きの方向に動かなければ。   ボケた親父は通帳が50冊やら100冊あるやら豪語しているし。いや〜それは通帳記入が満杯になっている通帳も含めてってことやろ。それを含めたらうちでも20冊はあるちゅうねん。   私は旦那に言う。「仕事で必要やっていう機材、親父にお金は返したけど年開けたら買うから。」「えっお金あるんか?ええんか?」「お金はなんとかする。仕事に必要なものは借金しても買うべきやろ。そのかわり、その分、気合い入れて働かなあかん。私は田舎の二人みたいな金銭感覚やないから。使うべきところには使う。特に、知識や経験を得るためには使う。だから、(娘を)オーストラリアにも留学させたんや。」というて、またAmazonで本を注文する私。   てなことで、今日は月末。支払日。ど〜んとお金が飛んで行く。お金は回さなあかんねん。経済活動を活発にするためにはお金を回さなあかん。しやけど、しょうもないことに使うやつは論外。私の友達の義父なんて、会ったこともないじじぃやけど、毎夜、飲み屋で散在してるらしい。そこで何を得ているのか?うちの義父みたいに出し惜しみするのもどうかと思うけど・・・   さぁ、仕事しょ・・・”
29
旦那の嘆き・・・
“先日の来阪した義父母の様子。義母は認知症のおかげというと語弊があるが、私は母親よ!という変な片意地もなくなった点がやりやすくなった。義父はといえば、なんともやりにくい。   そして、その日一日、爺婆のために予定をつぶしてつき合ってくれた孫娘に対して、義母は目の中に入れても痛くないってこのことじゃ・・・とかかわいいなぁと連発し、ティッシュに包んだ1万円札を娘にこそっと渡すという可愛らしいおばあちゃんぶりを発揮。認知症になる前は旦那とも義理の仲(後妻さん)ゆえ、当然、孫とも義理。微妙な一線を感じずにはいられない状況やったのが箍が外れたのか、おばあちゃんっぽくなってええ感じ♪   そして、あんたこそ血は繋がってまっせという義父は、孫娘に対しても他人行儀な様子。それを我が旦那は嘆く。なんでやろ?認知症のせいやろか?と   いや〜認知症は関係ないやろ。性質の問題やと思うけど・・・元々、父子との密接度も薄いやん。義父は1人息子の旦那が可愛くって仕方がないがそれは猫可愛がり状態。生まれたときからの写真がアホほどある。(私なんて3歳ぐらいからしかない。それも数枚。)言うなれば、義父の一方通行な親心。父子間のまともなコミュニケーションがないから、ことあるごとにもめる。ことっていうのは私との結婚とか人生に深く関わる事柄。今回の義父母の大阪引っ越し話もそう。   たいていの家庭では父子のコミュニケーションがイマイチでも間に入る母親がうまく取りなすわけやけど、旦那のところは義理の仲ゆえ、義父が我が嫁と息子の間に入るという図式ゆえ、難しいわな。   それが当たり前で育ってきたが、実際自分が所帯を持って子ども3人の父親になってみたら、そのバランスの悪さにやっと気づいたのか・・・。まぁ、私にはさしてどうでもええことなんやけど・・・私の実家の爺婆と孫との関わりを見て、我が親と我が子の関わりの違いがなんだか寂しくなったのか?そんなもん元々の家族の成り立ちが違うから、どうしょうもない。事実は事実と認識した上で対応していくしかおまへんで!   てなことで、雰囲気も一新したこのblogなのに結局、見た目だけで中身は同じになるのは仕方がない。昨日のやっと届いたブツを得て、今後の流れを私の都合に合わせた段取りを提示したメールを一斉配信。これ、最初っから私都合で段取りを進めるとなんとも高飛車ないけすかん奴になるが、この時点でこの状況を打破するためには、多少喧嘩売ってる?風でも仕方がない。世間とはそういうもんよ。社会に出たら、もっときついでということでぬるま湯に熱いお湯を投入や。   それに即レスがあったのはキチンとした常識を持ってはる人のみ。あと1人は今頃なにを聞いてくるん?っていう質問をよこしたので、懇切丁寧にくどく説明した。私の文を熟読したらそれで理解できるはずが、理解出来ない様子で2度3度とメールで説明。ようよう寝まっせって時にやっと理解しはる。   ん〜〜読解力と想像力がなさ過ぎ。私が思うに頭が賢いというのは単に勉強ができるということではなく、ちゃんと人のいうていることを理解できる想像力の有無も関係あるよなと実感。この想像力は柔軟性を持って発揮できるという代物。違う視点から考えるということが出来るかどうかや?それが出来るなら1回目の私のメールで十分理解できたはず・・・・   この二人だけであとはなしのつぶて。お前らやる気あるのか!!とシャウトするが、私はやる気はありません。ただただ、責任感と私がやる以上キチンとする私の意地だけ。  ”
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結局、今ごろ届いたブツ。
