懐かしの母校

阪急塚口から伊丹市営バスに乗って
近畿中央病院へ。
懐かしい高校の前をバスが過ぎる。

昨年、新しく立て替えられた校舎ではあるけれど、
正門前の雰囲気はまんまで
懐かしい日々を思い出す。

てか、感傷に浸るためにこのバスに乗ったわけではなく
近畿中央病院で母と待ち合わせ。
手術するとかせぇへんとかいう話の説明を聞くために
私が呼ばれた。
なんせ、高齢の両親の保護者的存在の私は
あっちの病院、こっちの病院なわけ。

まぁ、手術したほうがいいやろなと
7月の最初に予約を入れる。
入院書類や手術同意書なんぞの記入も
病院内の休憩所で済ませ
(もちろん持参していった印鑑で押印も)
連帯保証人2名のうち、ひとりは私としても
もうひとりを叔母にお願いするよう持って帰らせる。

支払いについての連帯保証人なので
同一世帯の旦那の名前を書くわけにもいかず・・・
緊急連絡先は1番に私、2番はわが旦那の携帯を書く。
2番目枠は娘でもよかってんけど・・・
早く長男が成人したらいいのにと。
そしたらやつの名前を書くのに。

手術自体は別にたいしたことはないが
なんせ高齢にて
術後の生活が気にかかる。

既往症欄に記入するのに
いままでかかった病気は?
と問うと
盲腸と子宮筋腫。

それだけかい?と内心突っ込む。
手術前の検査でも大きな病気は見つからんかったという
主治医の話。
それはええねんけど、精神的弱さに振り回されてる感が否めない
私。

先週、移った新しい住居が
おもっていたより不便、
自分のテリトリーの町中に出るのに2時間かかると、
後悔の色。

だから、言うたやんとはかわいそうで突っ込めず。
うんうんと聞いてやる。
てかなぁ、私も79になったらああなるんか?
いや、40代で盲腸と50代で子宮筋腫したときの母の様子は
その同じ年代で網膜剥離を患った私より
はるかに病人じみていたよなぁ。

それを思うと、
今回の手術のあとも
なんやかんやと手を取られるであろうと想像する。

そしてこんな私の気苦労を全く知らない兄夫婦に
覚えとけよ!と心ん中で毒づく。
あとで一切合切請求してやるかな!と。

そして、私は明日は有馬くんだり、山登り〜〜♪
♪マークでもつけやなやってられへん・・・・

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