親の介護

1年前に実家の父が脳梗塞で入院。
年末に退院するまでの約半年。
回復期リハビリ病棟を含め3つの病院のお世話になるが
そん間、1週間に2回3回と
仕事の合間にせっせと
尼崎まで病院通いの私。

その半年っていえば
例の学校の件が佳境を迎えつつのころ、
ミニバスのお世話係に奮闘しつつのころ、
我ながら、よ〜がんばったと今更ながら思う。
なんせ、私、病み上がりで
1年間は再発の危険ありと眼科医に注意されてた状況だったのだ。
当然、合間に眼科通いも入れながら。
(眼科通いは今も続く。エンドレスやん・・・)
おかげで、ヘルパーさんの仕事出来るんちゃう?ってぐらい
介護力を身につけたし。
父についてた看護婦さんの卵の実習生の女の子に
「介護の仕事してはるんですか?」といわれるぐらい。

リハビリにも付き合い、
理学療法士にあれこれ話を聞いたり
そのあたりのことも多少なりとも勉強になったと。
まぁ、父のおかげで今まで知らなかったことを知ったという
有難い状況。
まぁ、ええ勉強させてもらったと感謝ですわ。

寝たきり状況からぼちぼちでも歩けるという状況まで回復させる
リハビリの凄さを実感。
まぁ、父の頑張りもあったわけだが、
いや、リハビリ中、ちょっとサボろうとするのを叱咤する私の力も多少ありつつ、
見事な回復で
とりあえずの退院。

父の介護はこれで終わりではなく、
今度は病院通いの付き添い介護が私の仕事で
月に1回ないしは2回、尼崎通い。
まぁ、それぐらいなら去年のことを思うとラクで
ほったらかしにしていた仕事に力を入れ出す。

春からこっち講師の仕事を入れだしたら
これがまぁ忙しい。
おまけに外勤の仕事も担当をもたしてもらえることとなり、
責任がぐっと出てきた。

そんな中、先週の土曜日、
「入れ歯が壊れた」と母から電話。
父の入れ歯が壊れたらしいが、
今週は私は身動き取れない。
仕事と子供の三者懇談(本日午後から)とスケジュールに空きなし。

とにかく、何かあったら私なのだ。
私に判断を仰ごうとする。
おいおい待てよという話。
私には二つ上の兄がいてる。
長男ですやん。
一応、苗字変わらず(婿養子に行かずという意味)の立派なおっさんがいてるやん。
私はこれでも苗字変わってるし・・・・
なのに、兄には言わず、私。
まぁ、兄に言わずとも兄嫁に云えよって思うが。
私と同じ年の兄嫁は、ん・・・・・・なんなんでしょうかねぇという感じ。
ええ加減堪忍袋の緒も切れるっていう状況の私。

「私、今週は無理やわ。」と兄嫁に連絡したろか?というと
母は
「そこまでおおげさにせんかて」って。
どないやねん。

「ほんだら、ケアマネージャーさんに言うてヘルパーさんの手配を頼み」と指示。
ディサービスやショートステイでは介護のお世話になっているが
ヘルパーさんを頼むというのは初めてのこと。
そりゃそうやろ。
私がヘルパーさん代わりをしててんし。
初めてのことで躊躇してる風の母に
ちょっと冷たいが
「私は今週は無理やからな。」と念押し。

分かってるのかなぁ?
私も病気、持ってまんがな。
見た目にはぜんぜん健康そうやけど、
「な〜んもせんのに網膜はく離になったので左目も危険性はあります。」とか
「右目が再発したら一気に剥がれるので朝起きたら何も見えないってのも
ありえます」って状況ですぜ。

そんなことはすっかり頭から抜けてるわが親。
まぁええねんけど。
そんなこと、なったらなったときとポジティブシンキングな私は
平気のヘイちゃんやし。
自分の身体にメスが入ることになんら動じない
強靭な神経の娘やと思ってるふしのわが両親。
それはええ、
病気と前向きに折り合いをつけていこうやと思う娘の私。
やたらちょっとしたことに動じる母を持つ私。頼むで・・・

そして、私より心臓がとっても丈夫な父。
このまま行くと私のほうが先に逝くかもよとは時々脅かしてやる。
逝くときはコテチンと逝くで・・とな。
明らかに私に甘えてるとしかいいようのない両親。
なんでもかんでも受け容れるとこっちが先に逝く恐れありと
拒否ることもしやななぁ。

よくよく考えたら、
私の年齢はあれよ、更年期たらで自らの体調を崩す年代ですやん。
どうも私には更年期は関係ないような、
あっても気づかんうちに終わってたとか、
更年期が入る隙間がないって感じ。

なにはともあれ、高齢化社会を身に染みて実感してる。
そして、脳梗塞にも痴呆症にもならず、
一気にコテチンと逝きたいと。
更年期を迎えるか迎えていても気づかないのかそんな私は切に願う。
親の介護悲喜こもごもなのだ。

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