“1週間前に子ども~学校経由~子どもで届くはずだった写真データがはいったSDカードが今ごろ届く。っで中を見てみたが、私には関係ないものがずら~とあって、関係するであろうのはこれかいな?という状況で、ほんでこれをどうしろ?っていうのか。 丸投げでしょうか? せめて、この写真を使うとかそういう指示ぐらいあっていいのでは?どういう趣旨のものをつくるかも説明もなくで、どうしろっていうねん?!って話。 久しぶりに友達から電話。いろいろ話すが、ほんまなぁ狭い世界で一生を終えるやつにと付き合い切れんという気持ち。 なんか、せっかく新しいテンプレートでってことでこのblogをちょっと可愛らしくと思ったのもつかの間、結局、ボヤキ漫才を繰り広げてしまうblogか・・・いや、実際、このblogは超プライベートにボヤキを繰り広げるつもりで作ったらから本望ちゃぁ本望。可愛らしくは別のblogで展開中。てなことでエンジン全開、ボヤキたおそか・・・ しかし、 めっちゃやる気が失せる私。どれもこれも中途半端やし、今のこの時期からどんだけ頑張っても知れてるし、別にここに必死にならいでも、あきらめるとかあきらめへんとかっていうより、すでに私は昨年の一連の活動で完結しているので、もうええやろ?というのが正直なところ。 前年より一層発展、もしくは違う切り口で攻めるとか、そういう向上心を持って活動したいのに、ちんたらちんたら同じことの繰り返しで、ここで一人躍起になってもしんどいだけと、今年度は最初っからやる気ナッシング。 とりあえず、責任があるからすべきことはするけれど、それにしても作業するにはそれなりのネタを用意してもらわななぁ。私の好きかって作っていいのか?そんなことしたら橋下新市長と同じぐらいラジカルなことしまっせ! ふふん。大阪はおもろいことになっています。大阪市内の職場に週2回足を運ぶ私としては、大阪市の動向は自分が住むここより興味がある。そりゃそうよ。大阪市に隣接しているという立地ながら保守的かつ発展性にかけるここはいつまでたっても一緒。江戸時代からの旧家を自慢するPTA役員もいてて、それがどないしてん?という話。 そんな私は自分が住む市長選は棄権したくせに、大阪市長選に一票投じれんことが残念でしかたなかった昨日、大阪府知事選は足を運んだもんね。 ”
SereneBachからwordpressに移行しました
“Wordpressのプラグインの豊富さと長年同じテンプレートで気分一新もかねて、SereneBachから移行。本当は記事データも移行しようと試みたがデータが多くエラー。近々の数個だけ手作業で移行。あれこれプラグインを入れてとりあえずこれでOK。あとはぼちぼちと・・・・ 以前の"cha*koの雑記帳"はこちら→”
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マイナス思考のスパイラル。
“マイナス思考のスパイラルに巻かれてしまっている義父に 何をいうても後ろ向きな言葉しか返ってこない。 旦那が ほんまマイナス思考やで!と いう。 いや~~~そんなあなたも相当なものですやん。 とは私の内なる叫び。 プラス思考の私がそばにいてるから現在があるということを お忘れになられては困りますなぁ・・・と これもまた私の内なる言葉。 次男を身ごもったとき。 その報告を義父母にした旦那。 それから1週間。毎夕になったら義父母から電話。 3人も育てるのは大変や とか 子どもは1人でも少ない方が心配ごとが少なくてすむ とか 生むなという電話。 受けているのは旦那。 私は直接言われていないが 電話の内容を1人で抱えきれず、 通常なら妊娠初期のナーバスな状態であろう妊婦に 相談を投げかけてくる。 義父母の言葉に納得して 私に生むなというたならば 私は即刻離婚するつもりでいたが、 そういう気はない。 でも、3人は大変やろと 自分の肩の荷の重さに暗くなっている。 毎夕、そんな電話を受ける旦那は 日に日に暗くなり お笑い番組を見てても笑いもない状況。 横で馬鹿笑いの私。 ええ加減にしろよと あんなぁ、私は家を欲しいとは思わん。家を買うこと思ったら子ども3人は屁ちゃうか? と なぜに、妊婦である私が励まさなあかん。 私の後押しで 義父母の意見には首を縦に振らずに済んだ旦那に 義父か義母かどっちか知らんけど、 今後、一切何も助けないから勝手にしろ! と捨て台詞で電話を切ったらしい。 捨て台詞で電話を切るというお得意のパターンに笑いそうになり、 そして、 それって、縁を切るってことか? そんなニュアンスやった。 よっしゃ!ほんだら、この先面倒見やんでいいっってことよな!ラッキー♪ と私。 実際、それまでだって別に何かしてもらったわけやないし これからもしてもらおうなんて思っていない。 単に孫が3人になりまっせの報告に 息子の肩の荷が重くなるとか 心配ごとが増えるとか マイナス思考のしょうもないことば~かり言うて 妊娠初期の精神状況を案じる気持ちのかけらもない義父母。 案じてもらわなあかんような柔な根性でもない私には別にそれはどうでもいいねんけど。 そこに噛む嫁もおるし、 文句をいう嫁の親もおるやろ。 そんなこんなで生まれた次男。 3人目にして初めてこっちに見に来たという義父母。 それは謝罪の気持ちも表れかと、 とりあえず、生むな事件はこっちに置く寛大な私。 そんなこんなで遠ざかるわなぁ。 そして夫婦だけの刺激のない生活を15年。 その結末が認知症。 孫と平気で喧嘩していた有馬のお父ちゃんは 一番認知症になる環境に身を置いているのに 義父母よりしっかりしている。 昨日も やんちゃな次男を案じて 自転車に乗るときには気をつけろというとけ!と 脳梗塞後遺症の鈍くなった口で言う。 