旦那の嘆き・・・

先日の来阪した義父母の様子。義母は認知症のおかげというと語弊があるが、私は母親よ!という変な片意地もなくなった点がやりやすくなった。義父はといえば、なんともやりにくい。

 

そして、その日一日、爺婆のために予定をつぶしてつき合ってくれた孫娘に対して、義母は目の中に入れても痛くないってこのことじゃ・・・とかかわいいなぁと連発し、ティッシュに包んだ1万円札を娘にこそっと渡すという可愛らしいおばあちゃんぶりを発揮。認知症になる前は旦那とも義理の仲(後妻さん)ゆえ、当然、孫とも義理。微妙な一線を感じずにはいられない状況やったのが箍が外れたのか、おばあちゃんっぽくなってええ感じ♪

 

そして、あんたこそ血は繋がってまっせという義父は、孫娘に対しても他人行儀な様子。それを我が旦那は嘆く。なんでやろ?認知症のせいやろか?と

 

いや〜認知症は関係ないやろ。性質の問題やと思うけど・・・元々、父子との密接度も薄いやん。義父は1人息子の旦那が可愛くって仕方がないがそれは猫可愛がり状態。生まれたときからの写真がアホほどある。(私なんて3歳ぐらいからしかない。それも数枚。)言うなれば、義父の一方通行な親心。父子間のまともなコミュニケーションがないから、ことあるごとにもめる。ことっていうのは私との結婚とか人生に深く関わる事柄。今回の義父母の大阪引っ越し話もそう。

 

たいていの家庭では父子のコミュニケーションがイマイチでも間に入る母親がうまく取りなすわけやけど、旦那のところは義理の仲ゆえ、義父が我が嫁と息子の間に入るという図式ゆえ、難しいわな。

 

それが当たり前で育ってきたが、実際自分が所帯を持って子ども3人の父親になってみたら、そのバランスの悪さにやっと気づいたのか・・・。まぁ、私にはさしてどうでもええことなんやけど・・・私の実家の爺婆と孫との関わりを見て、我が親と我が子の関わりの違いがなんだか寂しくなったのか?そんなもん元々の家族の成り立ちが違うから、どうしょうもない。事実は事実と認識した上で対応していくしかおまへんで!

 

てなことで、雰囲気も一新したこのblogなのに結局、見た目だけで中身は同じになるのは仕方がない。昨日のやっと届いたブツを得て、今後の流れを私の都合に合わせた段取りを提示したメールを一斉配信。これ、最初っから私都合で段取りを進めるとなんとも高飛車ないけすかん奴になるが、この時点でこの状況を打破するためには、多少喧嘩売ってる?風でも仕方がない。世間とはそういうもんよ。社会に出たら、もっときついでということでぬるま湯に熱いお湯を投入や。

 

それに即レスがあったのはキチンとした常識を持ってはる人のみ。あと1人は今頃なにを聞いてくるん?っていう質問をよこしたので、懇切丁寧にくどく説明した。私の文を熟読したらそれで理解できるはずが、理解出来ない様子で2度3度とメールで説明。ようよう寝まっせって時にやっと理解しはる。

 

ん〜〜読解力と想像力がなさ過ぎ。私が思うに頭が賢いというのは単に勉強ができるということではなく、ちゃんと人のいうていることを理解できる想像力の有無も関係あるよなと実感。この想像力は柔軟性を持って発揮できるという代物。違う視点から考えるということが出来るかどうかや?それが出来るなら1回目の私のメールで十分理解できたはず・・・・

 

この二人だけであとはなしのつぶて。お前らやる気あるのか!!とシャウトするが、私はやる気はありません。ただただ、責任感と私がやる以上キチンとする私の意地だけ。

 

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