自分の首を絞める愚か者

時々、このブログを読み返したりするんだけど、
私ってほんま辛らつなことを書くよなぁと。

でもまぁ、別に作り話やなく
真実を書いてるだけやし。
大人のずるさってほんま子供のときから
大人になった今も大嫌いで
権力でモノをいう輩には逆らいたくなるし
バックの組織でしかモノをよ〜云わん裸の王様も好かん。

てなことで
相変わらずの愚か者の話。私は基本、人の話には耳を傾けるし
とりあえず云うてはることは真実だろうと思う。
だが、それが一旦崩れると
そいつの言うことには二度と首を傾けんとなる。
それでも我がのしたことを振り返り
立場がどうであれ
心から反省している謝罪の言葉があれば
気持ちよく受け容れる潔さは持ち合わせている。

先生という人種はなかなか自分を反省せず謝罪しない。
子供の時代の私は、とりあえずは大人のいうことは絶対。
先生のいうことは絶対と
勉強もコツコツと真面目にこなす
決りは守る。
優等生だったが、
人一倍の正義感で中3の時、担任を卒業する最後まで無視し続けたということがあった。
自分の信念を貫く為にはその方法しか思いつかなかったから。
その前に当然、直談判をしたが
先生と生徒という上下関係の中
一生徒のほざくことをいちいち聞いてられるかという
大人のずるさに辟易。
嫌いなやつの顔は見たくないねんと
担任の理科の時間はずっと横を見ていて
先生とは顔を合わさず。
でも、試験はちゃんと結果を出すと
やることはやるという姿勢と貫く。

結局、その先生は自分が間違いだったと
卒業式の後、私に謝罪をしてくれはった。
当然、私は気持ちよくそれを受け入れた。

そこで、タヌキ親父も反省しろよって話。

反省どころか、相変わらずあちらこちらで保護者の悪口を言うてるらしい。
そのおかげで自らの評価を下げるという状況になっていることに気づいていないって
笑けてくるぐらいの愚かさ。

去年も散々、公の場で
反省してこそ改善されると声を大にして云うたが
その意味すら理解できていないご様子。
てか、年齢がそれを拒否するのか?
立場がそれを邪魔するのか?
ガワばっかり大きくたって
中身は小さくてってヤツ。
わがの存在の小ささを
立場で大きくしやな保たれへんのんかと。
その職が解かれたら
何があるっていうねんってとこよなぁ。

能力がないってことですよねという私の言葉にも
そんなことをいわれても・・という返しやったしなぁ。
てか、一保護者に
アンタは能力ないって云われるってどない?
そんなん云う私もどない?って話やけど。
そこまで云わなあかん状況を作ったのは誰ってことよなぁ。

ええ加減、この話題から身を引くべきと思いつつも
書かずにはおられない。
ほんま、何に腹立つって
地方公務員法にある
公務員は全体の奉仕者であって・・・て一文。
その彼らは私たちの税金で生計を立てている。

報酬を得ようとするならば
サービスなり製品を売るなり作るなりすべきのところ、
このタヌキ親父は報酬の大本である保護者の悪口を言うという。
通常では考えられんことをしている。
ここが問題。
アンタの売りはいったい何?という話や。
売りもなにもなくおまけに
お金を払う人間の悪口をいうて
それでも報酬を得られているって図式っておかしいやん。

それだけの報酬を得るだけのことをしているのかということ考えたら
反省もするやろ、
改心もするやろ。
公務員やなかったらリストラやでっていう状況でも
のうのうと私らの税金を使っているとこが
何をおいても許せん。

ここに書いてること
本人に直接言える場があればなんぼでも云うねんけど。
去年も直接云うには云うたが、云い足りん。
私に会ったら何を云われるかわからんと
終いには
わが坊主の個人懇談日時をリサーチして姿をくらますという、
逃げてどうするねん?って。
そのくせ、すでに在籍してない保護者である私のことを
“もう一人の人”と称してまだ出すか?って。

しゃ〜ない、うちの息子たちの学校での運動会のときにでも
挨拶しに行こうか?

マジな話。
大阪府の橋下知事にお願いしたいのは
末端の教育現場の現状を把握して
管理職も含めて、教員の質の改善も早急に手立てしてもらいたいものですわねぇ。
いうても、小学校なので府はタッチできず
地方自治体である市にゆだねられるわけですが
それでも府として意識改善していきましょうよと
橋下知事と直接教育談義をかわしたいと思う私。
大人が変わらな子供は変わらんでしょ。

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