マイナス思考で柔軟性がなく そして義理の中での母とひとり息子という状況では なるやろなぁ~と思っていた認知症。 旦那は なんで二人そろって認知症になってんやろ? って聞いてくる。 なる条件が揃っている。ならいでか!と私。 そして、しょうもない豚嫁をもらったぼんくら兄貴。 どうもうさんくさい行動をしている。 2週前に行った実家マンション。 トイレに入った私。 トイレの床がぬれている。 ティッシュで拭いてみる。 黄色い水や、おしっこや。 便座の前におしっこって立ちションするやつの仕業や。 とりあえず掃除をしておく。 昨日、お母ちゃんが言う。 なんかな、兄ちゃん、マンンションに寄っているみたいやねん。ラーメンを作ったような跡があってん。 あ~~やっぱり。実はな・・・・とトイレの話をする私。 マンションに帰りたがっている父のため、 管理費も光熱費も固定資産税も全部、うちが負担している。 あんたにはもう関係ないから鍵を返せというたのに。 私に無断で勝手なことをするな!って話や。 それに跡を残すなよ。 そういうところがボンクラやちゅうねん!! 感がいい妹が毎土に風を通しに行っているのを忘れたんか?  お母ちゃんは 困ったことがあったらあんたに相談したら知恵貸してくれるっていうてるねんけど何か言うてきた?って聞く。 何も言うてけ~へん。 てか、あれは兄貴や。弟とちゃう!反対やろ?困ったことがある妹が兄貴に相談するのが世間の相場とちがうんか?とはこれまた私の内なる声。 腐っても兄貴や。そこはしょうもないプライドが邪魔して何も言うてけ~へんわ。 腐っても長男の豚嫁や。しょうもないプライドだけはえらそうに持っていて私のことを嫌っているらしい。 嫌われるほどしゃべってことも関わったこともないからあほちゃう?!って思うばかり。 嫌われついでに今度会うであろうお父ちゃんかお母ちゃんのお葬式ではさんざんこき使ったるから覚えとけ! てか、来るんかあんた??って話。 それに私が喪主もしくか ボンクラ兄貴と連名の喪主で 最後の挨拶は私がしゃべるって決めてるしな。 切々と語るで。毎週往復2時間かけて通った有馬の日々。 雪の降る日も台風の日も・・・ どいつもこいつもの話のついでにもう一つ。 まるでぼやき漫才のようやけど。 この時期にこの状況やというp作業。 先週、子ども・学校経由で我が子が持ち帰る資料が入ったデータ。 それをもとに作成するはずがいまだ届かず。 1週間、そこの子の鞄の中。 役に立たへん子どもにまかすな! 自分でもってこい! 女子と喧嘩するのが苦手な私は 3日までは下手に出て、 うちの子、まだ預かってないねんけど・・・ってメールをしたが もうそんなあほらしいことやってられへん。 ギリに渡されてもでけへんもんはでけへんって突っぱねる! あ~~スッキリした。 ぼやきネタ続きの今日この頃、ストレス貯まってる?”
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私との結婚以来の父と息子の確執。
“大阪行きを了承しない義父に最後通達をした旦那。 すでに契約済やからというた途端、 雄叫びをあげて電話を切ったという義父。 なぁ、なぁ、どんな雄叫び?と聞くと 言葉になっていない大声らしい。 自分の意にそぐわないと話しの途中で電話を切るというのは 義父母が認知症になる前からの習癖。 私も何度かその目にあったが、 旦那も何度もその目にあっている。 頭、おかしいねんと旦那がいう。 まぁな、ボケていなときから常識があるかというとないわなと私。 最近、発覚(私だけが知らなかったという事実)したが、 義母は兄貴が二人いた。 認知症になってからは、 やたら兄弟の話をするし、 その中で泥棒騒ぎで警察沙汰を起こした犯人はすでにこの世にいない兄貴に したてあげて警官に訴えた義母。 私が義母から聞く兄貴の話は悪口ばっかり。 私たちが結婚するってときに 釣書を書けとのたもうた義父母。 私の分は私が書いた。 旦那の分は義母の字。 それによると義母は5人兄弟のはずが 最近の話しでは7人とか8人とか。 旦那にいうと、 兄貴が二人いてると。 釣書にはそんなん書いてなかったで。 上の兄貴は認知症の母親(義母の母親)を家から追い出したし その下の兄貴とは折り合いが悪かったから書かんかったんやろ。と旦那。 それってえらい卑怯な話よなぁ。私のことは興信所を使って お父ちゃん、お母ちゃんの実家まで調べに行って、自分らは嘘をついてるてな 20年前の話とはいえ、卑怯やわなぁ!と旦那を攻める。 興信所を使っても別段文句をつけるとこがなかったら 最後はマンッション住まいをしている父母をあげつらったという義父。 えらい大層な家で えらい大層な息子と結婚したという私。 あほちゃう! 釣書に書くのを省いたのは義母のくせに 会えば、その話 挙げ句の果てに ○○(その兄貴に名前)って知っているじゃろ?って聞いてくる。 知らないって答えると えっ知らんのか、話にならん子やのぉをそっぽを向く。 まぁボケてはるから別にそこは良しとしても ボケていない時のその卑怯なマネは許せん私。 そしてその兄貴の息子(旦那とは血がつながっていない従兄弟、旦那より2つほど年上)が 大学に行ったから 自分とこ(うちの旦那)も大学に行かせやな!って思ったんじゃ!!って あほみたいな話を切々と語る義母。 あ~~そういえば、 うちのお父ちゃんの兄貴も 私が短大に受かったとき、 本家(長男の兄貴)の娘が高卒やのに分家(次男のお父ちゃん)の娘が 大学に行くとはどういうことやねん!ってお母ちゃんは攻められたと 今頃聞かされた私。 知らんがな!そいつらは勉強ができんかったということやろ?! そのおっさんは しょうもない女子校の理事長と知り合いやからと 私が高校受験のときに口きいたろか?と抜かしよった。 いらんねん!っと それを無視した私。 それが気に入らんかったか? なんでそんなしょうない女子校に行かんならんねんと 私は滑り止めも受けずに志望校に受かったしな! そして、そのしょうもない女子校には 私のぼんくら兄貴の長女がこの春入学しよった。 笑た・・・ 話しを戻す。 なんせ、常識がない義父は 息子の結婚で その相手の私の職場、朝の9時に電話をかけてきて わけのわからんことをいうて 「いわれたことは一生忘れん!」と捨て台詞とともに電話を切った。 いわれたことは一生忘れんというのはお互いさまや!と思った私だが その言葉だけは覚えているが電話の内容はすっかり記憶にない。 このあと、あんたとは結婚せん!と宣言。 すでに広島で就職(結婚したら広島に嫁ぐ予定やった)していた旦那は 一晩かけてやってきて、 頼むから結婚してくれ!と懇願。 頼まれたから結婚したという私。 情に弱い私。 そんなこんなもちょっとこっちに置いといて、 認知症になった義母を放置することはできず、 私の生活スタイルは守りつつ(仕事とか週一有馬に行くとか)なら 出来ることはするというスタンス。 この歩みよりがわからんか!! 腹立つから ええやん、お義母さんだけ連れてこよ!お義父さんは1人で暮らしてもらったらいいやん! っていうたら、 ここはやっぱり実の親子。 親父はどうするねん!!って旦那。 知らんがな。来たくないもんしゃ~ないんちゃうか?実の兄貴(伯父)もほっといたら?っていうているねんし。 まぁ、はっきりいうて、今のままのほうが楽やねん。月一の受診時にあんたが行くだけですんでる。これがこっちに来てもらったら手間取られるねん。それでもほっとからへんからこっちへというてるねん。そこの気持ちがわからんねんやったらほっとくしかないやろ! という私の言葉を受けて、 冒頭の契約したからこっちにくるしかないという最後通達をした旦那。 別にまだ契約はしていないが、強行に出るにはそれしかないやろという私の意見を真に受けて最後通達をした旦那。 まぁ、義父は息子を後ろで操っているのは嫁やとわかっているやろうけど。 しか~し、結局、私のいう通りにするのが一番ベストな状況になっているのも確かな話。 しやから、旦那は私の意見で動く。 ボケた義母はボケる前のへんな片意地もなくなり みっちゃん、頼りにしているなんていうたりもする。 そんなことをいわれたら、よっしゃまかしとき!ってなるのが私や。 悪いようにせぇ~へん。 私の意見で動くくせに時々勝手に動いてしょうもないことをする旦那。 私には黙って 仕事で必要な機械を買いたいと義父から30万もらって帰ってきよった。 認知症の親から金をせびるな!と怒鳴り、 私の目の前で 私に怒られたからとその30万返せ!と再び怒鳴った。 その通りにこの日曜日に いわれた通りに返していた旦那。 過保護な親と甘えた息子の図式そのままんまやんけ! 子どもがマネしたらどうするねん! そして、話は変わるが、 時間の概念がない人に頭いらっとした昨夜。 ええ加減にしろよ!という気持ち。 この時点でこの状況はないやろ?と 私がしやなあかん資料はいつもらえて、 最終、いつまでに仕上げやなあかんの?と聞いても その返事がなく トンチンカンな回答。 時間の調整をするからと理由までつけて いつまでに仕上げやなあかんのか? 2回聞いて、 関係ない回答を出してくる。 人の話が理解できんのんか!とレスを返しそうになったから 昨夜はレスせず寝る。 私ができんかったらもう1人に頼むとかっていうから もう1人の担当の箇所の出来上がり具合はどうなん?って聞いても それにもレスなく トンチンカンな回答を返してきてたし。 それだけを専属でやっているのとちがうねん。 おまけに無償やし。 口では体調大丈夫?とかいうけど 口と行動が伴っていないちゅうねん。 なので、今朝、そのもう1人に 進捗状況を確認してみた。 50%やと。 私は0%。 ということは全体で25%やん。 この時期にそれはない! おまけに、私はそのもう1人がつくったものを 私が体裁を整えて最後形にするという作業があるねん。 これ、Excelで作ったものをIllustratorで仕上げるって作業。 コピペで簡単にすむようなものとちゃう。 ファイル形式がちゃうねん! なのでそのもう1人に 来年も引き続きするなら、 もう1人PC作業を出来る人を入れてもらいや。 時間の配分が出来へん人やからしんどいでと老婆心ながら忠告をした。 したら、来年はわからん。もしかしたら会長するかも?と わけのわからんレス。 現も前も同級生という話までもついてきた。 思わず、狭い世界で生きているねんなと返しそうなったので レスはせずスマホから手を外す。 旦那の実家も田舎やけどここも田舎やと辟易した瞬間。 貯まりきった鬱憤をとりあえず吐いた・・・・ さぁ、仕事しよ・・・”
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80を超えた男兄弟の結託。
“義母の弟である叔父の口添えに大阪行を決断したふうの義父だったが 実際にホームを見学したら現実をおび躊躇。 なので、ここは義父の実の兄である伯父さんに口添えを頼んでみた。 ん~~これが大きな誤算。 伯父は84。軽い認知症(でも車椅子で移動。こちょこちょ歩きだというから 軽くはないとみた)の伯母を老々介護しているという。 っで、結局、義父側に寄り添う意見。 それは義母のことはなんら考えていないということでっせと心の中でいいつつ 旦那に代わって(口添えを頼んだのは旦那だが仕事中にて不在)、 初めてしゃべる、一面識もない伯父相手にしゃべりまくる。 我ながら、口上手いと思うが、 こっちのいうこともわかるが、 子は親の面倒をみる、老いては子に従えもわかるが、 もうしばらくほっておいたら?という。 いやはや、義父も認知症なんですわというが そこがいまいち理解できない様子の伯父。 あんたも認知症か?と心の中で突っ込む。 この件にしろ、 わが実家の父母にしろ、 血や、血。 血のつながりはえげつない。 エゴや。 ちゃうやん! どこかで妥協点を見出ださなあかんねん。 折り合いをつけやなあかん。 いうちゃなんやけど、 このまま離れたままで月一の受診日に付き添うだけのほうが ある意味、楽なんやけど。 こっちに来てもらったら、さみしい思いをさせんように 最初は連日顔をだして、そのうち、最低でも週一は顔を出す。 まぁ、私が元気なうちという条件つきやけど、 いうたら、そのほうが時間がとられるししんどいねん。 それでも、そのほうが二人のためにベストやと思うからの話。 何かあったときのことを考えたら こちらに来てもらっていたほうが手立てが早い。 義父に何かあったとき 義母はパニックになって何もできないのは経験ずみ。 それは、その伯父も経験している。 義父がそばにいてるのに 伯父のところに電話して 「1週間帰らへん」とか嘆いていたという義母やないか? 老いては子に従え!!!! 何回でもいう。 老いては子に従え!!!!やわからんのんか”
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井戸端会議に花を咲かせる能力がない。
“基本水曜出勤の職場。 別に今日、出勤でもよかったんだけども、 カレンダーは祝日やしで明日出勤。 先々週、2日続けて出勤したので先週はお休み。 2週間ぶりの出勤の明日、 取引先から期日指定の仕事のメールが届いている。 週1勤務の私は、期日指定の仕事がくると忙しくなる。 てなことで、本日は 昨日、買った義母の下着なんかを宅急便で送る。 中学PTA広報紙の記事作成。 旦那の仕事の会計処理。 結局、家で仕事みたいなもん。 PTAの広報紙は、 前回パスしたから、今回もちょっと楽させてもらいたいともくろんでいた。 私の現状(高齢者に対応に多忙)は報告してあるし・・・ ところが、前回頑張ってくれた方がお手上げを意思表示。 (私は全パスでもよかってんけれど) 配布されたものも、最終、技術の先生の手を借りたという話も聞き、 結局、2/8ページなら出来るっていうていた私は 6/8ページ担当することになった9月末なのだ。 なので、前倒しで進めてほしいとくれぐれもお願いしたが 結局、ギリギリの状況。 今期で最後やし 私の名誉のために形にはするが、 来年からは知~らない。 (てか、当然。来年は子どもは在籍していないもん。) 長年のPTA役員活動で実感したことは 私にはおばはんの集まりで花を咲かせる能力がないってこと。 おっさんと喧嘩する能力はあるんやけど。 おっさん(学校管理職を含む)と 喧嘩する能力があるなんて自慢にもならへんわな。 幼稚園の誕生月に記念に作る手形と日頃の記録。 仲がいいお友達の欄は御堂くん。 子どものときから男の子と喧嘩しちゃぁ遊んでいた。 女の子同士のお人形遊びは苦手で仕方なかった私ゆえ、 その頃に 女の子同士の井戸端会議に花を咲かせる能力を養えなかった。 ここが私の原点。 てなことで、 大人に、いやおばはんになった私は 相も変わらず、おばはん同士の話の輪には入れず、 一人黙々とに向かう 喜楽でよろしい・・・”
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子の心、親知らず・・・・
“実は日曜日の義父母来阪にはちょっとした事件があった。 事件というと大げさやけども・・・ 新大阪駅で出迎えた二人。 東口の前のタイムズに車を入れているので そこまで私は義母の腕に手を回し、一緒に歩く。 男どもは先々行くし・・・・ それは東口の階段を降りているときに起こった。 義母がはいていたズボンがするっとひざ上まで落ちてきた。 「あっズボンが落ちた」と義母。 みると、下着丸出し。あわててズボンをあげる。 階段を降りている最中やったので 私たちより上にいる人はそう見えないはず。 下からあがってくる人も たいてい、足下を見てあがってくるから見た人はそういない。 あげたズボンを後ろから持ち、駐車場まで行く。 ゴムが外れたズボンを上からひもでくくっていたようで わけのわからんひもがぶらぶら。 義父母に会うまでは 温かい格好をしてくるやろか?と心配で 万が一、寒そうな格好なら、 あとで合流する娘に適当な上着を持ってきてもらう段取りはしていた。 その点はしっかり着込んできてはったから安心したのに、 スボンがずるとは・・・ 老人ホームに寄る前にカジュアルショップによってウエストがゴムのズボンを買って はかせる。 「買ってくれてありがとう」というていた30分後には そのズボンは 「私が作った」に変わっている。 秋口に病院に連れていくときに見た義母の足下。 寒いといいながらレースの靴下をはいていた。 靴下を買って送らなければと思っていたが 後回しになっていた。 それも合わせて、ヘルパーさんに新大阪駅での一件を伝え、 普段の義母の服はいけてるのかどうか確認する。 すると、下着がてんでなっていない様子。 義父のズボン下をはいてみたり、 パンツをはかずガードルをはいてみたり、 というか、まともなパンツがないという。 左右そろった靴下も見当たらないという。 もちろん、ゴムがないズボンもはいてきているとも。 だから、義父母二人の生活は無理なんや。 義父に義母の下着のチェックまでできない。 義父は要支援1。 人の手を借りないとだめな状況で義母の面倒をきちんとみれない。 昨日、仕事の帰り、 堺筋本町の寺内に寄って、義母の下着、靴下を買って帰る。 こんな状況やから、一日でも早くこちらに来てって思うが 首を縦にふらない義父。 毎日、仕事の合間に電話してそれを説得している旦那も だいぶん、疲れてきている。 ここの交渉は実の親子でやってもらうべきなので、 私は話を聞いて助言をするだけ。 老いては子に従えはほんまよくいうたものや。 私の実家の父母はすっかり私に頼っているので ここはとりあえず老いては子に従えになっている。 時々、ひするがまぁそこはなんとか・・・ 有馬の父は土曜日は38度2分の熱があった。 やたら機嫌が悪く、今日は扱いにくいと思いながら 昼食のあと爪を切るのに手を触ると熱い。 背中に手をやると熱がある身体。 体温計ではかると38.2度。 これはいけないと看護婦さんにいう。 たまたま土曜勤務やった主治医が来てくれはって診てくれはる。 こういうところが療養型医療施設のありがたいところ。 それを気になりつつの日曜日やった。 月曜日の午前中に有馬に電話したら2日ほどの熱やったようで今は平熱というので 一安心。 こんなもん、あちらこちらが一時に具合悪くなったらどないもこないもでけへんがな。 だから、義父母は早くこちらに来てほしいというている。 子の心、親知らず・・・・”
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80を超えると・・・
“あれこれ考えて、近場の老人ホームがいいかなという結論をだし、 そこに移ってくることを説得する旦那。 長年住み慣れた土地を離れるのは 高齢者にはなかなか踏み切れるものではない。 昨日のこともすっかり忘れてしまう。 行動に関して覚えることができなくなってしまった義母は まだやりやすい。 認知症初期の義父がなかなか首を縦にふらない。 あれやこれや理由をつけて大阪行を拒否る。 それを一つずつ崩していくしかないよなぁ~という状況。 しまいに、 わしの気持ちが行きたくないんじゃ と言い出した。 分かっているちゅうねん! わしもあと1年か2年やから、それまではここに居る。 と いや、だから、仮にそうなったときに 義母はパニックになってなんら対処ができない。 その時のことを考えてくださいというが 人間80を超えると 人のことなんてどうでもよくなるようで 自分のことしか考えられない。 昨日はとうとう 義母の弟が面倒みてくれるというからそこに面倒みてもらう と言い出した。 いや、その弟は大阪在住やし60代やし。 仕方なくその叔父さんのところに旦那が電話する。 義母の認知症具合は私たちと同じ2年ぐらい前から気づいていたようなニュアンス。 義父がまだ大丈夫と高をくくっていたらしいが 実はその義父も初期とはいえ認知症なんですわ・・と旦那。 大阪に連れてくることにはそれは当然賛成の意を表しはる。 というか、反対する立場でもない。 面倒を見るとか見ないとかという立場でもないわけで、 常識的に考えたら 一人息子がいてるねんし、そこしかないわけや。 そんなこんなで その叔父さんからも口添えをしてもらうようお願いして電話を切る。 実際、こっちに来て何ら支障もないし 親父にとってはいうことないと思うねんけどなぁ~と旦那。 そりゃ~あんたは田舎が嫌で出てきた身。 年老いた夫婦が 新しい土地で暮らし始めるのはかなりのストレスであろうし それによって認知症の具合が多少悪化することも理解したうえで やっぱりこっちに来てもらうしかないわな。 そして、旦那がメモしてきた 義父母の預貯金メモから一覧表を作成。 義父より義母のほうが5倍以上もある預貯金は あとに残すからか?義母が一人になることを考えて? 生命保険も義母は3つもかけてはる。 二人で4つの生保は年間50万の出費。 てか、義母に3つもいるか? ならば、一人にならはったときのことを考えて一刻も早くこちらに来る気にならへんかなぁ・・・ お義父さんよぉ~~~”
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1歩進んで2歩下がる・・・
“結局、義母の弟、叔父さんが 義父母の面倒見るというのはない。 息子(わが旦那)のいうことを聞いて大阪に行ったほうがいい。と 義父に話してくれたようで 義父もこっちにくる気持ちに傾いた。 というてもこの傾きはなんかの拍子に反対振り切ってしまうので 善は急げ、気が変わらんうちにと 昨日の日曜、ホームの見学に義父母が来阪。 本来なら1泊でもしてもらって、ホームでの一日を体験してもらいたいのだけど、 日帰りでっていうので そこはこちらが折れて、日帰りで昼食をホームで頂く。 子どもも部活試合の長男をのぞいて、娘と次男も一緒にホームで食事会。 その後、受験生の次男は自宅に帰らせ、 大阪歴史博物館で遊び、新大阪でお見送り。 ホーム自体はきれいなところだし、 スタッフさんもみな優しく、 文句のつけどころがなく、 昨日の帰り際にはこちらに引っ越してくる気になっていたかの義父が 今朝、もう少し待って!と躊躇の電話。 義母は お父さんが行くなら行くという姿勢。 とにかく、問題は義父なんよなあ。 結局、振り出しに戻り、毎月の支払う金額がもったいないという。 支払分はなんら心配することもないのだけど、 なんせ、昭和一桁生まれなので節約が身についている。 困ったもんや・・・・ 自分が生きている間はここに居てると。 いや、もし義父に何かあったときに義母はパニックになって対処できないから そうならないうちに今のうちにと説得するが・・・ ホーム側も 二部屋の続き部屋は各階に一つしかなく、 3セットのうち2セットは契約済み。 残る1セットを義父母にと考えているので いつまでもうだうだ云っていられない。 他の施設でもそうだけど 夫婦部屋というのを用意しているところは少なく、 昨日、連れていったところは我が家からも近く、 お値段もべらぼうは高くない(私からしたら高いけれど)。 これを逃すともっと高いところになってしまう。 そうなるとますます渋るであろう。 長年住み慣れた土地を離れることを 快く受け入れる高齢者は少ないであろう。 100%ほな行きまっさ!となるわけはない。 ある程度はゴリ押しで進めて行って 流れに乗せないと、ことは進まない。 義父との交渉は当然、実の息子の旦那。 私はとりあえず他のサポートはするが お金が絡むことには関わりたくない。 踏ん切りなんてつくわけがないので 事務的処理を進めて行って、 引っ越ししなければならない状況をつくるしかない。 これが契約金を一時でも立て替えられたらいいのだけど、 そんな力がない私たちは途方にくれる。 いや、旦那だけが途方に暮れる。 私は私でわが親のことで途方に暮れかけちゃ~やり過ごしている。 そして主導権をわが手にしたので途方に暮れることはなくなった。 そんな中、次男の三者懇談。 別にわざわざ行かんでもっていう内容。 試験の結果から現状は想像つくので それを一通り私がしゃべったら 先生の言うことがなくなってしまった。 早々にお開き。 来月の三者懇談には併願の私立をどこにするか決めるという約束だけして退室。 そして、中学校のPTA新聞づくりのネタが届く。 前回は母の手術とかで100%パスをさせていただいた。 今回はそうもいかない様子だったので なるべく早くに原稿を欲しいと9月末に云っていたのに すでに11月も後半。 例年の発行日は冬休みの前日。 そうなると12月10日ぐらいまでには形にしないといけない計算。 あと3週間のリミット。 現在、白紙の状況。 厳しい・・・・ あっちもこっちもあれもこれもでてんてこ舞いやん・・・・”
11
久しぶりに行ってきた友達ん家
“何十年ぶりやろ? 毎年、年賀状を作ったら取りにくるので最低年1回は会っている。 昨日は、ご主人の仕事の書類作りを依頼されて、 送り迎え付でお邪魔してきた。 ここから南に下がってちょいと東にいった山の際。 結婚しはったとき、子どもが小さいとき(うちの娘より一つ上の男の子がいてる) お邪魔したが 相変わらず、田舎でございました。 ご主人曰く、これでも開けたらしい。 歩いて行ける距離にスーパーが出来たと。 そして、送り迎え付で参上の私に イノ(小学生のときの私のあだ名)もここに住んでたら車運転できたでぇ~と。 それでもせん。とは黙っとく。 私が車を運転したら、なにかと頼りにされる。 いまですら頼りにされっぱなしやのに、 出来ないことを作っておく必要があるということで 運転はしないと誓った山陽自動車道や。 てなことで、早速、書類作成に取りかかるが 作成というほどのものでない。 ん~~バイト料、お米30キロはすでに迎えに来てもらったときに受け取っている。 そこのご主人はPCをいらう気はなく 嫁(私の友達)に よ~教えてもらっとけ!という。 てなことで、宝の持ち腐れと化しているそこのPC。 とりあえず、メールから始めよかと、 メーラーの設定からする。 遠方に引っ越した夫婦の知人から スカイプを始めろといわれていると二人していうので、 ほな、まずはイヤホン付きマイクを買っておいて。 次はスカイプの設定をするから。 お米30キロ分、手伝うわ!と そして、外が暗くなりかけたころ、 そこを出発。 友達にいう。 お宅の旦那、昔、あんなしゃべらんかったよな? そやった?と友。 お互い年を食ったといえ、 ええおっちゃんになってしゃべりやすくなってはった。 私の前で友達のことをボロクソにいうたりするが 優しそうな目で友達を見てた。 ええ夫婦や。 あんましボロクソにいうから 私がやたら友達を あんた、えらいなぁ~~と褒めちぎってやった。 すると、 せやねん、結構こいつえらいねん!って どないやねん! いつもなら年賀状サンプルを3つほど作ってファックスを送る。 それを見てどれにするが選んでもらう。 ほな、今年はメールに添付するからそれで選んでな!と 約束もした。 ちょっとこっちの世界に引きずり込んだろ・・・”
05
12時間の旅。
“今日は次男の参観&進路説明会。 ゆえに、有馬行きは昨日に前倒し。 そして、昨日の夕方、義父母のために老人ホーム見学を予定していたので 旦那は仕事を休み二人で移動の一日。 17年前、文化住宅からここに移るときに持ってきた 窓用エアコン。 ここでは使うことなくず~とベランダに置いていた。 急遽、それを市の指定する業者で廃棄をお願いしようということになり まずは郵便局でリサイクル券を購入。 夕方、そこに持っていく段取りで出発する。 駅前郵便局のあとは、谷四の法務局を目指す。 例のとんでもない業者との対応。 最後の段取りのため、法務局で代表者事項証明書を取る。 ここから有馬を目指すわけやけど、 10月から2年越しで病院施設立て直し工事中につき 病院まで車では行けない。 ただいま、山を切り開いて大きいトラックが行き交う状況にて 芦有道路の料金所を出たところの駐車場が仮の駐車場。 そこから30分に1回、病院まで運んでくれる病院のバスに乗る。 法務局を出発した時点で10時を回っている。 11時半のバスに乗れないと、仮駐車場から歩いて病院に行かなければならない。 お昼12時から13時は病院バスは休憩なので。 車だと2分ほどの距離。 徒歩20分ぐらい。 ただ、平坦な道ではない。 ここがみそ。午前の最後にそんな大仕事をしたら あとの予定に影響がでる。 ここはなるべくエネルギー保存でいきたいところ。 とりあえず、11時半前着を目指して阪神高速を走る。 いつもなら芦有道路、途中にある展望台から東六甲を堪能する休憩時間を入れるが 昨日は展望台はスルー。 ぎりぎり3分前に駐車場に到着。 病院バスに乗り換え、父が待つ病室へGO~~ 小一時間ほどで病室をあとにして 午後一番(13時15分)の病院バスで駐車場に戻る。 帰りは西宮におりるコースでここからR2を通って母のところを目指す。 母のところには先日購入したガスストーブが待っているので これを受け取る。 昨日は11月とは思われへんほど暑かったので ガスストーブって?!って感じではあったが、 なんせ、超格安で購入できた品。 受取場所が尼崎限定という条件付きだったのは仕方なく、 車があるとき(旦那が動けるとき)でないと引き取りにこれない。 車があるときにあれもこれもと用事をぶっこんだれ!の私は 使わず眠っている私のノートPC (動作がスローモーだがまだ使える)を マンションに持っていくことを思いついた。 有馬の帰り、マンションに寄って風を通す小一時間の間 時間をつぶすのにPCがあれば助かる。 ガスストーブを受け取ったら今度はマンションに行って PCの設置。 それから速攻、次の目的地へ向かう。 今度は後ろに積んでいる窓用エアコンの廃棄場所を目指す。 請け負っているのは運送会社で、本業の奥に廃棄家電が種類ごとに置いてある。 一番多いのはブラウン管TV。 そりゃそうやろ、これはよ~わかる。 エアコン、洗濯機、冷蔵庫とあるが すでにそれもほるんですか?という薄型TVもある。 我が家にはない薄型TV。 思わず、つぶやく。 「うち、まだブラウン管やで・・・」と。 ブラウン管TVは奥行きがあるから 上にモノ置けるし、重宝してる。 本来の存在意義は無視されてしまっている我が家のTV。 そこからこの日のメイン。 老人ホーム見学。 以前、友達に教えてもらった大阪市内の老人ホームには旦那が1人で見学に行った。 そこは超リッチな作りで旦那も気にいっている。 今回のところはもう少し近場でも探してみようということで 見つけたところ。 東大阪市内ということで 大阪市内のホームより安い。 そして、そこを紹介してくれはった人(シニアライフ支援センター)がいうには やっぱり土地柄、有料老人ホームでも安い。 また、東大阪では需要が少ないのでこのタイプは少ないとも。 施設内をあちこち案内してもらい、 居住してはる人の夕食の様子も見せてもらう。 ご飯のメニューも我が家よりリッチ。 見学のあとはいろいろ話をしてそこを出たのは20時。 帰ってご飯を作る気力がない私は Hotto Mottoのお世話になる。 お弁当を買って帰る。 朝、9時前に家を出てから大方12時間の移動。 何が嬉しい~って、ガスストーブ。 定価7万税別のがなんと12600円税込でゲットやもん。 どういう仕組みなんかわからんけど、 大阪ガスのサービスセンターのおっちゃんがいうには 電力不足でガスストーブの需要を増やそうということもあるらしい。 おっちゃんは今出ているシリーズを各3個ずつ格安で販売できる持ち分があるとのこと。 プラズマクラスターもついているという一番上のクラスなので ガスストーブだけやたらリッチになった我が家。 なのに、今日も温かい。 初始動はいつになるやら・・・”